議会改革/承前

冷静に戦え

情勢論と存在論

2010-05-30 | 調査研究
will6月号 佐藤優氏の記述より


情勢論と存在論の相違を真剣に考えたのが作家の高橋和巳だ。
理念は、すでに為されたことの正当化として後から付け加えられたものに過ぎない。
そこでは現に大きな力をもって存在するものは、その存在の善悪美醜にかかわらず承認される。いきおい、すべての議論は、
力関係で処理され、現にあるものの見方の相違、立場の総意が問題になるけれども、本当にあるべきものなのか、なくても
よいものなのかという、道徳的な、あるいは存在論的な問いはどこからも出てこないのである。
現在のあるような型での人間存在はなくていいといった感情や、総体として人類の文明史は間違っているのではないかとい
った絶望的疑惑は、情勢論的思弁とは遂に無縁なのである。   (孤立無援の思想/高橋和巳作品集7/河出書房新社)

有識者の大多数は普天間問題を情勢論として考えている。これに対して沖縄の人々はこの問題を存在論として考えている。
それだから議論がまったく噛み合わないのだ。

ヤマト(沖縄以外の日本のこと)のエリートは、抑止力理論を前提にして、中国、北朝鮮の日本に対する脅威に対応するため
にはどこに米海兵隊を配置すればよいかという問題設定をしている。これは情勢論だ。
これに対して、沖縄の民衆は、沖縄と沖縄人が名誉と尊厳をもって生き残るためには、何が必要で、何が必要ではないかと
いう存在論から問題を設定している。

普天間問題は情勢論で読み解くことはできず、存在論に踏み込まなくてはならない。



花巻市の地域自治区や地域協議会、そして最近、流行の地域政党も然りである。

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