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月光館

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木戸幸一

2012年12月30日 02時00分39秒 | 書評
数年前、個人的に真珠湾攻撃とソ連の謀略に関して調べたとき、木戸幸一が怪しいと思った。
私の不勉強かもしれないが、木戸幸一は近衛文麿や東条英機と違ってあまり研究された形跡もないし、いろいろな著作も少ないような気がする。
(曖昧な記憶で心もとないが)比較的最近の工藤由美子の著作『われ巣鴨に出頭せず』とか鳥居民の『近衛文麿、「黙」して死す』にも少し書いてあった程度だったと思う

木戸幸一はゾルゲ事件との関係がある太平洋問題調査会(IPR)の都留重人やハーバート・ノーマンなどとの交友関係を見ると赤い思想を持ち合わせていなかっただろうかと思う。
(ちなみに近衛文隆の交友関係者、ブレーンのかなり多くにIPR関係者がいる)

これは元防衛大学校教授の瀧澤一郎先生の説であるが、当時、ソ連は日本の中央部、つまり皇室に赤化工作を行っていたようなところがあるという。

実際近衛文麿の長男、近衛文隆は終戦後、満洲の圖椚からソ連軍の特殊部隊に拉致されスパイにしようとたくらんだソ連当局によって監禁されていた。
しかし近衛文隆は自分の命より祖国を選んだためソ連によって殺された(1)

近衛文麿が赤化していて交友関係が赤いということはものの本に散々書かれていることである。
昭和25年に戦前に国会議員であった三田村武夫『戦争と共産主義』(2)あたりから延々と書かれている。

やはり木戸幸一は内大臣だったからあまり詮索するのも気が引けたのか、それとも単に見落としていただけか、あるいはある種の反日勢力が意図的に隠していたか。

二・二六事件で参加した将校の即時処刑に彼が関与してるのかどうかは詳しく知らないが、226事件を事前に知っていたようだ(4)。
二・二六事件は皇道派の青年将校たちが起こした事件で、この事件の所為でシナ大陸進出に慎重で皇道派と目されていた眞崎甚三郎大将(3)が事実上の更迭を受ける結果になり、のちのシナ事変につながる事件。
(ちなみに中川八洋先生は二・二六事件で参加した将校を皇道派に偽装した共産主義者の説を唱えている)
もし事前に二・二六事件を阻止していたならば20世紀後半のアジアの悲惨な赤化の歴史は防げたのではなかろうか。
実は昭和天皇自身は眞崎のことを信頼して、後々二・二六事件での一件を悔いておられたご様子であったと思う。
この事は眞崎大将の息子・真崎秀樹を外務省から呼び寄せ、お側に仕えさせていたという事実からもわかる。
だから私は眞崎を追いやったのは木戸幸一という話もまんざら嘘ではないと思う。
(ちなみに木戸幸一が内大臣になったのは昭和15年以降)

そういう話を聞いて考えると木戸幸一は陛下の名を借りて悪行を働いた輩のような気がしないでもない
(無論、悪行を働いた輩は他にも沢山いたが……)
ますます怪しい。



(1)詳しくは『プリンス近衛殺人事件』参照

(2)一度はGHQによって一般市場への発禁処分を受けた著作だが、現在は「大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 」の名前で復刊されている。なお、当時近衛内閣に商工大臣で参画していた岸信介はこの本に推薦状を書いている

(3)真崎甚三郎大将は満州事変ですら慎重な姿勢であった。山口富永著『二・二六事件の偽史を撃つ』参照

(4)孫引きだが『華族―昭和百年の側面史』参照

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