仕事の合間に父の戦記を編集してる。
父は、先の戦争で約11年間従軍していた。青春のほとんどを軍隊生活で過ごした。国内にはおらず、中国と南方方面(ボルネオ)で従軍していた。持ち前の運動神経と体力から陸軍の全国大会で、射撃と中距離走の部門で2位を獲得した。
その功績からか陸軍から士官試験を受けるように薦められたが、祖父が当時、富山県高岡市で憲兵隊の長をしており、少尉、中尉などの士官の死亡率が高いことを情報で知っていたので、下士官にとどまることを事を父に強くすすめた。そのおかげで父は死なずにすんだのかもしれない。
任務もボルネオでは特務機関に属し、おもに情報収集と住民との交渉に当たった。 戦後、60年以上も経過して戦争の記憶が風化している現在、父が従軍していた時の写真と戦記を公開しようと準備している。
弊社インタープレス・ジャパンの無料ダウンロードのコーナーで戦記と写真を公開する予定だ。最近の驚くべきデジタル技術の進歩で劣化した写真もきれいに蘇らせることができる。写真はよく観察すると様々な情報を読み取ることができる。
下の写真は、父のアルバムに入っていた小さな写真だが、肉眼では赤茶けてほとんど見ることができない。デジタル処理をすると上にあるようなきれいな白黒写真に変換できる。さらに写真を画像処理して、数倍に拡大すると見えなかったデータが浮かび上がってくる。

{この写真は5センチ×4センチ}の大きさで、肉眼で見ると何を移しているのかわかりにくい。
<写真でわかったこと:>
(1)中央部兵士の後方左側壁に書いてある文字は「確立東亜和會」でその下は「城楽村」と読める。※右から読む
(2)中央兵士の右側にある小さな建物には、2つの看板がある。
(3)畑で開花している植物は、芥子の花。つまりアヘンを精製できる。当時はアヘンは公認されていたのか?かなりの範囲で栽培していたことがわかる。畑は溝が掘ってありよく手入れされている。
(4)立っている兵士は襟章の★が3つで陸軍上等兵、座っている方の兵士の襟章は ★が2つで1等兵であることがわかる。
(5)右後方に電柱がある。
横に3本支柱があるところから電信の施設があることがわかる。
(6)木の種類は、杉のようだ。葉の様子から見ると寒い地方らしい
一枚の小さな写真から当時の中国の様子が、少しかいま見ることができる。
デジタル加工した写真は65年前の当時の様子を蘇らせてくれる。
知識があればもっと貴重な情報を読み取ることが出来るだろう。