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韓ドラ・・正祖暗殺ミステリー8日

2009年08月30日 | 映画・ドラマ
韓国ドラマ 正祖暗殺ミステリー8日(全10話) 2007作品
 

 1795年(正祖19年)正祖は、父(サド世子)の死後迎えた還暦の祭祀を行うため、母(ヘギョン宮)とともに墓のある華城へ園幸(ウォネン=王が宮廷外へ旅すること)する8日間の出来事。警備同行する、老論僻派は兵曹判書のシム・ファンジを中心にこの8日間を利用し王の暗殺を企む。刑曹参議のチョン・ヤギョンは、暗行御史(アメンオサ=王が地方に密使として派遣した官吏)と共に暗殺阻止のため頭を巡らせる。正祖は父の死を老論派の陰謀だと思っていた。そして母が父の死を前に、それを止めようともせず、涙も流さなかったことを不審に思っていた。正祖はこの8日間を通じ、「父について何も知らぬことは情けないこと」との思いで、母に父の死の真相を問いただして行く。展開が速く緊迫感のある筋仕立てです。影絵のタイトルロールもミステリー感を出しています。

 正祖は老論派ばかりでなく、対立する少論派や南人派からも人材を登用しました。領議政(ヨンウィジョン)の蔡済恭(チェ・ジェゴン)は南人派の儒学者で、丁若(チョン・ヤギョン)は刑曹参議など要職を務め、水原華城を設計、建築した学者ですが、正祖が亡くなった後僻派の粛清で流刑に処されます。

 派閥 西人派ー老論派ー僻派(サド世子の事件を正当化する論派、英祖を擁立した。)      
     西人派-少論派+南人派ー時派(サド世子の事件は間違いとする論派)

 ここからは結末ですので、見終わった後で読んでください。
 暗殺を免れた後、正祖と母は祭壇の横で祭祀を待つ。そこで母は真実を語る。
 ヘギョン宮「サド世子は民からの信頼が厚く、名君になるだろうといわれていたが、老論派に反旗を翻したため狙われた。私は夫か息子のどちらか捨てなければならない状況に置かれた。夫を捨て息子を助けるという決断をした。」
 正祖「老論派の母を追い出さず、父自身が犠牲になったのはなぜか。」
 ヘギョン宮「あなたを愛していたから。あなたを守るためです。サド世子にとって私は一人の母でしかなかった。」
 正祖は、この園幸で父母の真実の思いを知り、長いわだかまりが消えます。史実上名君と言われる正祖は、5年後不審な死を迎えます。改革も半ば、49歳の若さです。

 先週はこのドラマの鑑賞で終わりました。

風の絵師・・・その時代

2009年08月16日 | 映画・ドラマ
韓国ドラマ「風の絵師」の時代。昨日10巻見終わりました。

朝鮮王朝21代英祖(ヨンジョ)が、正王妃亡き後に迎えた貞純王妃(チョンスン)は老論派の巨頭の娘でした。政権を握っていた老論派は、世子が老論派を敬遠していることに危うさを感じ、英祖に世子の非行を上疏(じょうそ=事情をしるして王にさしだす)する。英祖は激怒して世子を米びつに閉じ込め、8日後に餓死させてしまう。後に英祖はこれを後悔し、世子に「思悼世子(サドセジャ)」という諡号(しごう=おくり名)を与えると同時に、その息子を王世孫(のちの正祖)に指名する。

朝鮮王朝22代正祖(チョンジョ)。1776年24歳で即位、1800年49歳で謎の死。正祖は、英祖の時にとった蕩平策(タンピョン=学派に関係なく平等に登用する)を継続していたので、王権が比較的安定していました。正祖は学問の振興のための「奎章閣」を設置・過去の法典に改修を加えた「大典通論」を編纂・商人の活動を自由化する「辛亥通共」政策と後世に残る仕事をしました。また庶民文化も華開きました。小説では、ドラマにもなった「洪吉童伝(ホンキルトン)」「春香伝(チュニャンジョン)」。絵画では、キム・ホンド、シン・ユンボクなどの風俗画。天主教(カトリック)も南人派の学者から庶民へと広がり、弾圧もたびたびありました。

キム・ホンド(画号 壇園 タンウォン)は、母方が画家の家系で、山水・人物・花鳥はもとより、風俗画も描きました。図画署員で正祖の肖像画も描いたようです。シン・ユンボク(画号 園 ヘウォン)は、代々が画家の家系で図画署員でした。両班と妓女を扱った風俗画を多く描いたので図画署を追放になったようです。キム・ホンドより10歳位若い。

「風の絵師」は、キム・ホンドとシン・ユンボクを主人公に、師弟愛・2人にかかわる10年前の事件(思悼世子の睿真=イェジン 死後書かれた肖像画にまつわる絵師の殺人事件)・貞純大王妃(正祖の祖母)一族の陰謀・陰謀に加担する大行首(ユンボクの父の死にかかわっている商人)などの出来事を、2人が残した絵とうまくミックスさせドラマ化しています。18話のユンボクと大行首の画評対決、19話のホンドとユンボクの絵に画評を加え勝敗を決める場面は見ごたえありました。また正祖の傍に仕える洪国栄(ホングンヨン)ですが、のちに勢力を増し政治を左右するようになります。これもドラマになってますが、私は未だ見てません。
正祖の生涯を描いたドラマ「イ・サン」は、某TV局衛星第2で放送が始まりました。朝廷内の陰謀の渦巻く中、悲惨な幼少(米びつ事件は10歳の時)から名君に成長する過程を、ゆっくり楽しみたいと思います。
(参考 絵で見る韓国の歴史 エムティ出版)

イルジメ 一枝梅 、仁祖王

2009年08月05日 | 映画・ドラマ

イルジメ 一枝梅 の時代背景。
16代仁祖(インジョ)王 1623年即位。 ヨン(イ・ギョム)が生きた時代の王。

1623年、西人派の擁立で即位するも国内情勢は最悪。
1627-1636年と2回にわたり仁祖は清に攻められ、2回目の時は南漢山城に逃げるも孤立無援になり1637年降伏する。その時に2人の王子が清の人質となる。ドラマでもありましたが、8年後帰国した王子を2ヶ月後に毒殺してしまう。
長男の王子は清に友好的であり、北京で西洋の天文学や数学に接する機会にもめぐまれて帰国したが、朝廷の権力は明派で大義名分にやかましい西人派が掌握していたこともあり快く思わなく結果毒殺されてしまう。

清の建国
1616年、明の支配下にあった大陸北東部の女真族が後金を建国(首都は瀋陽)。1644年、明の首都北京に入城しついに明が滅亡し清国誕生。朝鮮王朝の権力者はなぜ清を嫌ったか。高麗末期の朱子学が、中国における元から明への交替期に、漢族の明を「中華」として支持し、モンゴル族の元を「夷狄(イテキ)」として反対する国論を主導したことに起因する。その国論が朝鮮王朝の国論でもあるからです。

1649年 仁祖王が亡くなる。

ドラマでは仁祖王が天友会(=西人会)の一員、イ・ウォノ(ギョムの父)に疑惑を抱き、謀反人に仕立て暗殺するところから始まる。暗殺に疑問を持つ一員のシム・ギウォンは、解明に乗り出すも刑死されてしまう。仁祖派はクーデターを恐れているからギョムを殺そうとする。(ギョムは仁祖の弟ウォノの子なので、王位継承権を持つ)

士林派の台頭から王朝の基本的な理念が、朱子学という大義名分に縛られた学問一辺倒であったこと。学問の解釈の違いで派閥を作り権力闘争に終始したこと。清をいつまでも夷狄(いてき)視したこと。などが対外情勢を見誤る結果になる。

ドラマに、朝廷につかえる者の理念を一言で表したセリフがあります。シフ「あなたの大義とは何ですか?」、サチョン「私の大義とは天(=王)である」と。それに対し、学問に接することの少ない庶民には「人を思いやり、親を大切にする。」という儒教本来の教えが実生活から引き継がれています。その一例に、ヨンの家族の親を思い子を思う行動には涙してしまうほどです。

朝鮮王朝の歴史は、王自身の嫡子・庶子を含め子供が多かったことや王妃・中宮・その親戚・臣下と巻き込み、内々の権力争いの歴史でもあるように感じます。だからドラマにすると面白いのかもしれない!! 衣装も宮殿も色使いが鮮やかでファッショナブル!!
(参考 歴史物語 朝鮮半島 朝日新聞社刊)

イルジメ 一枝梅 、光海君

2009年08月03日 | 映画・ドラマ
韓国歴史ドラマを見て朝鮮王朝史に興味を持つようになりました。(歴史好きの歴女ではありますが)

イルジメ 一枝梅 の時代背景。
ヨン(イ・ギョム)の父が属していた天友会が、追放する事になる
15代王光海君(クァンへグン)1608年即位 について。

14代宣祖の側室の次男で、幼い頃より利口で頭の回転もよく速くから王室の中でも注目されていた。(宣祖の最初の正室に子供がなかった)

1592-1598と2回豊臣秀吉の侵略を受けた際、王世子(次の王位を継ぐ王子)として明の援軍を受け侵略阻止に活躍した。(結果は秀吉の死で倭軍が撤退する)

その後、明と清の戦いに巻き込まれることになる。明に援軍を求められ拒むことができずに総大将に期を見て降服するよう指示し援軍を出す。荒廃した国土を立て直すことを優先的に考えていたことによる指示であった。(明朝の劣勢で清に降伏する)

光海君を擁立していた北人派は、国内において王権の維持のため、反対する者達を容赦なく粛清していたこともあり、反対派の西人派にとって清への降伏は許せないことであった。1623年、反対派の西人派は14代宣祖の孫で光海君の甥にあたる綾陽君(ヌンヤングン)を擁しクーデターを起す。綾陽君が即位し仁祖王(インジョ)となる。
ヨン(イ・ギョム)の父が加入する天友会(ドラマでの)が起こしたクーデターの10年後位からドラマは始まっています。

西人派・北人派(東人派の分派)について
4代世祖王以降朝廷内の権力を掌握していた勲旧派(フングパ)という文臣グループに対抗する形で生まれた士林派(サリムパ)という、中央政界に進出してきた地方出身者の派閥。共に親明で大義名分にやかましい朱子学派。
(参考 歴史物語 朝鮮半島 朝日新聞社刊)(次回へ続く)     
訂正 土林派を士林派に訂正しました。09.8.13