知識社会に特有の上方への移動には高い代償がともなう。
競争がもたらす心理的な圧迫と精神的なストレスである。
敗者がいれば勝者もいる。
昔の社会には、敗者はほとんどいなかった。
無産者の子は無産者であっても、敗者ではなかった。
ところが知識社会には、敗者がいるだけではない。
敗者の存在が社会の罪とされる。
:「経営の真髄 p78」
知識社会は成熟した社会といえる。
論理的には平等な社会が実現できる時代が来ている。
しかし、機会の平等が結果の平等にはならない。
人間社会の現実は論理的にならないことが多い。
理論は現実に従う。
成果をあげるには、仕事の論理と労働の力学を駆使しなければならない。
労働の力学は厄介である。
同じ人間はいないし、同じ人間であってもその時の状況で行動は変わる。
労働の力学とは論理どおりに進めようとするのではなく、ケースバイケースで対応せよということである。