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最近よく耳にするし、実際に見かけることもよくあることがある。
それは<友達同士のような親子関係>である。
親と子がまるで友達であるかのように仲良く楽しそうに話をしている。
手をつないで買い物に、あるいはコンサートに行く。
楽しそうな様子は他人が見ていてもほほえましい。
そしてそれはけっして悪いことではない。
よくよく聞くと現代の親子関係において、このようなパターンがどんどん増えている、らしい。
みなさんは<友人親子関係>と聞いて、良い印象を持つかもしれない。
イメージがなにかポジティブだからだ。
でも僕はこれは親という道標役(=サポート役)の仕事を放棄しているように思えてならない。
子供のご機嫌取りをしているように思えてならない。
いかにもうわべだけのものに見えてしまう。
こういう親は子供がトラブルを起こすと決まってこう言う。
誰々(君、ちゃん)のせいだ、学校のせいだ、先生のせいだ・・・etc.
本当は自分の子供に過ちがあるのに、えてして全て他人のせいにしてしまう。
置かれた環境のせいにしてしまう。
悪いのはウチの子じゃない、と。
こうして物事の本質を何一つ教えない(教えられない)まま、表面的にいい親子関係を演じている・・・そんな親子が増えている。
親は子にカッコをつけてはだめだ。
自分のありのままをさらけ出して子供に接していかなくてはだめだ。
絶えず物事の本質や原理原則を教えなければだめだ。
言うまでも無く子供は未熟である。
それをいい方向に導く時に友達ではいられない。毅然とした態度が必要だ。
同レベルの視線まで下がってしまっては道が曲がっていることを見通せない。
親は子供にずけずけとものを言わなければいけない。
絶対君主のような接し方はもちろん論外だが、親の悪い部分も子は見て育つので、遠慮はいらない。
仲良しは悪くない。
でも時としてそれは大人の(親の)自信の無さの現われにも見える。
また、親子関係が友人のそれに近いとすると不要な遠慮が起きる。
最近の母親は公共の場で騒いだりする自分の子を叱らない。そして叱れない。
周囲の人々も親が叱らないのに他人の自分がその子を叱るわけにはいかない、とそう思う。
こういうことの積み重ねが<社会の劣化>につながる。
実際に現代社会はモラルというものが無さ過ぎる。
公園を散歩していても、図書館にいても、電車ひとつ乗ってみても、買い物に行っても、
他人の迷惑に気づかい低レベルな人間に出会う。
こういう種類の人間には<親の顔が見てみたい>と人はよく言った。
この言葉はとても正しく痛快だ。
やはり親のしっかりとした教育があってこそ、常識をもった人間として育ち上がると思うのだ。
繰り返し言う。
仲がいい親子は素敵だ。
でも表面上であってはなんにもならない。
こういう社会にとても無関心でいてはいけないと思うのだ。
それは<友達同士のような親子関係>である。
親と子がまるで友達であるかのように仲良く楽しそうに話をしている。
手をつないで買い物に、あるいはコンサートに行く。
楽しそうな様子は他人が見ていてもほほえましい。
そしてそれはけっして悪いことではない。
よくよく聞くと現代の親子関係において、このようなパターンがどんどん増えている、らしい。
みなさんは<友人親子関係>と聞いて、良い印象を持つかもしれない。
イメージがなにかポジティブだからだ。
でも僕はこれは親という道標役(=サポート役)の仕事を放棄しているように思えてならない。
子供のご機嫌取りをしているように思えてならない。
いかにもうわべだけのものに見えてしまう。
こういう親は子供がトラブルを起こすと決まってこう言う。
誰々(君、ちゃん)のせいだ、学校のせいだ、先生のせいだ・・・etc.
本当は自分の子供に過ちがあるのに、えてして全て他人のせいにしてしまう。
置かれた環境のせいにしてしまう。
悪いのはウチの子じゃない、と。
こうして物事の本質を何一つ教えない(教えられない)まま、表面的にいい親子関係を演じている・・・そんな親子が増えている。
親は子にカッコをつけてはだめだ。
自分のありのままをさらけ出して子供に接していかなくてはだめだ。
絶えず物事の本質や原理原則を教えなければだめだ。
言うまでも無く子供は未熟である。
それをいい方向に導く時に友達ではいられない。毅然とした態度が必要だ。
同レベルの視線まで下がってしまっては道が曲がっていることを見通せない。
親は子供にずけずけとものを言わなければいけない。
絶対君主のような接し方はもちろん論外だが、親の悪い部分も子は見て育つので、遠慮はいらない。
仲良しは悪くない。
でも時としてそれは大人の(親の)自信の無さの現われにも見える。
また、親子関係が友人のそれに近いとすると不要な遠慮が起きる。
最近の母親は公共の場で騒いだりする自分の子を叱らない。そして叱れない。
周囲の人々も親が叱らないのに他人の自分がその子を叱るわけにはいかない、とそう思う。
こういうことの積み重ねが<社会の劣化>につながる。
実際に現代社会はモラルというものが無さ過ぎる。
公園を散歩していても、図書館にいても、電車ひとつ乗ってみても、買い物に行っても、
他人の迷惑に気づかい低レベルな人間に出会う。
こういう種類の人間には<親の顔が見てみたい>と人はよく言った。
この言葉はとても正しく痛快だ。
やはり親のしっかりとした教育があってこそ、常識をもった人間として育ち上がると思うのだ。
繰り返し言う。
仲がいい親子は素敵だ。
でも表面上であってはなんにもならない。
こういう社会にとても無関心でいてはいけないと思うのだ。
自分は親父にも母親にもじいちゃんにもよく怒られた。
「他人の迷惑になること」で怒られるのは小さい頃に教え込まないといけない。 きちんと説明しながら納得させないと、「なぜ怒られているのか?」分からないまま曲がって成長してしまう恐れがある。 幸いにも我が家の子供達は曲がらず大きくなってくれた。
本音で話をし本気で喧嘩したこともあったが、少なからずこんなバカ親父でも頼りにされているんだと感じたし、これからもうるさい親父を演じ切ってやる。
娘が孫を叱っているのを見て「ああ、同じ怒り方してるなあ」と感じる。 きっと、ひ孫の代までは確実に曲がった人間はいないだろうと思いたい。 雪の旭川より じじーの独り言。
独り言・・・妙に感じ入りました。
今回僕が一番言いたかったことは<社会の劣化>です。
<日本人が融けてゆく昨今>と言い換えてもいいです。