ボランティアセンターの活動

2011-05-18 | 日記
今日は、これから宮古市ボランティアセンターの活動に入ります。

新里トレーニングセンターに寄せられている支援物資の仕分け作業です。

物資は沢山寄せられているそうですが、昨日宿泊させていただいたお宅で、「お米などは自宅避難者には届いておらず、自治会で購入して配ったと聞いて、市に寄せられているお米をもらいに行くように言った」という話を聞きました。

そのへんの様子もしっかり見てこようと思います。

共産党議員の献身的な活動

2011-05-17 | 日記
現地に来て改めて感じるのは、共産党員のみなさんの本当に献身的な活動のすごさです。

とくに議員のみなさんは、自分のことよりも地域のみなさんのために休みなく働いておられます。

佐藤町議は、家が全壊し住めなくなったため、共生作業所に住み込んで、障害者のみなさんが利用できるように復旧し、4月6日から再開されたそうです。

さらにそれだけでなく、全国から届けられる物資を地域のみなさんに届けるなど支援センターの役割も果たしています。

ただ、あまりの多忙さに、体を壊すのではないかと心配です。
復興までには長期間かかります。
体と心の休息も取りながらの活動が大切だと思いました。

山田町の被害の実態

2011-05-17 | 日記
山田町は人口19,300人、死者565人、不明者299人。
5,900世帯中、倒壊家屋は全半壊あわせて51%、全壊だけで45%ということですから、津波の威力の大きさがわかります。
海岸沿いの町なのでほとんどが波にのまれ、家も商店も跡形が無くなっており、言葉が出ないほどの光景でした。


この地域は、明治29年、昭和8年、そして51年前のチリ地震でも被害を受けており、津波に対しての警戒意識はある程度あったそうですが、被害が拡大したのは、昔の津波の倍近い10~12mの波が襲ったこと、津波で助かった建物も火事で燃えてしまったこと、第一波の後に戻った人が第二波、第三波に飲み込まれたなど、二重三重の要因が原因となったそうです。


まだ30か所の避難所に3,000人、そのほかに1,000人の方が避難生活をしておられるそうです。
今一番に求められるのは仮設住宅の建設ということで、急ピッチで行われていました。

「やまだ作業所」近くの仮設住宅建設地

佐藤町議は、避難所を回って今後の対策などを説明しておられるのですが、「まだ話を聞けるような状況ではない」というところもあるそうです。
いろんなことを同時進行で行わなければならないので、本当に大変です。
佐藤町議の献身的な奮闘に頭の下がる思いがしました。

支援開始

2011-05-17 | 日記
今朝、6時半に盛岡を出発して、日本共産党宮古地区委員会に寄ったあと、山田町の佐藤照彦町議が運営する精神障害者事業所「やまだ共生作業所」に伺いました。
今日は、佐藤町議と一緒に在宅被災者のお宅を回り岡山から持ってきたお米を届けます。
午前中、海沿いの街を回りましたが、荒れ野原と化していました。

このあたりは地震が起きてから津波が来るまで数分しかなかったので、逃げ遅れて犠牲になった方も多かったそうです。

詳細はまた後ほど報告します。

盛岡到着!

2011-05-16 | 日記
先ほど、盛岡市にある日本共産党岩手県委員会に無事到着しました!

16時間の長旅でしたが2人とも元気です。
途中、高速道路のあちこちが舗装してあったり、工事中の所もありました。

盛岡市内は被害が出てないそうですが、明日から支援に入る山田町は大きな被害が出ている地域です。
今晩、しっかり疲れをとって明日から頑張ります!