かんだ

かんだは、なんだの続き。
話を広げたり、掘り下げたり・・・。

夏山登山計画のポイント

2018-07-20 16:57:14 | Weblog

 夏は暑くて当たり前だが、今夏の暑さは異常である。こんな暑さの中、都市近郊の低山を歩いていたのでは熱中症に捕らわれること必定。めざすは中部山岳の高山か、東北、あるいは北海道の山にしたい。

 中部山岳といえば北アルプス、南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳。山好きの憧れは槍ヶ岳、白馬岳、穂高岳、剱岳、北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、赤石岳、木曽駒ヶ岳、赤岳、阿弥陀岳。山名が並んだら、その山の特性を考えてみる。ポイントは、技術を必要とする山なのか、体力勝負の山なのか、である。

 槍ヶ岳や剱岳は岩登り技術を要求される山である。山登りに夢中になり始めた多くの山好きは、ネームバリューのある山、技術を要求される山に憧れる。数年前のことになるが、著名な女流登山家が奥穂高岳からジャンダルムを越えて、西穂高岳に縦走した映像が流れると、ジャンダルムがブームになった。ジャンダルムの通過は岩場が連続する、我が国でもトップクラスの難コースだ。めざすとなったら、3級の岩場がリードできるくらいに岩登りのトレーニングを重ねてからにしてほしい。

 必要なトレーニングをせず、憧れだけで一歩踏み出してしまう結果、剱岳のカニのタテバイで最初の一歩が立ちこめなくて逡巡している方、現場は大渋滞。カニのヨコバイでもしかり、現場は大渋滞、大迷惑である。

 ツアー登山、ガイド登山が当たり前になっている昨今、剱岳をめざすガイド登山に申し込んで、登ったつもりになっている方、ご用心。登るのはご自身の足と手と頭であることはお忘れなく。ご自身の足と手と頭がそれなりでないと、怖い思いをするのはご自身である。

 ネームバリューある山への憧れを捨て、今夏の山は体力勝負の山をお勧めしたい。南アルプスの雄、赤石岳は登り甲斐がある。1日目、椹島まで入って泊。2日目千枚小屋、3日目荒川小屋、4日目赤石岳を越えて赤石小屋、5日目椹島に下って帰京。充実の夏山登山になること請け合いだ。

 長期休暇が取れる夏、北海道の山を計画するチャンスでもある。北海道には日本百名山が9座ある。ぼくが初めて計画した山は、日高山脈最高峰の幌尻岳だった。登頂の成否を左右するのは、額平川の水量だ。ベースとなる幌尻山荘まで十数回の徒渉を強いられる。ぼくらがめざしたその日、額平川は前日の雨で増水、登山を断念、翌年出直して幌尻岳の頂きを足下にした。そこであきらめない方がいる。せっかく北海道まで来たのだからと無理矢理突っ込む。徒渉に失敗して流されて遭難、そんな事故が時として発生している。計画のポイントの一つに、「断念」を入れておきたい。

 話しがとりとめもなくなったが、年に一回の夏山登山チャンス。タテ・ヨコ・ナナメ、じっくり考えて、計画を練り上げて頂きたい。

岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/


五頭山と遭難事

2018-06-20 13:23:26 | Weblog

 ゴールデンウィーク明け、「新潟県の五頭連山で遭難」の報にびっくりさせられた。「五頭山」と聞かされて、その山がどこにあって、どんな山なのか即答できる山好きは、地元の方たちを除けば決して多くはないと思う。かなりマイナーな山だ。30年くらい前、『新ハイキング』誌で、「五頭山~松平山」のガイド記事に出会った。面白そうな山だなと感じるものがあって、「山の遠足」企画に取り上げ、参加者を募集し、早速歩いてみた。5月下旬のことだったと記憶する。残雪にご用心というガイド記事のアドバイスに従って、参加者には軽アイゼンを用意してもらい、自分は念のため40mのメインロープを携行した。

 五頭山の麓には、五頭温泉郷と呼ばれる村杉、今板、出湯と温泉があるのも魅力、ぼくのご贔屓は出湯温泉だ。入口には「五頭登山口」と彫られた石柱があった。今も健在なのだろうか。案内に従ってやまびこ通りに出、その道を辿ると砂郷沢橋。ここから沢沿いの林道に入ると、どん詰まりから山道が始まる。気分よく登っていくと烏帽子岩を過ぎ、急登を頑張ると五ノ峰に立つ。その先に四ノ峰、三ノ峰、二ノ峰、一ノ峰と続く。一ノ峰は五頭龍神が祀られていて眺望もよく、気分のいい頂き。五頭山三角点はこの先、主稜線上にある。

 三角点から松平山にむかう。尾根の背を通っているときは問題ないが、コースが山腹をまくようになって沢の源頭をトラバースするとになると、そこに雪渓が残っていた。傾斜がけっこう急で、スリップしたら谷底まで滑落する。ぼくは安全を期し、ロープをフィックスした。スリップしてもフィックスロープにぶらさがるだけ、恐怖はない。恐怖がないとへっぴり腰にならず、斜面にしっかり立って足を運べるからスリップの心配がない。参加者全員余裕でトラバース。松平山を超え、出湯温泉に下山。

 山の雰囲気に魅せられて、五頭山にせっせと通うようになったが、いつしか足が遠くなり、忘れかけていたところに「遭難」の報。ぼくの頭に瞬時に浮かんだのは、主稜線上の沢の源頭に残る雪渓のトラバース。マスコミ報道にみる限り、軽アイゼンやロープを携行しているとは思えない。スリップしてコースからはずれれば、大事に至ることは必定だ。残念ながら、行方不明になっていた親子のご遺体は5月29日、松平山山頂から南西約1.7㎞、標高約580mのコクラ沢の斜面で発見された。

「低い山にも潜む危険」とは、山をよく知る人が必ず指摘すること。目の前の山がマッターホルンみたいだったら、山慣れない人がめざすようなことはない。しかし、我が国の近郊の低山は、緑豊かでたおやかで、初心者でも容易に登れそうな山容をしている。多くの登山初心者がスニーカーやGパンなど身軽な恰好で入り込むが、豊かな緑に隠されて急な雪渓があり、岩場があり、脆いガレ場があったりする。麓からは見えない危険を認識して、登山して頂きたい。


岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/


古稀を過ぎたら山歩き

2018-05-16 12:39:16 | Weblog

「百歳まで生きる時代」が来たということを、マスコミが大々的に報道している。いや報道というより、喧伝といった方が正確だろう。

 5月10日~13日の4日間、韓国の月出山(ウルチュルサン)に登ってきた。アルパインツアーで企画実施している“地球を遠足”、92回目になる世界の山旅である。成田から釜山へ飛ぶ。実際の飛行時間は1時間40分、時差もない近くて良い国である。釜山で出迎えてくれたのは、キム・ジンソク氏、韓国の山では毎回お世話になっている日本語ペラペラのガイドさんだ。

 1日目は月出山の登山口に近い光州のホテルにチェックイン。2日目、めざす月出山にむかう。百済から日本に渡来し、千字文と儒教を伝えたとされる王仁(ワニ)博士の碑を見学。登山口で準備体操を済ませ、10時に歩きはじめる。めざす山は標高813m、日本の山の感覚では大した山ではないが、岩っぽく、急なアップダウンがあり、変化に富んだ魅力的なコースだが、けっこうハードなコースではある。

 参加者は14人、平均年齢は70歳、最高齢は80歳。下山口の開新里(ケイシンリ)まで7時間と案内されていたが、体調不良の人が出たりして最後尾の下山時間は19時になった。途中からヘッドランプの心配をしたりしたが、陽の長い季節だったので日没前に下山することができた。8年前、2010年10月、第24回“地球を遠足”で同コースを歩いているが、秋にも関わらず日没の心配が胸をよぎることもなく下山した。平均年齢は60歳代前半だったと思う。

 加齢に従って体力が減少することを、如実に証明している実例だが、ぼくが注目にしたいのは時間がかかることではない。時間がかかっても、皆さんちゃんと歩いている、ということだ。この4日間の間、お二人が誕生日。10日が誕生日のSさん、12日が誕生日のYさん、お二人共その日で70歳、古稀を迎えられた。お二人はもちろん、今回のご参加者は皆さん、心身ともにお元気である。そして、若い。前々から思っていたことだが、今回改めて感じたことは、山に登っている方々は、「元気で若い」ということ。

 百歳まで生きる時代が来た。だからと言って、寝たきりで生かされていたって意味がない、とはだれもが思っていること。百歳まで元気で生きていきたいと思ったら、「山に登ること」だとは、数々の実証例と出会ってきたぼくの確信である。若い頃、お金貰ったって山なんか行きたくないと思っていた方々も、そんな思いはさらりと捨てて、山に登ったらいいですよ。そんな方々を山に誘い出すキャッチフレーズを考えた。

「古稀を過ぎたら山歩き」。歩幅を小さくゆっくり歩けばいい。ガイドブックに案内されている歩行時間の1.5倍でプランニングする。日帰りコースは2日で、2日コースは3日で計画。時間はたくさんあるのだから・・・。

岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/


山の天気と天気予報

2018-04-23 18:02:41 | Weblog

 2月1日~3日、蔵王温泉に泊まりスキーを楽しんだ。この季節、蔵王で好天が続くというのは珍しいと、土地の人たちは言っている。天気が悪く降雪が続くからこそ、あの素晴らしい樹氷が発達する、冬の蔵王は天気が悪くて当たり前なのだ。

 1日、山形駅で神室山岳塾々長、菅藤満昭氏の出迎えを受け、車で“蔵王温泉みはらしの宿「故郷」”に入る。ちょうど昼時、腹ごしらえを済ましてからゲレンデにむかう。雲一つない快晴ではないが、そこそこ青空も広がる晴天である。風もなく絶好のスキー日和だ。「きのうまでは吹雪いていたんですよ。こんなに天気がいいのは、珍しいことです」とは、バックアップに来てくれた、神室山岳塾メンバーの言。毎山行、天気に恵まれていて、ぼくは自他共に「晴れ男」を任じていた。

 この原稿を書いているきょうは4月15日、日曜日である。どんよりした曇り空、夜半に降ったのか路面は濡れているが、雨は上がっているようだ。きょうはただの曇天3ヶ月前から現地集合・解散のぼくの登山教室を企画していて、AさんBさんの2人が参加することになっていた。4日日前の水曜日、Aさんから電話が入った。「木、金、土と晴れですが、日曜日は雨、風も強いという天気予報ですが、実施ですか」というもの。ぼくも気にしていてその天気予報は承知していたのだが、予報は直前にコロッと変わったりするので、「土曜日まで待って下さい」と言って電話を切った。

 Aさんから電話が入った水曜日、榛名山麓に在住の佐田氏から丸沼高原スキー場に誘われていた。前日の予報の悪さに計画は中止したが、当日は曇天、青空も垣間見える。よくある話しではある。これがあったから予報の悪さにも関わらず、中止の判断は土曜日夕方の天気予報を待ってから考えようと思っていた。金曜日の昼、Bさんから問い合わせが入ったので、あしたの天気予報で結論を出すからあしたまで待ってほしいとお願いした。

 10年くらい前までは、雨が降ろうと、槍が降ろうと、行くと決めたら事前に中止することなく、現地までは必ず行っていた。槍が降ったらもちろん中止するが、多少の雨なら予定通り行動した。「雨が降っても楽しい」なんて言って、雨の山歩きもさして気にならなかった。しかし、古稀を過ぎた現在、雨の中、雨具来て山歩くのは嫌だな、というのが正直な気持ちである。ご一緒する皆さんもぼくと同世代か先輩である。雨に濡れた山道はリスクが大きい。

 金曜日、夕方の予報はさらに悪くなって、「春の嵐」という。土曜日まで待たず、この時点で中止を決めて、お二人に連絡した。日曜日の朝が来た。土砂降りの雨を期待していたのに、ただの曇天。山行は中止したのだから、「晴れ男」の名に傷つくことはないが、予報がどんなに悪かろうと、現地までは行っておくべきかなと、反省しきりであった。


岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/


情熱は磁石だ

2018-03-27 13:03:15 | Weblog

 今年に入って毎月一冊、本を頂いている。一冊目は1月下旬、展示会の会場で直接手渡し頂いた『ザ・ロングトレイル』、登山用具業界のドンにしてマジックマウンテン社長、国井治氏が自費出版された著作だ。2月は『情熱は磁石だ』(旬報社刊)、平昌パラリンピック、ノルディックスキー日本代表監督、荒井秀樹さんの著作。

3月は『決断のとき』(集英社刊)「トモダチ作戦と涙の基金」とサブタイトルのついた小泉純一郎元総理大臣の本。

 3月18日付け朝刊一面に新田金が大きく報じられていた。ノルディックスキー距離男子10キロクラシカル立位で、新田佳浩選手は金メダルに輝いたのだ。紙面の右横に、「新田、監督と歩んだ20年 38面」と記事のアピールがあった。監督名はなかったが荒井秀樹さんだとすぐに分かった。早速38面を開くと「監督と道ひらいた20年」という見出しがあって、今大会に至るまで20年の歩みを紹介していたが、荒井監督の著作『情熱は磁石だ』の紹介はなかった。

 当時ぼくは、江東区深川スポーツセンターで企画開催されていた中高年のための登山入門講座の講師を担当していた。97年4月、荒井さんが新しい所長として赴任されてきたのだ。荒井さんと知り合うことで、ぼくはパラリンピックを知ったといっても過言ではない。パラリンピックという言葉だけは知っていたが、その意味も意義も知らなかったし、知ろうともしなかった。それはぼくだけの問題ではなく、当時の日本社会がパラリンピックへの関心が非常に低かったことの証左である。

 98年に長野県で開催されることになった、パラリンピックのクロスカントリースキーのコーチを引き受けることになったのは、95年の秋。

「ところが話を聞くと、障がい者のクロスカントリースキーの競技団体もなく、『いまは代表選手がいなくて、これから手を挙げてくれる人たちのなかから選ばなければいけない』、『誰を選べばいいのかが厚生省やスポーツ協会の人には分からないので、荒井さんに選んでもらいたい』、さらに『選んだ人たちを指導して、長野パラリンピックで頑張ってメダルが取れるまでに訓練してほしい』と、課題が山積みでした」(『情熱は磁石だ』本文より)「当時のメディアは、長野オリンピックには非常に注目していましたが、パラリンピックのほうはお寒い限りの状況でした。パラリンピックの聖火リレーのランナーやボランティアを募集してもなかなか集まりませんでした。強化費も出ず、スポンサーもなく、本当に“ないない尽くし”の状況でした」(同前)

 平昌パラリンピックは、オリンピックに勝るとも劣らぬくらい熱の入ったマスコミ報道があった。長野パラリンピックからの20年、選手一人一人のがんばりもさることながら、荒井さんの地道な尽力があればこそ、だと思う。『情熱は磁石だ』、ご一読頂きたい。

岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/





憧れのウユニ塩湖

2018-03-01 17:10:38 | Weblog

 2005年3月、アルパインツアーの現社長、芹澤健一氏に誘われて、“地球を遠足”第一回がネパール、アンナプルナ・ダウラギリ展望トレッキングとして、実施された。

 それから回を重ねて13年、2018年2月9日出発の「ウユニ塩湖」は、90回目になる“地球を遠足”だ。

 ウユニ塩湖は、南米大陸のほぼ中央に位置する内陸国ボリビアが有する、世界中の人が憧れる不思議な絶景である。

 9日9時、成田空港集合、11:30発のAA176便は、30分ほど遅れて離陸、日付変更線を越え、約11時間要してダラスに到着。4時間ほど待って12:55発でマイアミに飛ぶ。着16:40、さらに6時間の時間待ちで、22:40発のAA922便は、めざすボリビアの首都ラパスに10日の朝、7時前に着陸した。標高4085m、世界最高所にある国際空港だとか。風邪が抜け切らないまま出てきてしまったので、高山病っぽい。後頭部がドーンと重くて、足元がふらつく。

 ラパスはすり鉢状に凹んだ、不思議な地形の街。上の方は空気が薄いので、貧困層が生活する。底の方は標高3300m、空気が濃くなるので富裕層が生活する。一流ホテルも下の方に建てられている。我々が2連泊する5つ星ホテル、カミノ・レアル・スイーツもそこにあった。

 3日目は世界遺産ティワナク遺跡見学。4日目、国内線でウユニに飛び、四駆のジープで世界最大のウユニ塩湖をめざす。

 ウユニの街には、製塩工場があり、お土産屋さんがずらりと並ぶ。工場といっても家内工業のちいさなものだが、コーナーにならんでいるウユニ塩湖の塩を購入。

 今宵の宿、壁や床などが塩で作られた塩のホテルで長靴を借り、ジープはウユニ塩湖に突入する。けっこう水があるじゃんと思ったが、実際はくるぶしくらいの水深だった。ウユニ塩湖は乾期には水が干上がって鏡にはならない。12月〜4月の雨季、水が貼って鏡となる。

 ジープ4台、ウユニ塩湖のど真ん中で駐車、長靴を履いて湖に入ると、くるぶしくらいの水深であることが判明した。底は一面硬い塩の岩盤で、そこに鏡の秘密があるのかも知れない。

 塩湖のど真ん中にテーブルを出し、椅子を並べて昼食会場の出来上がり。なにはともあれ、憧れのウユニ塩湖体験が始まった。翌日もウユニ塩湖の散策。散策といっても、ポイントまでジープで走る。昨日に比し、湖面は泡立ちが少なく、本当に鏡のよう。感動というか、不思議な気分。乾期には塩の大地、雨季には塩の湖、こんな大自然をだれが作り出したのか。自然の偉大さと、世界の大きさを見せつけてくれたウユニ塩湖であった。

 この十年、海外で日本の若者を見るのが珍しかったのに、ウユニでは大勢いた。テレビの影響力に違いない。びっくり・・・。


岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/


単独行向きの人と向きでない人

2018-01-23 12:50:11 | Weblog

『山と渓谷』誌今月(2018年2月)号の特集は、「単独行レベルアップ術」である。「単独行レベルアップ術」とおおきな文字で印刷されている表紙には、「ひとりで山と向き合い、独力で登山を完結させる。単独行こそ山からもっと学べる」と赤文字で惹句が刷り込まれている。

 目次を見ると、最初に「単独で登る理由」がインタビュー記事で紹介され、次に「単独行を知る」という解説があって、単独行の遭難は重大化しやすいというリスクがあること、単独行の不安やリスクを軽減する方法が述べられている。続いて「計画」「装備」「行動」「リスク管理」など、単独行レベルアップ術が述べられている。各項目の間には、単独行者へのインタビュー記事が紹介されていて、単独行者への共感を呼ぶようになっている。

 単独行のリスクが大きいことは論を待たず、「単独行はやめよう」というのが登山界の基本的な考え方である。今回の特集記事は、不安やリスクの実際を挙げ、リスク管理を具体的にQ&A式に紹介しているとはいえ、「単独行のススメ」にほかならない。登山のリーディングマガジンともいうべき『山と渓谷』誌が、これでいいのだろうか?

 さてぼく自身、単独行についてどう思っているかというと、ホンネでいえば「是」である。立場上タテマエでは「単独行はやめましょう」で、どこの登山教室でも「単独行はリスクが大きいからやめよう」と指導している。親しい山仲間の一人が安達太良山から下山していたときのこと、諸般の事情で単独行動だった。ウィークデーの夕方近く、ポピュラーな山なのに前後に人影がなかった。彼は石車に乗り、転倒して足首を骨折。携帯電話もなかった時代でSOS発信のしようがなく、その場でビバーク、翌朝登ってきた登山者に助けられたということだ。「雨に降られなかったのが、不幸中の幸いでしたよ」と、ぼやいていた。

 ことほど左様に単独行はリスクが大きい。先の具体例を紹介し、「単独行はやめましょう」と、レクチャーを締めくくると、すかさず質問が飛んでくる。「自分は休みが不規則で、同行者を得にくい。やむを得ず一人で山に登ることが多いんですが、まずいですか」、ぼくは小さな声で「いいんじゃない」と返事をする。

 確信犯ならいいんじゃないか、とぼくは考えている。単独行はリスクが大きいのだから、単独行を勧めるような特集記事には疑問を感じるのだ。単独行をやってみようなんて考えたこともなかった登山者が、その特集記事に触発されて単独行をはじめるかもしれない、そんな危惧を感じる。じゃなくて、「単独行向きの人と向きでない人」という特集なんていかがなものか、と思ったりする。気の短い人は不向きとか、寂しがり屋はダメとか、そんな特集記事で、「単独行はヤメ」と考える人が増えたら面白い。自分はけっこう単独行をやっていたのに・・・。


岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/

 


ネームバリューある山からの撤退

2017-12-20 10:14:29 | Weblog

 いつだったかの「天声人語」に、思わず笑ってしまったジョークが紹介されていた。「豪華客船が沈み始めた。脱出を促そうと、船長は英国人に『飛び込めばあなたは紳士です』と言い、ドイツ人には『飛び込むのが規則となっています』と訴えた。日本人にはこうだった。『みんな飛び込んでますよ』」

 なにかの機会にこのジョークを紹介すると、周囲は大笑い。みんな分かっているんだ、と、思う。日本人は確かにそういう性癖があり、自分もその一人であるということを・・・。しかし、ホントに分かっているんだろうか、という疑問が胸の裡に湧かないわけではない。分かっているのなら、断固拒否する気概ある奴が、一人くらいいったていいではないか。

 残念ながら、そんな奴は一人もいない。みんなが飛び込んでいりゃあ、自分も飛び込む。プランニングのポイントは、みんながやっていることを見つけ出すことだ。

 先日、面白い現象をテレビが伝えていた。我々日本人の常識?では、思いもよらない所に外国人観光客が集まっているのだそうだ。観光案内書ではなく、インターネットで見つけた面白そうな所を訪ね、そこが面白かったとインターネットで紹介する。と、それを見つけた外国人観光客がそこを訪れる。その繰り返しで、そこを訪ねる外国人観光客は雪だるま式に増え、たちまち新名所に成り上がる。外国人のプランニングのポイントは、日本人とは対極にあるようだ。彼らは、みんながやっていないことを探し出す。

 日本百名山を登り終えると、二百名山をめざす。その次は三百名山だ。50歳から登山を始め百名山をめざしたとする。10年がかりで百名山制覇、二百名山をめざすのは60歳になってから。二百名山を10年がかりで制覇したときは70歳。三百名山をめざすのは70歳からになる。百名山より二百名山、二百名山より三百名山と山は困難度と危険度を増す。めざす側は加齢に従って体力は低下、技術も劣っていく。ネームバリューを追いかけるそんな登山を続けていて、事故が起きないはずがない。

 古稀を過ぎたら、ネームバリューを追いかける登山はやめにしよう。ネームバリューはないけれど、いい山はある。そんないい山、自分だけの山を探してみないか。探し方は簡単だ。ガイドブックを手にしたらパラパラとページをめくり、山名に馴染みの無い山のページを開く。次の日曜日に出かける山は、その山だ。

 加齢に従って足が上がらなくなったら、ネームバリューある山に決別する絶好のチャンスと考えて頂きたい。ぼくの場合、コースタイムが3~4時間の山を探す。近くに温泉があれば文句無し。山のネームバリューの無さを、温泉が補ってくれるからだ。みんなが登っている山ではなく、みんなが知らない山を探す。古稀を過ぎてからの、山プランニングのポイントである。

岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/


防災ヘリ有料化

2017-11-22 10:12:04 | Weblog

 埼玉県山岳連盟事務局から、防災ヘリが有料化される旨の連絡があった。くるものがきたか、というのが実感である。

 十数年前になるかと思うが、長野県から防災ヘリ有料化の話が出た。長野県内で発生する山岳遭難事故の当事者は、ほとんどが県外の人間だという。県外の人間のために県の予算を使うのは無駄遣い、という考えが根底にあったようだ。この時の話は立ち消えになったが、問題はくすぶり続けていた。

 数年前だったか、当時長野県山岳救助隊々長を務めていたMさんからきいた話がある。防災ヘリ出動を要請する電話が入った。八ヶ岳の地蔵尾根を下っているのだが、疲労困憊で動けない、というのが要請理由だった。Mさんが、「防災ヘリは出動中なので、民間ヘリを要請しましょう」と返事をすると、「じゃあ、結構です。自分で下ります」とのこと。

 街中でも救急車をタクシー替わりに呼ぶ輩がいると聞いていたが、登山者の中にも防災ヘリをタクシー替わりに呼ぶ猛者がいると知って、ホントにびっくりした。

 1963年4月、大学進学と同時にぼくは昭和山岳会に入会した。昭和では現役会員全員が年間掛け捨ての障害保険(山岳遭難保険)に加入していた。64年12月30日、南ア荒川前岳の雪崩で仲間5人が埋没した。全員を収容するまでに半年かかったが、捜索収容の費用のかなりの部分、保険が功を奏した。おかげで保険の重要性がしっかり飲み込めた。今日まで保険をおろそかにしたことはない。

 保険に入っていれば、防災ヘリ有料化など怖くはない。雪崩埋没や行方不明でヘリ出動の回数が多ければ、保険金をオーバーすることもあるが、筆者の数少ない体験では、防災ヘリ出動費用が保険金をオーバーしたことはない。

 もう一つの大きな保険が山岳会入会である。いつだったか、尾瀬の山ノ鼻で遭難予防の放送を聞いた。「遭難しないように、安全安心を期して登りましょう」という呼びかけで、もし行方不明になって地元消防隊の方に捜索をお願いすると、日当が夏で3万円、冬だと5万円かかります、だって・・・。夏で10人に出てもらって、10日間かかったとすると捜索費用だけで300万円必要になる。もし、山岳会に入っていて仲間たちが手弁当で捜索してくれれば、実費だけで済む計算だ。

 防災ヘリ有料化から大きく話が広がったが、昨今の登山、甘くなっているようで心配しているのは、筆者一人ではあるまい。インターネットで誘い合って山に行く。分かっているのはハンドルネームくらいで、本名も連絡先もわからない。その山行で事故があったらどうする。そんな事故が実際起こっているのである。

 今そこに山の危険は、あるのである。それと認識して、山岳保険に加入、山岳会に入会しておきたい。

岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/


いい山、発見 !

2017-10-20 10:35:17 | Weblog

 10月10日連休明けの火曜日、この日登った榛名・烏帽子ヶ岳~鬢櫛山が、ほのぼのとしていて実にいい山だったので報告したい。

 榛名山は上毛三山の一座、二百名山の一座として知名度は高いが山群の総称。最高峰の掃部ヶ岳のほか、水沢山、相馬山、二ツ岳、榛名富士、杏ヶ岳、居岳鞍など気軽にハイキングを楽しめるピークが多く、山好きに人気の山域である。烏帽子ヶ岳と鬢櫛山も榛名山群の一峰で、榛名湖北岸に位置する山である。

 ぼくと森田さんは高崎で佐田講師の車に拾ってもらい、榛名湖北岸の登山口に乗りつけた。佐田講師夫人の睦さんが登山口で合流、9時30分烏帽子ヶ岳めざして行動を開始した。コースは明瞭だが、大勢が押しかけている風ではない。

 榛名富士にはロープウェイが架かり、西岸には道路沿いに旅館やレストランが並び、観光地になっているが、北岸に回り込むと静寂の度合いが強まる。麓のうどんが良く知られた水沢山や相馬山、掃部ヶ岳などはガイドブックで紹介されているが、ちょっと奥まった位置にある烏帽子ヶ岳と鬢櫛山を紹介するガイドブックは少ない。大勢が押しかけている風がない訳である。

 昨今の登山初心者は、旅行会社の登山ツアーに参加する人が多いようだ。少し慣れてくるとガイドブックの中に面白そうな山を見つけ、そのページのコピーを取って、その記述通りにコースを歩いて善しとする。地図上に登ってみたい山を見つけ、自分なりにコースを設定して歩いてみる、という登山者は少ない。

 歩きはじめてしばらくしたとき、明るい雰囲気に気づいた。付近一帯は広葉樹の自然林だったのだ。あと2週間遅かったら全山紅葉だったのにね、などと話しながら足を上げていたら30分ほどで烏帽子ヶ岳と鬢櫛山の鞍部に着いた。

 10分ほど休憩してから烏帽子ヶ岳への登高再開。赤い鳥居をくぐると、山容そのままの急登がはじまる。山頂手前までは手すりのようにロープが張ってあって、登りの手助けをしてくれる。山頂直下はさらに急になり、足場も悪くなる。目の前に下がっているロープに助けられて乗り越すと、傾斜が落ちて笹薮になった。薮の中のトレースを追いかけると、すぐに1,363mの山頂があった。

 11時05分、10分休憩して下山、鬢櫛山にむかう。12時鞍部に戻り、10分休んでおにぎりを食べてから鬢櫛山にむかう。「鬢櫛山約30分、後半急坂」と書かれた札が立木に貼られていた。

 情緒ある自然林の中のトレースにゆっくり足を運ぶ。後半は急坂になるが、烏帽子ヶ岳にくらべればどうってことない。12時50分、鬢櫛山頂上1,350mに立つ。往路を下る。「いい山だったね」、14時10分、車にもどったときの第一声であった。

 いい山探し、はじめませんか。


岩崎登山新聞 http://www.iwasaki-motoo.com/home.html
無 名 山 塾 http://www.sanjc.com/