「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

人に 余計なことを すすめる人は 幸せではない

2013-05-07 12:49:14 | 温故知新




人に余計なことをすすめる人は幸せではない

「ウグイスと ツバメ」

「ツバメが ウグイスに向かって、自分のように 人間と同じ屋根の下に住むことを すすめました。
ウグイスは甲高い声で『むかし受けた不幸を 思い出させるようなことは 言わないで。
悲しい気持ちは もう味わいたくないから』と 答えました」



このように言うツバメは おそらく幸せではない。

自分が ない。

何も他人に「自分と 同じにしろ」と言わなくてもよい。
仲人を したがる奥さんと同じで、これは おせっかいである。

自分が ない人は 相手にからむか、迎合するかする。


それに対して ウグイスは 自分に満足している。
だから 断って ツバメに 嫌われてもよい。


ウグイスは 人間が嫌いだ。
だから 同じ屋根の下には 住みたくない。

でもツバメにとっては こんなに居心地のいい場所はない。

何が よいかは 人によってちがう。
自分の ない人は そこを間違える。

「あの品物、すごくいいわよね。もう本当に 重宝するわ」と 言われて、自分も ついつい買ってしまった。
ところが、
あの人は いいと言った品物が 私にとっては なぜかよくなかった。

「バカみたわ、何かだまされたみたい」と思う。
しかし、
買った自分が 愚かなのである。


ウグイスは 自分が美しい声だ ということを自分自身知っていなかった。
そして
人間は その美しい声を 自分の手元に置こうとした。

そういう人間の欲望を ウグイスは知らなかった。


ツバメは 行ったり来たりしていて 定着しない鳥である。

人間にとっては 手元に置きたい鳥ではない。
「まあ好きなようにして、また今年も戻ってきた」というような存在である。
戻ってくる というところに ツバメのよさがある。


ウグイス自身は ひどい目にあった。
しかし、
人間のいるところで 鳴かなければ捕まらなかった。
それなのに 鳴いてしまったために 捕まえられてしまった。


本当は 人間は怖いものではない。

ウグイスは「自分は 人間に愛される価値がある」と 思ってもよい。


また 逆に言えば、なぜウグイスは 逃げるのだろうか。
ウグイスは 人間を怖がっているからである。

そのことを 人間は 知らない。

おたがいに 見方が ちがっていると、それが恐怖に つながってくる。


(これで 一応、おわります。)



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