【鎌倉のパワースポット】
鎌倉を散策していると、雰囲気というか、気配?がガラリと変わる場所がいくつもある事に気がつく。その場所の空間の様子、地面から湧き出るエネルギー、匂い、風の流れなど急激な変化を体感できる場所がある。
但し、通常のパワースポットと違って、鎌倉自身が狭いからか、最大でも数十メートルそこそこのエリアである。鎌倉といても、この現象を体感できるのは、三方山に囲まれた旧市内、そこから鎌倉霊園まで、北鎌倉の円覚寺まで、極楽寺まで、と限られた狭い範囲だ。鎌倉幕府ゆかりのある場所に限定される。
大船や宅地開発された西鎌倉は、環境のよい普通の住宅地だ。
一般的な所見ではないが、当時の権力者たちは、幕府を開いたり、寺を建立(こんりゅう)したりする際に、中国から学んだ最高学問(今で言うところの天文学や風水学)に従って、諸施設、神社仏閣の位置を決めたといわれている。また、鎌倉の地形が特殊な"場"をつくりだしている。地勢に従って配列された幕府の諸施設や寺院の位置は気になるところだ。また、切り通しには、外敵が侵入しないように結界を張り巡らしたようだ。
昔の人々は、現代の機械文明に生きる私たちと違ってすべての能力が高かったとのでは思う。武士は、現代人と比べてかなり小柄だったけど、いざ戦闘になれば今の剣道高段者などでも太刀打ちできないだろう。昔は食べ物も自然食で無添加、その上、ミネラルいっぱいの野生の獣を食べていたのだから体力もUPする。機械文明にお世話になりっぱなしの現代人から比べれば、運動量も半端ではない。
現代人のように水泳教室やジムアスレチックに通わなくても、生活全体が運動だったのだろう。移動は馬か徒歩で、中には1日200キロ以上も続けて走れる猛者もいる。特に、頭脳は脳の思考回路に影響する電磁波も電波も飛んでいない時代なので直観は鋭かったのだろう。
戦の絶えなかった時代では、人々は常に命の危険にさらされていた。僧侶も神官も現代のような職業としての役割ではなく、宗教者として本来もっているパワーがあったのではないだろうか。そんな彼らが数ある場所から選んでつくった鎌倉。普通の場所ではない。"気配"に敏感な人は、鎌倉散策の時に少しばかり自分の感性を鋭くしてみるのも面白いかもしれない。ただし、関わってはいけない場所もあるので、さらっと流していくほうが安全かもしれない。
ちなみに、私の妹が結婚当初、引っ越した家が、下記の<場所探し>4と5にあたる場所だった。後で知った事だが、27才で他界した夏目雅子氏が、住んでいた家でもあった。よくファンの人が撮影に来ていた。
ところが、住み始めてすぐに妹が異変に気がついた。その家に行くと、何だか、宙に浮いたようで、めまいがする場所だった。
霊的な存在やサイキックに否定的だった義弟(理科系)も目の前に度々「女性」が出現するので、すっかり精神的にまいってしまった。2年ほど住んで早々に長谷へ引っ越した。
鎌倉にはこのような「事故物件」?が多々あるらしい。(・・? (・・? (・・?
そういえば、小学生の時、子どもの好きそうな"お化け話"は、ほとんどしなかった。なにかTV番組の話しからだったか、たまたま幽霊が話題にあがった。そうしたら、僕も見た、私も見たと真顔で、話したのを覚えている。霊的現象は、空間の歪みや、空間記憶から生じる作用かもしれない。
【参考までに:】
八幡様のそばにある寶戒寺を左に見ながら50mほど南へ。左に小道がある。100メートルほどお寺に沿っていくと橋が架かっている。この道は行き止まりになるが、橋の上とその先の祠あたりに、心身を癒してくれる心地よい"気"が流れている。お試しあれ。
<場所探しのヒント>
1.外から鎌倉に入る場所、坂や切り通しなど。「七つの切り通し」※(1)七口
2.道の左右に隔ててクロスするように寺が建っている場所
3.旧幕府跡と八幡様を結ぶ線上と川の両岸のある地点(山側)※(2)河川
4.鬼門と裏鬼門の線上に立つ寺院とそのライン上の場所
5.刑場跡、古い碑、地蔵が建立している場所とその周辺
6.龍体のライン上にある場所。
【追加>>>鎌倉の龍体】
意外と知られていないが、幕府は、当時の一流の学者、学僧を使い、蒙古襲来に備えて、防御のため鎌倉を龍の腹に抱きかかえ守るように、龍の形をした地勢に寺を配置していた。
鎌倉時代の地形と開発された今の地形では、その面影を探すのは困難だ。
下記の地図は、明治15年陸軍省で作成された地図だが、現在とはかなり地勢が違っている。見にくいな画像で申し訳ない・・・(´ヘ`;)、鎌倉時代の地図探してみます。

※(1)七口、切り通し
朝比奈の切り通し 、名越(なごえ)切り通し 、巨福呂坂(こぶくろざか)、亀ヶ谷坂 、化粧坂(けわいざか) 、大仏の切り通し 、極楽寺の切り通し
※(2)鎌倉の河川
<南に流れる(海へ)>
・滑川(なめりがわ) 、豆腐川、稲瀬川 、極楽寺川 、音無川 、行合川(ゆきあい)、神戸川(ごうと)
<北西に流れる川>
・大塚川 、山之内川 、小袋谷川(こぶくろや)、砂押川
参考:「武家の都・鎌倉を護る龍神Ⅰ・Ⅱ-蒙古襲来の恐怖」伊藤正義(見大学)
写真は釈迦堂の切り通し・・・今は通行止め