自然を求めて近辺ぶらり

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戦国歴史ロマンの大舞台・近江の古刹「百済寺」(ひゃくさいじ)

2017年05月07日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
戦国歴史ロマンの大舞台(境内に掲示されていた案内文)
聖徳太子様が見抜かれた「近江の地理的重要性が、皮肉にも中世の戦国時代に百済寺が三度の戦乱に巻き込まれまれるという悲しい運命をたどる結果となりました。湖北地方から湖東地方へ南下して来た近江源氏佐々木六角氏は自主防衛のため観音正寺と百済寺を石垣で「城塞化」するとともに鯰江城などの出城を築いてゆきました。とりわけ信長による百済寺焼討ちは悲惨を極めました。「信長公記」によると信玄の死を知った信長は六角征伐のため近江へ軍を進め天正元年4月7日には百済寺城に入城し鯰江城の総攻撃を開始しました。寺側は織田か六角かの苦渋の選択の末長年の恩義を重んじて鯰江城に食料米を送るとともにその婦女子を境内の三百坊に預かり保護しました。信長はこの行為は一揆・謀反であると称し十一日に百済寺焼き討ちが断行され半月間ほど燃え続けたとのことです。
宣教師ルイス・フロイスの書簡にも「百済寺と称する大学には、多数の相互に独立した僧院や座敷と庭園・築山を備えた僧房が立ち並びまさに地上の楽園が・・・」と惜しまれる様子が記録されております。(以降の案内文の内容は末尾に掲載しました) ※

百済寺天下遠望の名園・喜見院望郷庭からの展望 
湖東平野や琵琶湖の水面の一部、比叡山などが見えます。




喜見院と庭園の池


信長公記 (天正元年四月七日の章)


本堂への道


本堂へ続く石段


仁王門


「百寺巡礼」の五木寛之さんの願掛け草鞋




本堂






本堂と菩提樹 (手前の木)




境内に咲くシャクナゲ






境内




※信長にとっては、百済寺焼討による三つの利点がありました。
 一、 手っ取り早く六角を近江から追い出せる。
 二、 田畑の没収で米即ち兵力を増強できる。
 三、 三百坊の石垣を抜くことで六角の再起を防げる。
このような状況下で、安土城構想はこの地で着想され三百坊の石垣や石仏を安土まで運び出したと言われております。この光景の一端は、寺所蔵の「石曳の図絵馬」に描かれております。このようにして近江湖東文化の一大中心地が壊滅しましたが、往時の姿は三本の参道の左右に千枚田のように広がる数々の「平らな坊跡地」や引き抜かれた「石段の段差跡」、広大な「旧本堂跡地」と「五重の塔礎石」、再び蘇った「千年菩提樹」などから偲ぶことができます。なお、百済寺城は「山城」の最後の形、安土城は「平城」の最初の形といわれております。一大パノラマの下、「近江を制する者は天下(都)を制す」の諺通りの歴史舞台と栄枯盛衰の歴史ロマンを味わっていたたければ幸いです。(百済寺 住職 謹書)

こちらの写真は紅葉の頃の百済寺です。
百済寺、金剛輪寺、西明寺を総称して湖東三山と呼ばれています。三山ともに秋の紅葉期は素晴らしくて大勢の人で賑わいます。百済寺は桜やシャクナゲなども美しく百彩寺とも呼ばれているようです。




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4 コメント

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近江の古刹 (ヒトリシズカ)
2017-05-07 05:20:47
イケリンさん

近江は、歴史の積み重ねがある土地ですね。聖徳太子がかかわっている土地とは・・。
この百済寺が焼き討ちされた経緯は、すごいですね。当時の天下人の織田信長は、後にその焼き打ち事件を、このように公示されるとは、夢にも思わなかったことでしょう。

焼けてもなお、生き延びた菩提樹はすごい生命力です。

その古刹は、新緑時も紅葉時も美しい風景に包まれます。日本の原種のシャクナゲは、清楚な花を咲かせています。

比較的、お近くには、素晴らしい風景の場所が多いと感じました。
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百済寺 (イケリン)
2017-05-07 07:44:33
ヒトリシズカさん おはようございます。
信長の百済寺焼討の三つの利点を読むと、
先を見据えて計算しつくされた戦略であることがわかります。
この経緯が信長公記や宣教師ルイス・フロイスの書簡によって後世まで語り継がれるとは
夢にも思っていなかったことでしょうね。

彦根iCからほど近い、湖東三山に永源寺を含めた寺院は紅葉の時期は人気の高いところです。
近江には古刹の数が多いですね。湖南三山というのもあります。
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こんにちわ (たか)
2017-05-07 17:04:15
何時の世も権力争いは付きまとうものなのですね。
その時代時代に携わった権力者の足跡を辿って、その時代に想いを馳せれば
聖徳太子や野心に満ちた信長の姿が目の前に浮かんで来る様な気が致します。
そして五木寛之氏の目線で石段を登れば
なるほど、空中に浮かんでいる様な本堂が其処に在るんですね。
とても勉強になりました。
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空中楼閣 (イケリン)
2017-05-07 19:20:17
たかさん こんばんは。
この百済寺にその昔三百もの坊が存在していたことには驚きました。
比叡山をはじめとして、信長が焼討ちしたお寺はたくさんあります。
天下統一の野望のためとはいえ残念なことですね。



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