昨晩はたらふく飲んでしまいました。・・・
明日確認しますが、スタッフにご迷惑を掛けていなければ良いのですが・・・
所々断片的に覚えていますが、いくつか記憶が消えています。・・・
二次会のあとみんなと別れて、自分のハンカチが無い事に気付きもう一度カラオケ店に行って探した記憶があります。その後いつもの経路で帰宅。・・・
この経路は、かつて行政書士の資格講座に参加の際に毎回通った道です。半分寝てても大丈夫なのです。が、が、が・・・
途中の芝生で一休み。・・・・
ふと目を開けると真上にお月様がキラキラ。大の字になって寝ていたようです。・・・
そこから歩いて3分で自宅。・・・
この遊歩道。私の人生の遊歩道です。・・・
前職時代にも、今後どうするのか思案する場所でした。大きな木が並んでいて、枯れる事もなくそこで必死に生きています。自分で選んでそこに来た訳でもないのに、その場所の環境で必死に生きるという事をしています。私は選んでその当時の会社に入り何とか足掻いて生きようとしましたが成り立てなかった。・・・
その大木たちに問いました。「どうしたら、そんなに元気に生き続けられるのか?」と、・・・
答は無い。ただ、感じたのは環境が良いからではないのか?と、・・・
いや、環境に合わせる事が大事なのではとも、・・・
何にしろ、環境は変えられない。特に自然は変えられない。・・・
自然は、全てに平等です。悪さをしようが、良い事をしようが、関係ないですね。むしろそんな難しい事すら考えないです。ただ生きるだけです。・・・
その生活の邪魔をしなければ、我々でも受け入れてくれて守ってくれます。・・・
当時私はそんな事を考えていました。・・・
当時は環境に合わせられなかった。その後の無職時代の就活時代でも合わせられる環境が見つからなかった。だから自分で自分が生きられる環境をつくったのです。出来るならば、その環境がもし世の中のため、人のため、自然のためになるようならば、きっと受け入れてくれるし、永く生きていけるだろうと思いました。・・・
こういう事を、この遊歩道の木々から教わったのです。方や実際の世の中の成功者の話でも、同じことをお話し下さる方がいます。「世の為、人の為の奉仕の気持ちがないと、会社は存続しないです。」と・・・
この遊歩道の木々は、私の師匠です。・・・
だからたまにその膝の上で眠ってみたくなるのです。とてもあたたかく包んでくれます。・・・
傍から見てると、私と言う人間は単なる変人に思われるでしょうし、ましてや恐れ多くも神でも仏でもなく、仙人でもない。まだまだ、発展途上です。だから、つい他人様にご迷惑をお掛けする時もある。お許しください。そうならないように日々努力いたします。・・・
明日に、期待!・・・(次週で「お疲れ様の会」最終回となります。ありがとうございました。また来年です。)