
福地桜痴の名前。
福地桜痴の「桜痴」はどこからきたかというと
幕臣の時代に「桜路」という芸妓に惚れ込んで、それから取ったようです。
あまりに入れ込むので周りが冷やかしていた…
「芸妓?遊郭なんて!」って今時はやかましいですが
まあ当時の感覚としてはこれ「ドルオタ」、
例えば坂道シリーズのアイドルおたくのノリで間違いないと思います。
桜路という推しに持ち金ほとんど消えていった…というような時期があったそうで
。
でもちゃんと大事な仕事もやっております。
幕末、数々の条約締結に関する書類を翻訳していた頃は忙しかったようで
「翻訳するもの多すぎて全然終わらない。その割に給金少ない」とかぼやいておりました。
「桜路」と芸妓の名前そのまま呼ばれていた事があったのですが
そのままでは面白くないので「桜痴」にしたのだとか。
「桜痴」として書き出すのは明治になってから。
幕臣からジャーナリスト時代は「源一郎」の本名ですので、大河ドラマにもし出るなら「源一郎」でしょう。
福地桜痴という人は、完全無欠のエリート官僚でなくて
論破してみたり、政治家もやったりする一方で
錦絵新聞の面々や岸田吟香とも知り合いだったりして
どっかで毒抜き、息抜きしないとやってられない、そんな一面も持っていたようです。
下戸なのに、やさぐれてヤケ酒で医者に止められたりも…
幾分、逆説的ニュアンスを込めてわざわざ乱痴気な「痴」をつけるあたりは
後に文筆業をやった際のシャレなんでしょうが
そういう部分はずっと持っていた人だと思います。
桜痴の方が「源一郎」より有名なのですが
(試しにGoogleで検索かけてみますと、やっぱり「桜痴」の方がヒット数多いです)
あのスタンドプレイの華やかさと、どっか複雑でややこしい脆いとこ含むあたり
妙にあってるのかも。
福地さんは、お父さんがとても厳しい人でした。
儒医、医者の息子なのですが
常に「人の役に立つ人間になれ」と言われていたようで…
父や周囲の期待に応えねば!という部分もあったように思います。
そこらへん、同時代の福澤諭吉と比べると興味深いです。
福沢は早くに父親を亡くしたんですが、教育方針は自由奔放。
「ちっちゃな頃から悪ガキで」が福澤諭吉。(21で学に目覚めたよ♪)
「ちっちゃな頃から優等生」が福地桜痴 (気づけば通詞になっていた♪)
です。
クールで理知的に割り切る諭吉と比べると、
「本当はずっと文学のほうをやりたかったのでは」
と研究者にも言われてしまうほど
どこか「情」とか割り切れなさを含む福地桜痴。
興味深い人だなあと思います。
うちは漫画だからこのまま「桜痴」でいくよ^^