重粒子線治療患者の生きた証し by imas

前立腺ガン患者の平凡な日々を綴ります

8枚のプレパラート

2011-12-07 21:18:48 | 重粒子線治療
憎きがん細胞

朝晩は冷え込みますが、日中は陽の光があり、暖かく感じましたね。

食べ物のブログと陰口が聞こえてきましたので、今日はおもいっきり重い記事です。


ことは1年前の今日です。人生初めて手術台にのりました。

(もしかしたら、小学校4年の時の修学旅行で、怪我をして伊香保の診療所で

3針縫われた時はのったかもしれませんが・・・)


2010年12月7日(火) 午前 9:30 生検の為に入院、採血して点滴を始める。
          
               午後にかけて2本の抗生物質を点滴でいれる。

               午後 4:00 生検始める 5時頃麻酔より覚醒する。

          
その時に採取した細胞のプレパラート8枚
  
     



15箇所より採取して13番目に3mmのがん細胞発見



こうして12月16日(木)の夕方に「前立腺がん」を告知されました。

幸運だった生検


M本Drの主義で1回の生検で見極める為に、15本の針をうってもらって、

その13番目にがん細胞がついていた事は幸運でした。

何故ならば、15本打ってもがん細胞をすり抜けてしまえば、その時は「がんでなくてよかった。」で終わり、

最低でも、翌年の人間ドックまで放置されてしまい、その結果がんが進行していたかもしれません。

告知された時は、頭が真っ白で冷静に考える事ができませんでしたが、

がん告知は不幸の始まりではありますが、今冷静に考えると、幾多の幸運にも恵まれていました。


東日本大震災では2万人以上の貴重な命が奪われました。こうして、幸運にも今生きている事は

自分ひとりで生きているいる訳ではなく、多くのまわりにの人によって生かされているわけです。

ですから絶対生き抜かなくてはいけませんね。


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