【将棋】山田定跡をひたすら称賛するブログ

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これからは実名でブログへ投稿します

2024-08-10 00:21:11 | 雑記

以前から考えていたことだが、最近のSNS関連のニュースを見たことをきっかけに、これからは実名でブログへ投稿しようと思う。

2024年8月6日の読売新聞オンラインによれば、匿名のブログ投稿を名誉棄損だとして損害賠償を求めた訴訟において、被告に約120万円の支払いを命じる判決が下されたとのことだった[1]。このニュース記事では、投稿内容の一部が切り抜かれて紹介されていたため、前後の文脈を把握しようとブログを閲覧したが、残念ながら問題のブログ記事は削除されていた。

政府広報は「誹謗中傷と批判意見は違う」[2]としており、「相手の人格を否定または攻撃する言い回しは、批判ではなく誹謗中傷です。」[2]とのことだった。しかしこれだけでは、両者の違いは明確だとはいえない。

例えば、イデオロギー批判は、受け手の捉え方次第で誹謗中傷にも成り得るのではないだろうか。仮に私が資本主義を批判するとして、財閥の独占による経済停滞や、労働市場の失敗による児童労働の横行を理由として、痛烈な批判を展開したとしよう。多くの人は、自身のイデオロギーへの批判は価値観への批判と同じであり、価値観は人格形成で重要な役割を果たすのだから、結局のところ私の論を人格批判と捉えるだろう。人格批判が誹謗中傷に含まれるかどうかは議論の余地があるものの、イデオロギーの問題は代理戦争が起こるくらい深刻なものだから、そのように見做されても不思議では無い。

上記のように深刻に捉える方々は稀だとしても、何かしら不快に感じる方々は多いかもしれない。というのも、私が他人の論を批判する際に、その論の論理的矛盾を取り上げる事は少なくて、むしろその方法論や認識論(広い意味でのイデオロギー)へ視点を向けることが多いからだ。

だから、私がせめて出来ることは、批判は誠意誠実さに基づくという意思表示をして、他人が感じがちな不快感を軽減するぐらいだろう。その一環として、自分の論に責任を持つ意味も兼ねて、今後は実名でブログを投稿しようと思う。良く考えたら、学術論文には署名が必須なのに、ブログには匿名投稿が一般的なのは変だ。たとえ個人の日記のような内容であっても、それを個人的なノートに記すのでは無くて、わざわざブログ投稿を選択するのは、他人へ伝えたい思いがあるからだ。

 

【参考文献など】

[1] 読売新聞オンライン、「パリパラリンピック代表、名誉棄損で120万円賠償命令…「悪あがきもほどほどに」などと匿名投稿」、https://www.yomiuri.co.jp/national/20240806-OYT1T50223/、閲覧日:2024年8月9日

[2] 政府広報オンライン、「あなたは大丈夫?SNSでの誹謗中傷 加害者にならないための心がけと被害に遭ったときの対処法とは?」、https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202011/2.html、閲覧日:2024年8月9日



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