誇り高き日本の歴史

学校での歴史教育は大東亜戦争の敗戦で歪められ、真実は30%程度に過ぎないため真の国史を明らかにします。

江戸時代の日本

2017-01-08 21:40:38 | 近世


1、江戸時代の日本の経済力

①日本人の手先の器用さや神経の細やかさから、やたら”物づくり”だけが強調される日本だが、実は「ビジネスモデルの仕組づくり」にも優れた才能を持っていたことを明かすエピソードを紹介しよう。
 
②ナポレオン戦争を経て、半封建的国家から近代国民国家に変貌した欧州列強が、こぞって日本に開国を要求してきた理由は一通りではありません。だが、その中でも最も大きな理由は、日本が当時でも世界有数の経済大国だったということです。
 
③「そんな馬鹿な、日本は国土も狭く、明治維新までずっと貧乏国だったと聞いたぞ」という人が多いことでしょう。しかし、それは全くの誤解であり、洗脳です。
 
④淀屋辰五郎はもとより、紀伊国屋文左衛門、太鼓屋又兵衛、小谷検校などの江戸時代の豪商は、欧州富豪に先んじて世界経済史に登場し、淀屋辰五郎の資産は、ナポレオン戦争で濡れ手に粟を博する前のロスチャイルドやヘッセン侯をはるかに凌駕するものでした。
 
⑤その原動力になったのが、近代的市場取引制度や、「堂島米市」などの世界初の先物市場の創設にありました。略奪同然の植民地経営や奴隷貿易で”ボロ儲け”した欧米資本家たちとは明らかに異なる優れた商才を発揮したのです。

⑥加えて、淀屋辰五郎は、皇室資産"黄金の百合"の運用を任されていましたが、"黄金の百合"については、後述します。



2、世界最大の都市だった江戸

ところで「武」とは二つの「戈」を「止める」という意味であり、本来好戦的に戦うのではなく「戦わずして勝つ(自他不敗)」を最良とする平和の精神でもあります。徳川家康はこのことを日本の伝統的な「武学」を通じて学び、260年間にも及ぶ平和な時代の実現に成功しました

その家康が築いた、縄文時代と並んで、日本の歴史の中で最も良かったといわれている江戸時代。しかし、それがどんな時代だったか、その実相を知る人は多くないようです。

テレビの時代劇を見て育った今のわたしたちは、西洋の文物が流入する以前の江戸時代は、いたるところに悪代官や悪徳商人がいて、民衆はしいたげられていた野蛮な時代というようなイメージをもっているかもしれませんがこれは洗脳で、実際にはとても平和な時代だったようです。

江戸の人口は延享三年(1746)には120万人を超え、欧州最大の都市ロンドン(約70万人)やニューヨーク(約2万人)と比べても、世界最大の都市だったそうです。それでも自然と調和し、完全な循環型のリサイクル社会を築いていたのは、やはり日本人ならではのセンスではないでしょうか。

1690年から1692年にかけて日本に滞在したケンペル(ドイツ人)は「この民は、習俗、道徳、技芸、立居振舞いの点で世界のどの国民にも立ちまさり、国内交易は繁盛し、肥沃な田畠に恵まれ、頑健強壮な肉体と豪胆な気象を持ち、生活必需品はありあまるほどに豊富であり、

国内には不断の平和が続き、かくて世界でも稀に見るほどの幸福な国民である」と記しています。

また、幕末に来日したアメリカの総領事タウンゼント・ハリスも「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代をみる思いであった」と書き残しているように、長い間にわたってとても平和で文化的な時代が続いたようです。

災害や飢饉も多く一揆などもあったようですが、現代のように殺人事件や詐欺事件や企業戦争などはなく、人々のストレスも今よりはるかに少なくて、自殺、うつ病、引きこもりなどが社会問題になるようなこともなく、政治的混乱や環境問題などもなかったのでしょう。

当時の世論調査がないのでわかりませんが、江戸時代の日本人の幸福度は現代よりもかなり高かったのではないでしょうか?「物質的な豊かさ」ではなく「精神的な豊かさ」なら、現代よりもむしろ江戸時代に軍配が上がるような気もします。

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