悟っていない人間、つまり解脱していない人間の霊視やチャネリングは幽界レヴェルだと以前に書きました
ある意味では幽界のほうがこの地上よりも情報が限られています、あくまでもその一側面としてですがね
これはなぜかと言えば、その人の波動領域の範囲内での視野で判断しているからです、言い方を変えれば自分の知っている範囲で判断したことを語っているだけです
この意味で地上で限られた視野の人となんらかわりのない範囲での判断になり、ある側面では地上よりも限られた視野といえるのです
ある意味この地上での視野とはどれだけ客観的に世界を観ることができるかだと思います(一側面です)
ここで範囲と書いていますが、別に次元(波動領域)と次元の間になにか明確な境界のようなものがあるのかといえばそんなものはないと思います、私は思うのですが、私達人間もそうだと思います、覚者とそうでない人の間に境界はないように思います、なぜなら解脱や魂の進化というのはその本人にのみ意味があるからのように感じるからです
この地上と幽界の想念のエネルギーの差というものがあります、このエネルギーとは想念の大きさと言いますか、観念の大きさ(重さ)です(説明むつかしい^^)
かんたんな譬えで言えば「これはりんごです」という観念は数億人分いや先祖を入れればもっと大きな観念(固定観念)という共同幻影のエネルギーが蓄積されていますが、幽界は違います、地上のように固定されたものではなく、本人だけの観念といいましょうか、かなり可塑的な要素を含んでいます
なにを言いたいのかと言えば、ひとつの現象を起こしたり変化させるのに必要なエネルギーはごくごくわずかで済むということです
ここでは目の前のりんごを「いや、これはみかんだ」と必死で思ってもりんごですが幽界ではその人の思いひとつでいかなる物質にもなるということです
で、幽界にもこの地上に近い世界もあります、ここで言う近いというのは距離的なものではありません(もともと距離などないですから)、地上での固定観念がそのまま維持されているような波動領域です、もしあなたが亡くなってもそこの世界は時間も距離もあり、日本も東京も大阪も家族もありと亡くなる前と同じという認識(極端ですが)に陥ってしまったとすればここと同じような生活を送るということです、つまり世界と言えば地上ではこの地球という物質ですが幽界の世界とはまるまる自分自身で造り出している心の世界なのです(厳密には地上も同じです)
この地上に近い世界から解放されるには、なにが必要なのかと言えば、決していいことをするとか仏さんに手を合わすというのではなく、制約された意識を開放することです、簡単に言えば意識を変えることです、幽界では「飛ぼう」と思えば飛べるのですが、ここに近い住人はそんなことはまさか思いません、たとえば京都に住んでいれば(意識の中だけですが)大阪に行く場合、バスに乗って電車に乗ってとするのですが、ドラえもんのようにどこでもドアの世界にもなります^^
そりゃあどこでもドアがあったほうがいいですよね、とっても快適だと思いませんか?食べたいものは思えば出て来るし、地上で好きだった渡辺謙さんにも「会える」と思いさえすれば会うことができるのですから^^
ただ目の前に謙さんが現れてもそれは謙さんそのものではないですがね、笑
謙さんのパーソナリティというやつです(注)
で、幽界でも地上という世界を認識している人も当然います、もし低いレヴェルの住人で、低いレヴェルの霊能者からコンタクトを取られれば「しめしめ。。。」
というレヴェルの話はいくらでもあります
ただ「あ」さんがおっしゃるように、幽界と言ってもとても広く、それはひょっとすると無限という言葉を使ってもОKなくらい大きく複雑な世界なので、私達や霊能者の言う幽界はそのごくごく一部分程度だと思っておくのがいいと思います
たとえばすべての地球の表現(海や大地からアリンコやバクテリアまで)を表すのは困難だ、という感じです
霊能者の言っていることも、地球で言えば大阪の通天閣界隈を「これが地球のすべてです」と言っていると勘違いするのは危険です
私達には(霊能者も含め)想像も及ばない世界や高いレヴェルには思考を超越した世界もあるのだと思っておくのが賢明だと思います
怪しい霊能者を見分けるのは簡単です、否定的な教義や敵を造ったり本来神レヴェルには「他」が存在しないのにやたらと周りを引き合いに出したり、攻撃したり、つまり人間性そのものを観ればわかります
ましてやそれがその指導者個人的な見解ではなく「神示」そうです、どこかからの啓示となれば発信者の出所はこの世で道徳や人としてを普通に学んで来た人なら理解できるはずだとは思うのですがね^^
長くなってしまいそうなので、、、、、このへんで^^
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ある意味では幽界のほうがこの地上よりも情報が限られています、あくまでもその一側面としてですがね
これはなぜかと言えば、その人の波動領域の範囲内での視野で判断しているからです、言い方を変えれば自分の知っている範囲で判断したことを語っているだけです
この意味で地上で限られた視野の人となんらかわりのない範囲での判断になり、ある側面では地上よりも限られた視野といえるのです
ある意味この地上での視野とはどれだけ客観的に世界を観ることができるかだと思います(一側面です)
ここで範囲と書いていますが、別に次元(波動領域)と次元の間になにか明確な境界のようなものがあるのかといえばそんなものはないと思います、私は思うのですが、私達人間もそうだと思います、覚者とそうでない人の間に境界はないように思います、なぜなら解脱や魂の進化というのはその本人にのみ意味があるからのように感じるからです
この地上と幽界の想念のエネルギーの差というものがあります、このエネルギーとは想念の大きさと言いますか、観念の大きさ(重さ)です(説明むつかしい^^)
かんたんな譬えで言えば「これはりんごです」という観念は数億人分いや先祖を入れればもっと大きな観念(固定観念)という共同幻影のエネルギーが蓄積されていますが、幽界は違います、地上のように固定されたものではなく、本人だけの観念といいましょうか、かなり可塑的な要素を含んでいます
なにを言いたいのかと言えば、ひとつの現象を起こしたり変化させるのに必要なエネルギーはごくごくわずかで済むということです
ここでは目の前のりんごを「いや、これはみかんだ」と必死で思ってもりんごですが幽界ではその人の思いひとつでいかなる物質にもなるということです
で、幽界にもこの地上に近い世界もあります、ここで言う近いというのは距離的なものではありません(もともと距離などないですから)、地上での固定観念がそのまま維持されているような波動領域です、もしあなたが亡くなってもそこの世界は時間も距離もあり、日本も東京も大阪も家族もありと亡くなる前と同じという認識(極端ですが)に陥ってしまったとすればここと同じような生活を送るということです、つまり世界と言えば地上ではこの地球という物質ですが幽界の世界とはまるまる自分自身で造り出している心の世界なのです(厳密には地上も同じです)
この地上に近い世界から解放されるには、なにが必要なのかと言えば、決していいことをするとか仏さんに手を合わすというのではなく、制約された意識を開放することです、簡単に言えば意識を変えることです、幽界では「飛ぼう」と思えば飛べるのですが、ここに近い住人はそんなことはまさか思いません、たとえば京都に住んでいれば(意識の中だけですが)大阪に行く場合、バスに乗って電車に乗ってとするのですが、ドラえもんのようにどこでもドアの世界にもなります^^
そりゃあどこでもドアがあったほうがいいですよね、とっても快適だと思いませんか?食べたいものは思えば出て来るし、地上で好きだった渡辺謙さんにも「会える」と思いさえすれば会うことができるのですから^^
ただ目の前に謙さんが現れてもそれは謙さんそのものではないですがね、笑
謙さんのパーソナリティというやつです(注)
で、幽界でも地上という世界を認識している人も当然います、もし低いレヴェルの住人で、低いレヴェルの霊能者からコンタクトを取られれば「しめしめ。。。」
というレヴェルの話はいくらでもあります
ただ「あ」さんがおっしゃるように、幽界と言ってもとても広く、それはひょっとすると無限という言葉を使ってもОKなくらい大きく複雑な世界なので、私達や霊能者の言う幽界はそのごくごく一部分程度だと思っておくのがいいと思います
たとえばすべての地球の表現(海や大地からアリンコやバクテリアまで)を表すのは困難だ、という感じです
霊能者の言っていることも、地球で言えば大阪の通天閣界隈を「これが地球のすべてです」と言っていると勘違いするのは危険です
私達には(霊能者も含め)想像も及ばない世界や高いレヴェルには思考を超越した世界もあるのだと思っておくのが賢明だと思います
怪しい霊能者を見分けるのは簡単です、否定的な教義や敵を造ったり本来神レヴェルには「他」が存在しないのにやたらと周りを引き合いに出したり、攻撃したり、つまり人間性そのものを観ればわかります
ましてやそれがその指導者個人的な見解ではなく「神示」そうです、どこかからの啓示となれば発信者の出所はこの世で道徳や人としてを普通に学んで来た人なら理解できるはずだとは思うのですがね^^
長くなってしまいそうなので、、、、、このへんで^^
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