宇利城址を散策しました。(11月20日)
新城市は、東三河の遠州と国境にあり戦国時代、今川氏・武田氏と松平氏(徳川氏)との抗争の場所でした。
今日訪ねた宇利城址も家康の祖父、松平清康が東三河に勢力を伸ばした時代から今川氏が力をつけた時代にかけて戦いのあった城です。
詳しくは、こちらから戦国城ファンが詳しく紹介されています。
県道沿いに駐車場があり、案内看板に沿って歩くとすぐに入り口看板
中央付近が本丸のあった場所
本丸のある尾根は標高163mですので、ここから100mほど登っていきます。
見どころが案内されている。
尾根上を登っていきます。山城ですので尾根道以外は急峻な崖に囲まれている。
右に行くと御馬屋平があり、数年前には行っているのですが今回行ったところ荒れていて位置が分かりませんでした。
ここが城の大手口にあたり当時一番の戦いの場所になった場所
松平右京亮親盛(清康の叔父)が討ち死にしています。
1529年(享禄2年)に戦いがあったのですが3年になっています。
寛保3年(1743年)当領主建之と刻まれています。
こんな山城にお姫様がいたのでしょうか?
30分ほどで本丸に到着
戦国時代は周りの木々もなく里集落が一望出来たのでしょう。
本丸跡に当時の山城の推定図が描かれています。
本丸から見えた雨生山山頂付近、この山の向こうが今川氏の領地である遠州
今川氏方の宇利城主の熊谷実長がここを守っていた。
戦いに敗れ北に尾根を伝わって落ち延びたようです。その一族は豊根村まで落ち延びたとのこと。
確かに豊根村には熊谷氏が今でも多くいます。
本丸跡の周りは急な崖
宇利峠付近
小さな城跡ですので30分もいれば見る場所もないので帰ります。
新城市の中宇利地区にある宇利城址に散策、冬の間、城址や低山巡りかな。
なお新城市には、大きな城はないものの長篠・設楽ヶ原の戦いの長篠城
武田信玄最後の城攻めとなった野田城址、長篠城を守った奥平信昌がその前にいた作手亀山城
その奥田家を監視した古宮城、武田勝頼が落ち延びる時に立ち寄った田峰城などがあります。