かんだ

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情熱は磁石だ

2018-03-27 13:03:15 | Weblog

 今年に入って毎月一冊、本を頂いている。一冊目は1月下旬、展示会の会場で直接手渡し頂いた『ザ・ロングトレイル』、登山用具業界のドンにしてマジックマウンテン社長、国井治氏が自費出版された著作だ。2月は『情熱は磁石だ』(旬報社刊)、平昌パラリンピック、ノルディックスキー日本代表監督、荒井秀樹さんの著作。

3月は『決断のとき』(集英社刊)「トモダチ作戦と涙の基金」とサブタイトルのついた小泉純一郎元総理大臣の本。

 3月18日付け朝刊一面に新田金が大きく報じられていた。ノルディックスキー距離男子10キロクラシカル立位で、新田佳浩選手は金メダルに輝いたのだ。紙面の右横に、「新田、監督と歩んだ20年 38面」と記事のアピールがあった。監督名はなかったが荒井秀樹さんだとすぐに分かった。早速38面を開くと「監督と道ひらいた20年」という見出しがあって、今大会に至るまで20年の歩みを紹介していたが、荒井監督の著作『情熱は磁石だ』の紹介はなかった。

 当時ぼくは、江東区深川スポーツセンターで企画開催されていた中高年のための登山入門講座の講師を担当していた。97年4月、荒井さんが新しい所長として赴任されてきたのだ。荒井さんと知り合うことで、ぼくはパラリンピックを知ったといっても過言ではない。パラリンピックという言葉だけは知っていたが、その意味も意義も知らなかったし、知ろうともしなかった。それはぼくだけの問題ではなく、当時の日本社会がパラリンピックへの関心が非常に低かったことの証左である。

 98年に長野県で開催されることになった、パラリンピックのクロスカントリースキーのコーチを引き受けることになったのは、95年の秋。

「ところが話を聞くと、障がい者のクロスカントリースキーの競技団体もなく、『いまは代表選手がいなくて、これから手を挙げてくれる人たちのなかから選ばなければいけない』、『誰を選べばいいのかが厚生省やスポーツ協会の人には分からないので、荒井さんに選んでもらいたい』、さらに『選んだ人たちを指導して、長野パラリンピックで頑張ってメダルが取れるまでに訓練してほしい』と、課題が山積みでした」(『情熱は磁石だ』本文より)「当時のメディアは、長野オリンピックには非常に注目していましたが、パラリンピックのほうはお寒い限りの状況でした。パラリンピックの聖火リレーのランナーやボランティアを募集してもなかなか集まりませんでした。強化費も出ず、スポンサーもなく、本当に“ないない尽くし”の状況でした」(同前)

 平昌パラリンピックは、オリンピックに勝るとも劣らぬくらい熱の入ったマスコミ報道があった。長野パラリンピックからの20年、選手一人一人のがんばりもさることながら、荒井さんの地道な尽力があればこそ、だと思う。『情熱は磁石だ』、ご一読頂きたい。

岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/