介護分野にも、民間「株式会社」の参入が当たり前となりました。
でも、どうも、「サービス」と「福祉行動」では若干、行動の風土が違うように思います。
さて、今日は、私が、感動した、東京都青梅市のある特養のお話しです。今日、お話しするような事例は、どちらかというと、「介護サービスにあたる社員」というよりも、伝統的な、「福祉に関わる職員」にやりやすいことのように思います。
この話は、悪い話では無いので、施設の名称を出させていただいても良いのですが、そうすると、問い合わせが殺到して御迷惑をおかけすることを懸念しているのです。
私が、退職前にいた施設でも、新聞などにのると、問い合わせで、仕事にならなくなったことが何回かありましたので、このブログでは固有名詞は出さないようにしています。
で、そのお話は、ある「特養」で、入居者の方全員から、その方の、実現したい「夢」を聞いて、担当職員が中心になって、それをなんとか実現する、というものです。
重度の認知症の方の「夢」も、時には、ご家族が加わって、その方の意思と言葉を「翻訳」「解釈」するなど、涙ぐましい努力のようです。
このような過程が大事なんですよ。
お年寄りを大切に、という言葉も、このような普段のふれあいがあればこそ、主語、がちゃんと付いて、実現できるのです。だって、一緒に、このような夢の実現に苦労した職員が、そのお年よりを虐待するなんて、絶対出来ませんよね。
施設では、さらに、その実現した夢の内容と、実現するまでの担当の「苦労」話を、「夢幻追従」という、A版70ページくらいの冊子にしてします。
妻の墓参りに行きたい、釣りをしたい(男性に多いようですね)、松平健の公演に行きたい、NHKを見学したい、お花畑に行きたい、映画に行きたい、温泉に入りたい、おいしいものを食べてイルミネーションの下で誕生を祝いたい、三社祭りに行きたい、動物園の散歩、コンサートを聴きたい・・・、実にさまざまいろいろあります。
この施設は、女性の施設長。この方が、言いだしっぺのようで、職員がみんなで、実現に努力している様子が冊子から伺われます。伝統的な、福祉的行動ですよね。
私も、情緒派だから好きなんですよ、こういうの。
施設では、「夢」の実現は、一挙には無理なので、「優先度」の高い方(例えば、寿命を考えて、超高齢の方など)から、毎月何件位づつ、実行されたとか聞きました。
冊子を見て思いました。入所者の方も、感激したでしょうが、職員の方も、一生思い出に残るような感激ですよ、きっと。
このような中からモチベーションも高まるし、先ほど言いましたが、深甚に「お年寄り」や「人生」を考えるきっかけをつかむんでしょうね。
私は、管理者として、ときたま、がっかりすることがあるのは、こんなことができないかな、と、アイデアを話すと、「それは、これこれで難しいので、出来ないんですよ。」「調べてみたが、これこれで、難しいですよね。」と、そこで、あっさりあきらめるんですよね。で、それっきり。
けっこう、ふだん仕事が出来る人ほど、いろいろ難しさを知っているので、こちらが拍子抜けするほどあっさりあきらめるんです。「できない」ということは、あらゆる可能性すべてを検証して初めて言える言葉なんですがネ。
良い、筋が良いな、と思ったことなら、何も、今すぐでなくとも、極端な話5年先でも、自分の在職中でも良いから、いろいろ機会を集めることをやってみようとしないんでしょうかね。
また、管理・監督者サイドでも、「そのようなことをしたら、ただでさえ忙しい職員にさらに負担がかかるから」と、これまたあっさり、あきらめるんです。
これだって、今すぐやるのではなく、それを「心の隅に、重要なテーマとして置いておいて」、機会があるごとに、それを念頭に障害をつぶしていけばいいのです。
障害があるから出来ない、忙しいから、できない、では、今やれるその日暮らしの仕事しか出来ないででしょう。
このような時、ひょっとすると、先進的な「民間企業」なら、トップが人的、物的、精神的、「投資」の決断をしてくれるかもしれない、と想像するんですが、そんなに甘くない?。
よい、先進的なことが実現できるなら、人は、多少仕事が増えても苦にならずに頑張るものなのです。両方とも、なんで、こんなに、「物分りが」いいのでしょうか。
私が、管理者として、特に、年取ってから感じる「気がかり」は、これです。
やや話題を変えて、お金の話。ちょっと、よくない話、かな。
先ほどの例は、「特別養護老人ホーム」の話ですが、これが「有料老人ホーム」だと、すべてではありませんが、何かしてほしいときに、けっこう、オプション料金がかかります。
銀行に行ってもらうと○○円、何してもらうと○○円、何何で○○円、これが結構ばかにならずに、ネをあげている人も見ました。公定価格でなく、自由価格のサービス提供だとやはり、お金がモノをいうのでしょう。難しいところです。
でも、どうも、「サービス」と「福祉行動」では若干、行動の風土が違うように思います。
さて、今日は、私が、感動した、東京都青梅市のある特養のお話しです。今日、お話しするような事例は、どちらかというと、「介護サービスにあたる社員」というよりも、伝統的な、「福祉に関わる職員」にやりやすいことのように思います。
この話は、悪い話では無いので、施設の名称を出させていただいても良いのですが、そうすると、問い合わせが殺到して御迷惑をおかけすることを懸念しているのです。
私が、退職前にいた施設でも、新聞などにのると、問い合わせで、仕事にならなくなったことが何回かありましたので、このブログでは固有名詞は出さないようにしています。
で、そのお話は、ある「特養」で、入居者の方全員から、その方の、実現したい「夢」を聞いて、担当職員が中心になって、それをなんとか実現する、というものです。
重度の認知症の方の「夢」も、時には、ご家族が加わって、その方の意思と言葉を「翻訳」「解釈」するなど、涙ぐましい努力のようです。
このような過程が大事なんですよ。
お年寄りを大切に、という言葉も、このような普段のふれあいがあればこそ、主語、がちゃんと付いて、実現できるのです。だって、一緒に、このような夢の実現に苦労した職員が、そのお年よりを虐待するなんて、絶対出来ませんよね。
施設では、さらに、その実現した夢の内容と、実現するまでの担当の「苦労」話を、「夢幻追従」という、A版70ページくらいの冊子にしてします。
妻の墓参りに行きたい、釣りをしたい(男性に多いようですね)、松平健の公演に行きたい、NHKを見学したい、お花畑に行きたい、映画に行きたい、温泉に入りたい、おいしいものを食べてイルミネーションの下で誕生を祝いたい、三社祭りに行きたい、動物園の散歩、コンサートを聴きたい・・・、実にさまざまいろいろあります。
この施設は、女性の施設長。この方が、言いだしっぺのようで、職員がみんなで、実現に努力している様子が冊子から伺われます。伝統的な、福祉的行動ですよね。
私も、情緒派だから好きなんですよ、こういうの。
施設では、「夢」の実現は、一挙には無理なので、「優先度」の高い方(例えば、寿命を考えて、超高齢の方など)から、毎月何件位づつ、実行されたとか聞きました。
冊子を見て思いました。入所者の方も、感激したでしょうが、職員の方も、一生思い出に残るような感激ですよ、きっと。
このような中からモチベーションも高まるし、先ほど言いましたが、深甚に「お年寄り」や「人生」を考えるきっかけをつかむんでしょうね。
私は、管理者として、ときたま、がっかりすることがあるのは、こんなことができないかな、と、アイデアを話すと、「それは、これこれで難しいので、出来ないんですよ。」「調べてみたが、これこれで、難しいですよね。」と、そこで、あっさりあきらめるんですよね。で、それっきり。
けっこう、ふだん仕事が出来る人ほど、いろいろ難しさを知っているので、こちらが拍子抜けするほどあっさりあきらめるんです。「できない」ということは、あらゆる可能性すべてを検証して初めて言える言葉なんですがネ。
良い、筋が良いな、と思ったことなら、何も、今すぐでなくとも、極端な話5年先でも、自分の在職中でも良いから、いろいろ機会を集めることをやってみようとしないんでしょうかね。
また、管理・監督者サイドでも、「そのようなことをしたら、ただでさえ忙しい職員にさらに負担がかかるから」と、これまたあっさり、あきらめるんです。
これだって、今すぐやるのではなく、それを「心の隅に、重要なテーマとして置いておいて」、機会があるごとに、それを念頭に障害をつぶしていけばいいのです。
障害があるから出来ない、忙しいから、できない、では、今やれるその日暮らしの仕事しか出来ないででしょう。
このような時、ひょっとすると、先進的な「民間企業」なら、トップが人的、物的、精神的、「投資」の決断をしてくれるかもしれない、と想像するんですが、そんなに甘くない?。
よい、先進的なことが実現できるなら、人は、多少仕事が増えても苦にならずに頑張るものなのです。両方とも、なんで、こんなに、「物分りが」いいのでしょうか。
私が、管理者として、特に、年取ってから感じる「気がかり」は、これです。
やや話題を変えて、お金の話。ちょっと、よくない話、かな。
先ほどの例は、「特別養護老人ホーム」の話ですが、これが「有料老人ホーム」だと、すべてではありませんが、何かしてほしいときに、けっこう、オプション料金がかかります。
銀行に行ってもらうと○○円、何してもらうと○○円、何何で○○円、これが結構ばかにならずに、ネをあげている人も見ました。公定価格でなく、自由価格のサービス提供だとやはり、お金がモノをいうのでしょう。難しいところです。