平和ボケ者の独り言

勝手な妄想と独り言

愛するとは赦すこと

2020年06月11日 | 独り言
男と女って自分と全く逆の価値観を容認できるかどうかよ
それが

「愛するとは許すこと」

とか男と女の間柄の場合


「愛するとは許し合うこと」



なんじゃないかなぁー

結果
男は女に金持って行ってなんぼ
女は男にセックスさせてなんぼ

究極ここだと思うよ

それをなんかそのままじゃ癪に触れると言うか人間らしくないって言うか
いらんもんかんがえていらんもんついて変になって迷走しはじめ迷路にハマってるひとが多い



あとは男も女もズルい人
男は金は与えずセックスしようというズルい男
女は金は貰うがセックスさせないズルい女


神様が人間に与えた特別な能力思考っちゅう男と女も面倒なものあたえたもんや


結局人間だもの、の前に動物だもの、もっとシンプルに言うと生物だもの自然に従って生きたら大きな幸せと感じれるんじゃないかなぁ


ちなみに幸せと悲しみは1セットだよ

優柔不断って悪いこと?

2020年06月11日 | 独り言
優柔不断の反対は決断力のあるひとです。決断力のある人にあって優柔不断な人にないものは『直感です


決断力のある人って“決断”というのは何か根拠や計算があって決断しているのではなく
その殆どが『直感』なんですよね
まず直感で選択してその選択を正解に導いていくというやり方です。
順番としては『決める、動く、その選択を正解にする』
と言う順番になりますね

直感ですねの結果的に失敗に終わってしまうこともありますがその
その失敗は行動の結果行動は経験となり、経験は直感の礎となり、直感力の精度は上げっていき
そして成功体験が増えていくというわけです
対して優柔不断な人はまず“正解から探ってしまう”悪癖があります
どっちの選択肢が正解7日をまず熟考してから行動にうつそうとするわけです
順番としては『正解を考える、決める、行動する』という順番になるわけですがどちらが正解なんて行動も起こしてないのにわからないんですよね

その選択が正解になるか不正解にななるかはこんごの行動次第になるわけですから
まだ答えのない答えを探しても見つかるわけがないんです迷えば迷うほど、人というのは『どうでもいい』と選択の責任を放棄してしまう心理がはたらきますので
結局は他人の考えにながされることになってしまうわけですね
他人に流された結果が“結果オーライ”だったとしてもそれは自分の意志できめたことはないので責任感もなく
あまり経験値も増えず、直感力も磨かれることもなく優柔不断のサイクルに取り込まれてしまうというわけです

優柔不断の『不断』とは『断つことができない』という悪癖の他にも『やめられない』という悪癖もあります

他人に流される悪癖と同じ様に習慣に流されるという悪癖もありそれが良い習慣ならまだいいのですが
夜更かしや暴飲暴食、無駄遣いやダメな恋愛など悪い習慣もなかなかやめられないんですよね

これもまた『このままじゃヤバいな・・・』という直感センサーが弱いため身をほろぼしてしまうまで悪習に従ってしまうんですよ


優柔不断な人にらりないのは直感力直感に従って失敗を繰り返し経験値を上げて直感力を鍛えてください

考えて動くより、ちょっかんで動くほうが気持ちいいですからね

自己嫌良

2020年06月11日 | 独り言
自己嫌悪じゃくなくて



 “自己嫌良” で行こう






日本人に多いのは自己肯定感の低さ
悪いことが悪いことを引き寄せる


自分の悪いところを探して自己嫌悪のサイクルにはまるより

自分のできているところにフォーカスして、自己嫌良の罠にハマったほうが


おまえの人生丸儲け


おまえの出来てる良いところ


探さなソンソン!


誰かに褒めてもらおうなんておこがましい


なぜならば





おまえのことを24時間365日しっているのは、おまえしかいないんだぜ

子供に期待を届けたいなら あなたのソコで祈りなさい

2020年06月11日 | 独り言
子供って親の期待通りにしか育たないのよ。

でもちょっとはって“期待”ってのは


親の見えない期待の事ね。


例えば

親が大学にいってほしいとか

有名になってほしいとか

そんな表向きの親が自覚するてる顕在意識の期待ではなくて

親の心の中にあるなかにある潜在意識、通称『無意識』の期待ね。




もし親が子供の悪い方向に行く心配などがいい例。

例えばいじめられるんじゃないかなぁ

とか

勉強ちゃんとついていけるかなぁ

とか

交通事故に合わないかなぁ


などなど

ちゃんと育っててくれるかしら?


そんな心配や不安も敏感な子供は“期待”として感じ取ってしまうんだ。



だから親が意識的に期待してても、無意識ってその何千倍もあるからその無意識の期待、すなわちあなたのヤミの部分の期待を敏感な子供は受けとっちゃうわけね。


無意識ってのは基本幼少期に作られるから変えるのは難しい。
また無意識って層は言語化できないからこれまたやっかい。

イメージを圧縮して必要な時に展開し親から反射的ににじみ出てるわけよ。
そのオーラも含めてを子供は敏感に感じ取ってしまう。


あなたの本当の子供への期待ってのはなんなんだろうね。


おそらく意識的期待を子供のためって押し付けるのではなく。
こうなって欲しいとあなたが心の中で祈る。それだけのであなたの無意識の期待は子供に届く。


言葉で願わないで、イメージして祈りあなたの無意識に落とす。
そしたらそれを心が勝手に圧縮してくれるから。


それだけで大丈夫。心の深いところでたった一つのことを祈り続けるだけでOK。


そしたらあなたの期待は思いへと変化して必ず子供のに届くはずだよ。

真の純真さは傷つかない

2020年06月11日 | 独り言
真の純真さは傷つかない

何色にも染まらない


あなたが
「傷ついた」または「傷つけた」
と思っているのは


あなたが



誰かの色に染まるしかなかった邪心や汚れ



あなたが“キズ”と思い込んでるその色と音を見つけ出し
よく観てから向かい合い
それを内省しながら勇気のいるほうを選んだ行動を起こし始めた時から
あなたの心は澄み切った水のような純粋な心へと回帰してゆくことでしょう

その面倒くさいはあなたが好きなこと

2020年06月11日 | 独り言
面倒くさい!

って、口から言葉で出てくることありますよね。

あれって実はあなたが




やりたいこと!




だったりするんだよねー




究極のわかりやすい例えで書くと


あなたが女性なら

「オトコってめんどくさっ!」


男性なら

「オンナってめんどくさい」



って口にだされたことは誰でも一度はあるとおもうんだよね。



でも、それでも



めんどくさくてもやりたいんだよね?




やりたいことが「やるべき」や「やらねばならない」になってるから面倒くさいと思うんじゃないかな~



ケンカの奥には深く愛し合える布石が敷いてあるのよ

2020年06月11日 | 独り言
男と女。



ケンカの奥にはお互いがより深く愛し合える感情の布石がしいてあるのよ。







喧嘩するときって、その奥にはさ





「わかってほしい」


「助けてほしい」



「愛してほしい」





って自分の満たされてない欲求って言うか期待を

相手がわかってくれないから苦しいわけよ



でも

その欲求がうまく言語化できないから苦しくなって

怒り始めたり、黙りこくったりして相手にはんこうしちゃうわけね。





だからケンカしたあとなぜ自分は

「あの人はなぜ私が怒るようなこといつもするのか、言うのか?」



なんて考えるよりも



「自分はなぜ怒ってしまったんだろう」



って、あなたのその心の奥にある“わかってほしい”ってなんなんだろうと

考えてまず怒りの要因を探したほうがいいわけさ。





なぜならば、その原因が見つからないままだとまた次回、同じような場面

に遭遇したときにケンカをしてしまうことになるから。





ケンカするって面倒くさいじゃん。





パワー使ってエネルギー消耗するじゃん。





そんなのめんどくせじゃん。







結局、怒ってたのは自分なわけだから

自分はなぜ怒ってしまったのか?って自分を向かい合い


①私はなぜ怒ったのか。その時の感情はどんなものだったのか

②私はケンカした相手に何わかってほしかったのか



③その気持はいつから自分の中にあったのか







なんて考えて要因を解消していかないと。また同じことケンカしちゃうのよね。





まぁ、面倒くさいかもしれないけれど、百々のつまりは、お互いに







お互いのお互いの関係を良くしたい







と思っているからこそケンカするわけで、けんかの度に相手のせいにしているようじゃ

そこに何も進歩もないわなぁ





だって怒ってるの自分自身、問題はその中にあったんやからね





だんまりも怒りの表現の一つだよ。

人それぞれいろんな怒りの示し方あるからねー



最近はLINEとか怒鳴らない怒りもあるから内篭り的な怒りもあるから

よけい怒りが膨れあがりやすいのよね





みんさん注意してねー

自由と責任

2020年06月11日 | 独り言
人は最大の自由を手にした時、それと同時に自由の大きさと同じだけの不安と寂しさもてにします。

ですから、自由を手にする前にやっておかなければならないことは自由よりも大きな不安感、孤独感を克服する経験値を積むことですです。


自由=責任

自由になると言うことはそれだけ背負う責任も大きくなると追うこと。
人は何をするにも自分の言動にはもれなく“責任”も一緒にセットになってついてきます。


例えば10円玉。10円玉には表面と裏面があって初めて『10円玉』になるわけです。
表ばかりの10円玉は存在しませんし、また裏面だけの10円玉も存在し得ないのです。

人間に例えて見ます。人間も外面(肌)と内面(内蔵)があように肌だけの人間なんて存在ません。

また心でも、言葉、表情などの人の表のめんと、思考、無意識など内面があって成立しています。


このように世の中のすべてのものは表裏一体になっていると言っても過言ではないと思います。

それは10円玉の様に目に形ある目に見えるものも心のように形のないものでも同じでなのです。
無形有形にかかわらずすべてのは表があれば裏があり、裏があれば表があるのです。



話を自由に戻すと、自由の反対(裏側)なんでしょう。

自由の反対は“不自由”です。


不自由=責任 と書いてしまうと少し強引ですが、その不自由を不自由に感じない心と精神ができて晴れて自由と感じることができるのではないでしょうか?


それを簡単にできる方法が一つだけります。
この行動を心がけて行くことであなたの心が自由になった時、寂しさや不安はへの耐性がその自由より一回りでも大きければあなたはそれを“自由”と感じることができ、安定した自由と幸福感を感じることができるようになるのです。



あなたが寂しさや不安に襲われた時、それを誰かのせいにしていませんか?
すべてのことはあなたの中にあるのです。
誰かのせいや私は悪くないなど、言い訳をしている限りあなたにあなたに真の自由は絶対に訪れません。

自由とは


 “その自由に対しての責任を負うことに比例する” のです。

女性と食べ物

2020年06月11日 | 独り言
女は食べ物を美味しく食べる、男は女が美味しく料理を食べてるいる姿と声を聞いてみてその食事が美味しくなる。

料理人は女に食べさせる女性を連れてくる男に最高の食事を提供するために料理の腕を磨く。

一般的に想像してみて雰囲気のある最高の食卓で男ばかりが食べているところを。


ここで考えてほしいには女性に与えて男性がもらっているものは何か?
女性であれば男性にもらって女性が男性にあたえているものは何か?

でもそれは、本来は女性から男性に先に与えてもよいものだったのです。

ただ、伝統と世の中が、「男性から与えなければならない」と言う人々への刷り込みによって、あなたがそう思わされてると言うことにもそろそろ気づいたほうが良いかもしれません。

男性ならもっと感情を出してもよいのです。

あなたの閉じ込めている感情を蓋を少しあける訓練をすると傷ついた分以上に、幸せを感じるようになっていくようにできています。


もしも与え合うと言う花があったとしたらその花の種は
与えると言う水を撒いてあげないと種の殻から芽をだしませんから。


女性の心を食事で開く、これは弱い女性が身につけてきた生きて行くちえ、ゆえに生きる、生存することに関しては一般的に男性よりも女性位の方が頭が良いのです。

女性はなぜ薔薇のがすきなの?

2020年06月11日 | 独り言
なぜ女性は花を送ると喜ぶのだろう?
女性に花束を男性の方なら一度は疑問に思われたことがあると思います。

女性が喜んだり女性の笑顔を見るためにはそんな理由はいらないかもしれません

でも気になる人は気になるはずです

女性が薔薇が好きな理由をお教えしましょう

シンプルにいうと華は女性の心の投影なんです
花びらが階層式になっている=女性の複雑な心の階層を投影しているんです

女性に人気の花の一つに母の日におくるカーネションもありますがカーネーションもも花びらが階層式になってますよね

でもなぜ同じ階層式になっていても薔薇とカーネションでは薔薇の方に女性に人気があるのでしょうか?そのの違いは薔薇のほうが雌しべ雄しべがなかなか見えないですよね
ここが女性また強く女性が自分の心を投影するんです

肉体的にも見れれたくない部分ではあるのは当然ですが、内なる自分の核心部分を見られたくない女性の心理を薔薇が表現してくれているんです


茎に棘があるも簡単に触らないで大切に扱って私を見て欲しいと言う気持ちが見事に薔薇は表現してくれているのです

恋も愛もそれなりに奥深いですよね そして恋愛その階層も複雑です
紅い薔薇が愛の象徴といわれるとなんとなくわかる気がしますね




ちなみに百合などの花は女性の願望を表しています。いつか大きな一輪の華を私も咲かせたてみたいと思っている気持ちを投影しやすいんです


紫陽花が好む女性時の女性は沢山の幸せ、小さな幸せでもいいからたくさん欲しいー

って願いと重なってるのかもしれませんね


全体的に女性は弱いが生き物ゆえ心の奥底は常に不安なんですよ ですからこんなふうに自分の気持を花に無意識ですが投影し花に自身の心を映し出し一人じゃないんだって気持ちなり安心できるのですね
その安心が喜びとなり笑顔となるのです


花をプレゼントされた時に女性が喜ぶのは 私の気持ちにわかってくれた共感してくれたといつもひとりぼっちの様な孤独感と不安から解きはなさせるわけです


一般的な女性の心をイメージ化したとき女性の心に一番似ているのがあの薔薇の華なのかもしれません



女性の花への自分の心を投影し女性の心をみてみると 雄しべと雌しべの関係ですが女性はたくさんの男性に言い寄らえたい見られたい囲まれたいという願望が決して見せませんが心の中にあるんです。沢山の雄しべに囲まれた雌しべはそれを物語っているようにもみえますね

百合の花が好きな女性は、ユリの雌しべのように自分の女性らしさをさらけ出したい願望が心の中にあるんです

そしてみつばちやチョウチョウに姿を変えた愛のキュービット素敵な王子様を連れてくるのを待っているんです

チョウやハチが運んでくる偶然的なものですがそれが待ってるだけの女性に運命的な出合いになるのです

こうやって華が女性の心を最大限に表現してくれるので花束を贈られると喜んでくれるんですよ

ですので花束を贈らずしても「この人は私のことをわかってくれる」ても思わせる男性で有り続けることも大切なことなんです

あなたの大切な人は とんな花が好きですか
その花からあなたの大切な人人の気持ちを汲み取ることができるのです

有名な絵画にある人間の共通点

2020年06月11日 | 独り言
有名な絵というのは人の無意識の部分を描写したものだ。

意識で認識している絵を肖像画としたら、人の思考の及ばない無意識の部分を描いたものである。

だから、絵と言うのは意識に働きかけているのではなくてあなたの無意識に働きかけている“何か”があるのである。

とても抽象的なものかもしれないがより直感的に画家の無意識の世界を描いたもの、そしてそれが万人に共通する遺伝子レベルのものに働きかけているなにかなのかもしれない。

なぜならば人はみな誰かの複製だからである。