日曜日に、「平等院・奈良公園」に行って来た。
人名神高速を利用して、片道3時間ほで行けた。
まず、初めに「平等院」へ行った。
以前から行きたかった。平等院ミュージアム鳳凰館(建築家・栗生明氏)を観て来た。
建物廻りの紅葉が綺麗にマッチして、内部の撮影禁止でうす暗い通路をたくさんの人が観賞していた。
次に、奈良公園に行き今回のメインスポット「奈良の大仏」へと向かった。
奈良公園の中を歩き鹿に餌をやり鹿に追いかけられ鹿の糞を踏みながら東大寺に着いた。
東大寺の中は、外の景色から一変し、大仏殿のみが中央にそびえ立つ
大仏殿の入り口に立つと建物大きさに圧倒されしばらく見入ってしまった。
大仏殿の中はうす暗く、時間が経つと目が慣れ、「奈良の大仏」との対面
今回で3回目の対面。今度来るのは何年後の事だろうか。
■平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。
宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。
本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。 また鳳凰堂が10円硬貨の表の絵柄として有名である。
■東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺である。
金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。
現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。
「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置づけられた。

平等院・鳳凰院

平等院ミュージアム鳳凰館

東大寺・大仏殿(現在の大仏殿は当時の大きさの2/3の大きさ)

奈良の大仏

当時の東大寺の全容模型(両サイドの七重の塔があると迫力が増す)
人名神高速を利用して、片道3時間ほで行けた。
まず、初めに「平等院」へ行った。
以前から行きたかった。平等院ミュージアム鳳凰館(建築家・栗生明氏)を観て来た。
建物廻りの紅葉が綺麗にマッチして、内部の撮影禁止でうす暗い通路をたくさんの人が観賞していた。
次に、奈良公園に行き今回のメインスポット「奈良の大仏」へと向かった。
奈良公園の中を歩き鹿に餌をやり鹿に追いかけられ鹿の糞を踏みながら東大寺に着いた。
東大寺の中は、外の景色から一変し、大仏殿のみが中央にそびえ立つ
大仏殿の入り口に立つと建物大きさに圧倒されしばらく見入ってしまった。
大仏殿の中はうす暗く、時間が経つと目が慣れ、「奈良の大仏」との対面
今回で3回目の対面。今度来るのは何年後の事だろうか。
■平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。
宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。
本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。 また鳳凰堂が10円硬貨の表の絵柄として有名である。
■東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺である。
金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。
現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。
「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置づけられた。

平等院・鳳凰院

平等院ミュージアム鳳凰館

東大寺・大仏殿(現在の大仏殿は当時の大きさの2/3の大きさ)

奈良の大仏

当時の東大寺の全容模型(両サイドの七重の塔があると迫力が増す)