食いしん坊スキーヤー

日本一を目指して走り続ける
公務員スキーヤーのリアルな日常。
まだまだ未熟な社会人
板橋 達基 気ままなブログ

アスリートの道徳

2016年03月13日 | 日記

高校球児は礼儀正しく、挨拶もハキハキしている。
強い選手は漏れなく、立派な人間性を兼ね備えている。

上記のような誤解を日本人の大半はしている。学生の頃、教授がそう話していたのを覚えている。当時の私も、それは本当にその通りだと感じた。もちろん、強い選手にも立派な人間性を兼ね備えている選手も多くいる。あくまでも、人間性と競技力が一概にも比例しないということである。

スポーツを通して人間形成を行うというのが、部活動の本質だ。厳しい上下関係、礼に始まり礼に終わる武士道、勝ち負けで得る経験、挨拶や、団体行動で得る協調性。

だが、意外にも強い選手の中には独特の近寄り難いオーラを持ち、厳しい上下関係にも礼をしないような我の強い選手がいる。特に個人競技においては、俺が俺がという程の我の強さがなければ上のステージで戦うのに不利ではないかと考える事もあった。
私はどちらかと言えば、内気だし、弱気な人間だ。人にこれだと言われたら、あまり強くは反論が出来ない。自らの人生の選択を全て自分でして来た訳ではない。もちろん、俺が一番だと言わんばかりに、オラオラしている選手にも憧れた時期もあったが、私にはそれが出来なかった。

スポーツ空間論という論理がある。
スポーツのリザルトと社会的地位を分けて考えろという論理だ。
同じ人間が現代社会をそれぞれのライフステージで生活し、同じ人間が凌ぎを削って競技をする。まったく切り離すのは難しいのかもしれない。
しかし、出来る事なら、私は誰にも棘は立てずに、協調しながら生活するしたい、競技者としては前の選手を横目にも見ずに追い越せるような人間でありたい。
複数のアイデンティティを持つべきなのか、自分でも何が自分のオリジナルかは分からないものだ。

だから道徳に解答はない。



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