本番まであとわずか 2011-09-26 20:44:31 | Weblog 教える方も、教えられる方も真剣です。 姫路の男はこれを経験して男の子から男に成長します。 写真は地元の屋台での練習風景ですが、あとで立ち寄った隣村の練習で、偶然に同じ「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖に」の音頭を耳にしました。 所謂、宵宮での色唄(ちょっとエッチな)です。 今、大河ドラマでクライマックスを迎えているお江与さんの長女で、従兄弟秀頼の子、奈阿姫さま(尼 天秀)を補佐し、弟家光とも仲がよかった千姫が30歳で未亡人になり、竹橋御門で男をたらしこんでいた時の話だと言われていますが、そのようなことはなかったようです。
久々の50kmポタリングでした。 2011-09-21 20:23:28 | Weblog 飾東を経て,志方町、西神吉町から、魚橋、曽根、別所から、また来た飾東を通って帰って来ました。 途中、旧魚橋郵便局前で撮りました。 数年前に、国の登録文化財に指定されたそうです。 ここから数十メートル先に童謡「月の砂漠」を作曲した佐々木すぐるさんの生家があります。
北条の五百羅漢を検証する(その2) 2011-09-17 09:29:18 | Weblog 製作について 1 庶民が願をかけるのは先祖供養、家内安全、無病息災、五穀豊穣、商売繁盛と言うごく一 般的なものだ 2 国家安寧とか天下泰平とかそんな大それたことを庶民が願掛けするのは今も昔も一般的で はない。 3 「1」はどこでもよく目にするが、「2」は著名な寺社(出雲大社等)を除いて見たことが ない 4 もし武将が{2」をするなら近くの法華山一乗寺に祈願するものと考える 5 願掛けには、写経百万巻成就目的と同じ心境で、石仏を千体なり、2千体を作成した とも考えられる 6 京都の三十三間堂には千体余りの木造仏の例がある 7 歴史に出てくるような人が歴史に出てくるようなことで、後世に無言で伝えた遺物なんて 万に一つ有るか無いかだ。残っているのは奇跡に近いことだ 8 願掛けと言えど「けつわり」したことも充分考えられる。それも人間らしくていい 9 素人なら、自分の仕事もあり製作も遅々として進まず、数代、数十年はかかったかもしれ ない。 10 千体製作満願を志したが、途中4百数十体製作した時点でけつわりしてしまった 次回は製作時代についてを検証します。
北条の五百羅漢を検証する(その1) 2011-09-10 12:42:38 | Weblog あくまで私感、百人百様ですのであなたの推理が事実かも知れませんが、私なりに3回程度に分けて検証してみました。 短期間で検証なんて、笑われるかもしれませんが笑わずに見てもらえたらうれしいです。 石材に関して、 1・柔らかい石材(凝灰岩)に細い線を刻んでいるのに、経年による摩滅が少ない 2・同程度の摩滅状態の墓標は近在の墓地に多く点在しているが、ほとんどは幕末(文化 文政)から明治頃のものが多く、くまなく探せば、中には元禄年紀銘が入った物もあ るが、慶長年紀の物はほとんど見当たらない 3・天正以前のものは全く確認できない 4・身分が高い人が造られたと言われれば、その割りに材質、技量が乏しい 5・通常身分の高い人が作らせた遺物は花崗岩(御影石)を用いている。その証拠に大名 やそれに近い人が寄進した遺物は御影石を用いている場合が多い 6・五百羅漢すべてが無銘だ。文字の読み書きができなかった者が製作した可能性がある が、この当時はそれがごく普通のことだ 7・長けた石工は技量と知識を兼ね揃えている 8・500体近い石仏にパターンがあり、複数の者が製作したと考えられる 9・それは数代に渡った結果かもしれない 10・同時期に複数人が製作したとは限らない 今回石材に関して思いついたことを検証してみました。
北条の五百羅漢 2011-09-02 19:13:15 | Weblog の制作年代を求めてポタリング中間報告です。 東高室、東長の石の産地を中心に10ヵ所以上で、五百羅漢と同じ工房で製作したと思われる石仏を確認しました。 加西市山下町の2ヶ所のお寺と墓地、東高室町のお寺、西高室町の墓地、東長町の墓地、両月町の墓地に2ヶ所、戸田井町の墓地、下里駅近くの墓地に2ヶ所、王子町の墓地、西笠原町の墓地、姫路市山田町山田のお寺と山田町牧野のお寺、香寺町溝口の墓地です。 これらの石仏に元和、慶安、寛文、貞享の元号が刻まれていることも確認できました。 西暦1620年代から1680年代の約60年間に亘り、同じ工房で2~3代続いて製作されたと理解してもなんら矛盾は見当たりません。 これらのことは刀剣の製作社会では一派(たとえば堀川国廣一派)相伝のために、ごく普通に行われていることでございます。 謎の石仏と言われ近寄りがたい仏様と思っていましたが、だんだん調べていくうちに、私達の身近なところでお見守りくださる仏様として、何だかうれしい気持ちになりました。