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風の絵師・・・その時代

2009年08月16日 | 映画・ドラマ
韓国ドラマ「風の絵師」の時代。昨日10巻見終わりました。

朝鮮王朝21代英祖(ヨンジョ)が、正王妃亡き後に迎えた貞純王妃(チョンスン)は老論派の巨頭の娘でした。政権を握っていた老論派は、世子が老論派を敬遠していることに危うさを感じ、英祖に世子の非行を上疏(じょうそ=事情をしるして王にさしだす)する。英祖は激怒して世子を米びつに閉じ込め、8日後に餓死させてしまう。後に英祖はこれを後悔し、世子に「思悼世子(サドセジャ)」という諡号(しごう=おくり名)を与えると同時に、その息子を王世孫(のちの正祖)に指名する。

朝鮮王朝22代正祖(チョンジョ)。1776年24歳で即位、1800年49歳で謎の死。正祖は、英祖の時にとった蕩平策(タンピョン=学派に関係なく平等に登用する)を継続していたので、王権が比較的安定していました。正祖は学問の振興のための「奎章閣」を設置・過去の法典に改修を加えた「大典通論」を編纂・商人の活動を自由化する「辛亥通共」政策と後世に残る仕事をしました。また庶民文化も華開きました。小説では、ドラマにもなった「洪吉童伝(ホンキルトン)」「春香伝(チュニャンジョン)」。絵画では、キム・ホンド、シン・ユンボクなどの風俗画。天主教(カトリック)も南人派の学者から庶民へと広がり、弾圧もたびたびありました。

キム・ホンド(画号 壇園 タンウォン)は、母方が画家の家系で、山水・人物・花鳥はもとより、風俗画も描きました。図画署員で正祖の肖像画も描いたようです。シン・ユンボク(画号 園 ヘウォン)は、代々が画家の家系で図画署員でした。両班と妓女を扱った風俗画を多く描いたので図画署を追放になったようです。キム・ホンドより10歳位若い。

「風の絵師」は、キム・ホンドとシン・ユンボクを主人公に、師弟愛・2人にかかわる10年前の事件(思悼世子の睿真=イェジン 死後書かれた肖像画にまつわる絵師の殺人事件)・貞純大王妃(正祖の祖母)一族の陰謀・陰謀に加担する大行首(ユンボクの父の死にかかわっている商人)などの出来事を、2人が残した絵とうまくミックスさせドラマ化しています。18話のユンボクと大行首の画評対決、19話のホンドとユンボクの絵に画評を加え勝敗を決める場面は見ごたえありました。また正祖の傍に仕える洪国栄(ホングンヨン)ですが、のちに勢力を増し政治を左右するようになります。これもドラマになってますが、私は未だ見てません。
正祖の生涯を描いたドラマ「イ・サン」は、某TV局衛星第2で放送が始まりました。朝廷内の陰謀の渦巻く中、悲惨な幼少(米びつ事件は10歳の時)から名君に成長する過程を、ゆっくり楽しみたいと思います。
(参考 絵で見る韓国の歴史 エムティ出版)