あくまでも私の感覚を簡単に書けば、、、
受動と能動
元々時間も距離もない世界にそれを心に創りあげる
時間という固定観念があるためそこにゆらぎのような心の変化を生じさせる
ただひとつの生命の生命は愛であり慈悲であるのですが
それに意味を持たす、影が生じる
ただひとつのエネルギーを向こうから見れば愛と感じ、こちらから見れば憎しみを感じさせて、そこで始めて愛の意味ができる
太陽の光は普通透明に見えるけど、特殊な機械を透せば多様多彩な本来の色が入り混じっている
これらの色が現象世界の観念、つまり幸せと不幸せや裏と表と置き換えると
この現象世界には全てが存在し、それがたとえば全て見え、そして愛や光が現実味と感じ、憎しみや影、つまり否定的なものが絵に書いたもちのように、ただそこにある状態だど体感できたとする
そうなればそれが多様な色が入り混じって透明の光になる現象と同じく
全てが在ると感じる意識状態が「無」となる
「無」や「空」は、なにもないでなく
「全てが在る」状態である
と感じる
いろはの「い」
受動と能動
元々時間も距離もない世界にそれを心に創りあげる
時間という固定観念があるためそこにゆらぎのような心の変化を生じさせる
ただひとつの生命の生命は愛であり慈悲であるのですが
それに意味を持たす、影が生じる
ただひとつのエネルギーを向こうから見れば愛と感じ、こちらから見れば憎しみを感じさせて、そこで始めて愛の意味ができる
太陽の光は普通透明に見えるけど、特殊な機械を透せば多様多彩な本来の色が入り混じっている
これらの色が現象世界の観念、つまり幸せと不幸せや裏と表と置き換えると
この現象世界には全てが存在し、それがたとえば全て見え、そして愛や光が現実味と感じ、憎しみや影、つまり否定的なものが絵に書いたもちのように、ただそこにある状態だど体感できたとする
そうなればそれが多様な色が入り混じって透明の光になる現象と同じく
全てが在ると感じる意識状態が「無」となる
「無」や「空」は、なにもないでなく
「全てが在る」状態である
と感じる
いろはの「い」