窓辺びより

毎日が平凡だなんてとんだ勘違い。カーテンを開けよう。ほら、今日も窓辺びより

4日目の走行記録。

2010-09-19 01:53:21 | 自転車
4日目の走行記録は次のとおり。

出発:三重県四日市市
到着:愛知県豊川市
走行距離:113.90km(積算366.50km)

通過した町: 三重県 川越町 朝日町 桑名市
       愛知県 蟹江町 名古屋市 豊明市 刈谷市 知立市 安城市 岡崎市


3日目の分がまだだけど、とりあえず4日目の分を手短に書いておこう。

3日目は鈴鹿峠の峠道がメインだったけれど、4日目は食べ物?がメイン。

四日市のネカフェを後にして、まずは昨晩行きたかったけれど断念した四日市コンビナートへ。国道1号から海沿いの道まで、行き方がわからず苦戦。川沿いの土手道を行こうとしたらいきなり目の前に線路が現れて道が寸断されたり……

霞ヶ浦緑地公園はコンビナート好きが写真を撮るメジャースポットらしい。コンビナート好きって何やねんって話だけど、うねうね走るパイプやら、もくもく煙上げる煙突やら、そういうのを見ていると圧巻される。ハウルの城って外が色々ごちゃごちゃしてて、でもそれがいい雰囲気をかもし出してるやん?あんな感じ。

コンビナート見物の時当然海が見えていたけど、よく考えたら神戸を出て以来久しぶりの海だった。伊勢湾だ。

四日市を後にして、川越町と朝日町2つの町を過ぎると桑名市に突入。去年東京から神戸まで在来線で帰った(18きっぷ)ときは桑名で滞在できる時間がわずかしかなくて、結局何もできなかった。今回はぜひとも桑名名物の焼きはまぐりを食べたいところ。

と、その前に昨日から旧東海道づいてるものだから、七里の渡し跡、というものを見に行ってみることに。桑名と熱田(愛知県名古屋市熱田区)を結んでいた渡し船の航路がちょうど七里、約28kmであったことに由来する。当時の船着場は、現在は公園になっている。途中で朝市をやっているのを発見したので、朝市に立ち寄ることに。活気にあふれた商店街のとおりにめいめいが露店を出し、野菜や海産物、そして桑名の名物であるしぐれ煮(志ぐれ、と書く)などが売られている。

少し奥まで歩くと志ぐれの店があり、そこで焼き蛤ののぼりを発見。注文して早速食べてみたけど、おいしい。お茶もいただいた。店頭には、「みなさんはしぐれ煮と言えば海のものだけだと思っていませんか?」という誘い文句と共に「チャーシューの志ぐれ」が新商品として売られていた。そ、それってつまり普通に豚の角煮なのでは?w

市場で蛤の志ぐれもゲット。志ぐれを中心に漬物を扱う露天だったのだけど、そこの店の方から冬になるともっと商品数が増えるんだと聞いた。

さて、桑名を後にして木曾三川を渡ればそこは愛知県。国道1号は橋の架け替えが進んでいて、川を渡るたび撤去された古い橋の名残を見ることができた。愛知県に入っても、名古屋市街に入るまでは田んぼが割と多く見られるのんびりした地域。とちゅう釣堀みたいなものがいくつか道のそばにあって、なんだろうと思っていたら金魚や鯉の養殖なのだった。種類ごとに1×1mのトレイに入れられ、色々な金魚を販売している金魚屋もあった。

名古屋市街、といっても、国道1号自体は名古屋駅から南に5kmほどはなれた所を走るので名古屋城なんかが直接見えるわけではない。名古屋駅に寄り道して帰って来ると10kmもかかるのでそれはさすがに断念。そのかわりといっては何だけど、国道沿いにある熱田神宮に参拝していくことに。

境内に入って驚いた。参道の両側は森のようにたくさんの木が生えているのだけど、その木の根元になんとオレンジのニワトリがいるではないか。別に飼われている訳ではないらしく、境内のあちこちで自由に木々の間を歩いていた。不謹慎ながら一瞬脳裏に名古屋コーチンが浮かんで、実はこいつは養鶏場から逃げてきて第2の人生を歩みだしたんじゃないかとか思ったけど、別にそんな事はなくてもうずいぶん昔からすみついているらしい。夜になると野犬に襲われたりするのを防ぐため自分で木の上にのぼるらしく、さすが野生のニワトリは一味違う。

そうそう、境内できしめんを食べた。冷製のきしめんを注文。「冷製」を「こち」と読ませるらしい。しょうゆベースのだしは赤だしという。上品なうす味でおいしかった。

熱田神宮を後にすると、にぎやかだった街はだんだんまた郊外化していく。気がつくと前方に静岡方面の山が見えるようになり、振り返ってももう三重県側の鈴鹿山脈のつらなりは見えなくなっていた。濃尾平野を横断しようとしている。

名古屋市から豊明市に入る所で、いきなり桶狭間という名前の交差点が登場。まさか?と思っていると少し先に「桶狭間古戦場跡」という碑が立った場所があった。児童公園ほどの狭いスペースにいくつも石碑が立っているだけだが、1つ1つの石碑が今川義元をはじめ誰がどこで戦死したかを示しているらしく、目の前のこの場所で首が飛んだのだと考えると少しなまなましい。

知立市に入ったところで、沿道にある藤田屋さんに寄り道。藤田屋は知立名物の大あんまきを作っている店で、おみやげ売り場にはたくさんの人が大あんまきをもとめて並んでいた。しかし今回の目的はあんまきではなく、どて焼き定食。昨晩ネカフェでなんとなーく調べ物している時にこれがおいしいと書いてある記事があったので食べてみることに。どて焼きというのはもつ煮込みのようなもの。きしめんとちょっと間隔が詰まっているけど、これで夕食。

知立を出て、岡崎に着いた頃にはあたりはすっかり真っ暗。ちなみに岡崎は町の中心部が国道から離れているのか、国道沿いは真っ暗でコンビニすらなかった。交差する南北方向の道は街路灯もしゃれたものがついていて明るいのにね。国道だけがひたすら暗くてなんだか変な感じ。

岡崎辺りで今晩泊まってもいいかなと思ったけれど、今晩のうちに少しでも咲き尾に進んでおきたくて山を越えた先の豊川まで向かうことに。地図では途中かなり両側から山が迫っている所があり、真っ暗な道だったらどうしようという不安を胸にペダルをこいだ。

市境までなだらかな坂道をひたすら登っていくと、豊川市に入った所からはひたすら下り坂。スピードを上げて下っていると途中で暴走族と思しき人たちに遭遇。発進するたびに少し音の外れたラッパの音みたいなものを鳴らすかわった暴走族だった。

実際に走ってみるとずっと4車線のしっかりとした道で、大型の車が何台も走るものの街路灯もちゃんとついていた。岡崎市内より山間の方が明るいってどういうことなの。山間でも江戸時代から東海道が通っていただけあってちゃんと民家もあった。道路に平行して、がらすきの名鉄の3,4両編成が走っていく。たんぼの脇を電車が走るときには窓から漏れる社内の光で田んぼが照らされていてきれいだった。

今日中になんとか300km地点まで行きたくて、豊川と豊橋の境近くまで走ることに。無事300kmを達成したあと、少し横道に自転車を走らせて今日泊まることにしたネカフェへ。ネカフェの近くには、道に沿って遊ぶ施設がたくさんあり、沿線にある天然温泉でお風呂にも入った。周囲は田んぼだらけのに、どうしてこの道のまわりだけ温泉だのボーリング場だのカラオケだのが集中しているんだろう。不思議に思いつつ、4日目はおしまい。


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3 コメント

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Unknown (kal)
2010-09-19 09:36:35
その手は桑名の焼き蛤!

霞ヶ浦やら七里の渡しやら木曽三川やらと懐かしい名前にほくほくした三重県民であります。
静岡長いけどがんばれ!
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Unknown (hierarchy)
2010-09-21 00:48:38
段々東京に近づいてきましたね。
お帰りになるのが楽しみです。
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Unknown (orange)
2010-09-21 10:05:55
コメントありがとうございますm(__)m

宿に着いてもすぐ寝てしまうからなかなかここ数日間blogのほうを更新できずにいました。

東京、近づいてきました。静岡も長いけど正直言って静岡に入るまでがあんなに長いとは思ってなかったですねw

ではでは引き受けつぶやいたりblog書いたりしますんでよろしくお願いします(^_^)

@由比町のコインランドリー
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