いろはの「イ」

真理は語れるのですか?

国産み

2012-04-28 20:55:57 | Weblog
始まりがあるから終わりがある

終わりがなければ始まりもない

つまり、時間の経過

スタートがあればゴールがある、これ距離

幸せと不幸せ、上と下、勝つ負ける

この地上の全ては対極となっている

私はこれを神が創りあげたと感じる

それも人の外側ではなく心の内側にだ

日本神道の中に国を産むためイザナミノミコトが、天御柱を廻るのですが

始め男神が右に廻り女神が左に廻り流産してしまい、逆にして成功した話があります

ちなみに男神は、天、火、エネルギー、太陽、能動で、女神が大地、海、水、物質、月、受動です

私は世界は元々唯ひとつの生命しかなかった、つまりこれがイエスの愛、釈迦の慈悲

それを物質の世界を産むために光と影、善悪、上と下、過去と未来、暑い寒いを人の心の内側に創りあげたと感じます

考えてみると善と悪でひとつで、その判断はそれぞれの人の心が決定する

憎悪は愛と正反対のように感じるけど、本来は絶対愛としての共通のエネルギーがあるだけで

その愛の最も未熟な表現が憎しみとなるのです

ただこれらは幻でなく

本来は光(愛)しかないのですが影(憎しみ、否定的な要素)とは実在しなく、その光の反射、反響である

つまり光に因って生じる影のようなものです

それらが見えなくなれば「無」つまり悟るのでなく、それら全てが一望されたときに「無」となるのだと核心します

雑念を捨てるのでなく、眺める

これ、結構面白いですよ


いろはの「い」

1 コメント

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愛憎 (鬼雷)
2012-04-30 18:31:54
無心に還れば、空。しかし、伊勢白山道リーマンさんでさえ救わねばならないように感じます。意味不明ですみません。