愛媛の野村町に打ち合わせに行ったついでに
電車の待ち合わせ時間有効に使いました
まず子規堂に行った話
子規は近代俳諧の世界では帝王です
しかし36歳の若さでなくなったのですが
その病の原因は「食べすぎ、おおぐらい」
ま、そのあたりの話はまたの機会に
子規の晩年は病に伏せる毎日でした
その子規の体を心配して親友の秋山真之は
子規に羽根布団を送ります
明治時代では大変高価であったでしょう
其れだけ秋山眞之は子規の体を心配したのです
その子規堂に羽根布団の端切れがはってありました
更紗柄の絹です
当時ですから南蛮輸入のものですね
明治に入って輸入が自由化されたとき
その時代の人たちは更紗柄に飛び付きました
秋山眞之は海軍でしたので
こういう流行ものには目が早かったのでしょうか
その羽根布団の額縁布も赤い更紗の絹で
そこまで心を尽くす友情に涙しました
秋山眞之を密かに恋していた子規の妹は
子規がなくなった後
この布団の布を暫く羽裏に使っていたようです
解説には書いてはいませんが
妹の写真を見ると明らかに羽裏に使った柄に目が止まりました
ーーーーー切ない
電車の待ち合わせ時間有効に使いました
まず子規堂に行った話
子規は近代俳諧の世界では帝王です
しかし36歳の若さでなくなったのですが
その病の原因は「食べすぎ、おおぐらい」
ま、そのあたりの話はまたの機会に
子規の晩年は病に伏せる毎日でした
その子規の体を心配して親友の秋山真之は
子規に羽根布団を送ります
明治時代では大変高価であったでしょう
其れだけ秋山眞之は子規の体を心配したのです
その子規堂に羽根布団の端切れがはってありました
更紗柄の絹です
当時ですから南蛮輸入のものですね
明治に入って輸入が自由化されたとき
その時代の人たちは更紗柄に飛び付きました
秋山眞之は海軍でしたので
こういう流行ものには目が早かったのでしょうか
その羽根布団の額縁布も赤い更紗の絹で
そこまで心を尽くす友情に涙しました
秋山眞之を密かに恋していた子規の妹は
子規がなくなった後
この布団の布を暫く羽裏に使っていたようです
解説には書いてはいませんが
妹の写真を見ると明らかに羽裏に使った柄に目が止まりました
ーーーーー切ない