日本の飲食業を近代化された、第一人者であると思います。
小生もお世話になったひとりです。
外食産業などと言う言葉すらありませんでした。
思い起こせば昭和52年にロイヤルさんが東京進出!というニュースを聞き、福岡の本社に、米の売り込みに行ったのでした。
当時は食管法が厳しい時代で、米の販売は隣接市町村までという、信じられない制度でした。
博多の本社、出来上がったばかりの階段教室で、店長、料理長が揃う中、美味しいご飯にするにはどうするかという話しをさせて頂いたことを思い出します。
そして、東京都三鷹市に東京進出1号店を開店した際に、米を任されたのです。
開店前から、来る日も来る日もスタッフの訓練をされていました。
お客様が来店されたら、席まで案内するというような、当時では画期的なサービスも取り入れていました。
ご飯も最高の状態で出せるように、当時の弊社スタッフがつきっきりで現場に入っていました。
飲食業が産業として認められるよう、孤軍奮闘されていました。
当時、日本興業銀行というところは、大企業中心で、飲食業など融資先としてまったくありませんでした。それを、粘りに粘り、取引を開始したことも有名です。
(今や、興銀もありません)
また、株式上場ということも飲食業では最初であったと思います。
そういう、素晴らしい先輩経営者のおかげで、今日の外食産業があることを忘れてはいけないと思います。
陰ながら、ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
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市川 稔
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