被災地と心ひとつに

2011-05-21 | 日記
帰路も1日がかりでしたが、無事戻ってきました。

5日間という短い期間で、どれだけ役に立てたのかという思いもありますが、行く先々で感謝の言葉をいただき、それだけでなく、多くのことを学ばせていただきました。

厳しい状況が続く中でも、商店を再開し頑張っている方、街の復興のため今自分にできることをと踏み出している方、大変な中でも明るさを失っていない方々に出会い、人間の素晴らしさに触れ、「きっと復興できる」と感じました。

まだ電気が通らない中、避難所から通って掃除し1番初めに営業再開させたお肉屋さん


総菜屋の開店に向けて頑張っている料亭の主人(佐藤町議と)


建設が進んでいる作業所近くの仮設住宅

しかしそのためには、それを応援するあらゆる支援がもっともっと必要です。
岡山からの物資や募金の支援、そして国の支援制度の強化など、ひきつづき被災地と心ひとつに頑張りたいと思います。


まだ片付いていない魚市場

明日、日曜日には全国から寄せられた物資を提供する無料フリーマーケット「みやこ復興まつり」も、地元の民商、新婦人、共産党などの共催でおこなわれます。


多くのみなさんのご支援をよろしくお願いします。

いま必要とされているもの…お米、野菜、果物、食器(新品)、衣類(春・夏物、ジャージなど)

直接送る場合は 日本共産党宮古地区委員会
        〒029-0052 岩手県宮古市宮町4-6-49

ボランティア終了

2011-05-20 | 日記
今日、物資を届けたお宅は、家を失った4人家族を受け入れていますが、身内といえども不満がたまって、お互いに大きなストレスになっている様子でした。

住民から要望を聞く佐藤町議(左端)と、すますさん(中央)

その上、物資は何も配給されないので、経済的にも大きな負担になっています。

他の家庭では、介護施設に入っていたお年寄りが施設が津波にあい、命は助かったものの、寝たきりの状態になってしまったそうです。

こうした状況を自治体がしっかり把握して手がうたれるようになるには、まだまだボランティアの力を借りることが必要だと思います。

引き続き、岡山の地から出来る支援にとりくみたいと思います。

岩手のみなさん、お世話になりました!ありがとうございました。

田老地区の被害

2011-05-19 | 日記
ボランティアの合間に、なるべく被災現場にも足を運ぶようにしています。

昨日は宮古市田老地区の崎尾市議の案内で、被害の激しいところや避難所を回りました。

田老は、明治29年の津波で大被害を受けたため、高さ10m×2.4kmの二重堤防が建てられ、地元では「万里の長城」と呼ばれていたそうです。

破壊された堤防と津波で何もかも流されてしまった町並み

ところが、最大38.9mという大規模な津波が堤防を破壊し、町を飲み込みました。

最大の波が襲った入江

2500世帯中1600世帯が全壊となり、現在も600人余りが避難所生活、80人が仮設住宅で暮らしています。

段ボールで仕切られた避難所


避難所のわきに建設された仮設住宅と国から支給された家電製品

仮設住宅の脇には「たろちゃんテント」という商店会が建てられ、津波で店を失った17店舗が営業していました。


崎尾市議のお宅も自動車整備工場で、全壊ですが、3月28日から工場を再開させて頑張っておられます。
宮古の自営業者の不屈さには、とても励まされました。

崎尾市議の工場と自宅(解体するため、ほぼ当時のままになっている)

連帯の力で

2011-05-19 | 日記
今日は、再び山田町の佐藤町議さんと一緒に在宅避難されているかたのお宅などを回っています。

佐藤町議の作業所に通っている障害者のお宅や、被災者を受け入れているお宅など、社会福祉協議会などの支援が行き届いていないところを物資を届けて回ります。

佐藤町議と一緒に活動しているお寺の住職さんともお話しました。
家族や親戚のところに避難しているお年寄りが、長期間になると色々な問題も生まれて居づらくなり、避難所に戻って来る方もいるそうで、「自分のところで老人ホームのようなものを作りたいと思っている」と話しておられました。

佐藤町議も「こういうときに人間の真価が問われる。頑張りましょう」と。

こうやって個人で頑張っている方々もいるんだと知り、連帯感を感じました。

午後からも頑張ります!

被災者もボランティアに

2011-05-18 | 日記
今日のボランティアは、配給センターの衣類の仕分け作業でした。

支援物資の保管場所

このセンターは、物資がお店のようにキレイに陳列されていて、利用されていた方もとても嬉しそうでした。


自ら被災された方や親族が被災された方もボランティアで来られていて、いろんな話を聞かせてもらいました。

「生き残ってしまったから、何かしないと。いてもたってもいられなかった」
「2ヶ月経つけど、時間が止まった感じ」
など、率直な気持ちを話してくださいました。

そうした気持ちを乗り越えて、生きてて良かったと思えるような復興をしなければと思う1日でした。