忘れたころに続きです。前回はこちらをどうぞ。
時は1984年。俺は20歳。時代は高度経済成長末期。バブルの前々夜。
20歳の俺は誰でも知っている電機メーカーの工場でアルバイトをした。
夜勤だった。
家電製品の基板を作る仕事だった。
俺が配属されたのは「露光」という工程で、基板に電気の通る回路をプリントする工程だった。回路をプリントするというのは「アナログ・カメラで写真を撮る原理」を使って、基板に電気回路を焼き付ける作業と思ってもらえばいい。こうやって作られる基板をプリント基板という。
作業場は防塵室で、白衣と帽子を身に付けた我々は、シューっとエアーシャワーを浴びてから中に入る。ホコリはご法度だったのである。
前回ご紹介したベルトコンベアーの先の機械で、基板に〈写真でいうところの印画紙〉をかぶせる。これを「ラミネート」という。
「ラミネート」処理の済んだ基板は「合わせ」という工程に回される。
「合わせ」というのは、基板に回路が描かれたフィルムを装着する作業で、「露光」の工程の中で唯一「要領と慣れが要求される手作業」だった。
「要領と慣れが要求される手作業」だったので単純労働と違って退屈しない。
退屈な単純労働が苦手な俺には「合わせ」はやってみたい工程であった。
しかし新人バイト君が「単純作業」に回されるのは世の常。
「ラミネート」のベルトコンベアー係から解放された俺を待っていたのは「焼き付け」という作業だった。
「合わせ」でフィルムを装着された基板を受け取り「焼き付け」の機械に入れるのだ。
「焼き付け」の機械は、いわば、でかいコピー機のような物。
コピー機の原稿台にあたる部分が、たんすの引出しのような形をしており、機械本体に出たり入ったりする構造だ。その引出しに、基板を入れてスイッチを押すと回路が「プリント」されるのだ。
そして。
大量生産は効率が命。
効率アップのため、「焼き付け」の機械の引き出しは上下2段あった。上段でプリントしている間に、下段に次にプリントする基板をセットする仕組みだ。
引出しが上下2段ある、大きな釜を思い浮かべていただきたい。
まず上段の引出しにこねたパン生地を並べる
釜に押し込む
釜が上段のパンを焼いてくれる
その間に下段の引出しにこねたパン生地を並べておく
上段のパンが焼きあがるのを待つ
ほどなく上段のパンが焼きあがる
上段の引出しを引っ張り出す
下段の引出しを釜に押し込む
釜が下段のパンを焼いてくれる
下段のパンが焼けるのを待つ間
上段の引出しから焼きあがったパンを取り出し
あらたにこねたパン生地を並べておく
下段のパンが焼きあがるのを待つ
ほどなく下段のパンが焼きあがる
下段の引出しを引っ張り出し
上段の引出しを釜に押し込む
この手順を繰り返すと、上下2段で休むことなくパンを焼き続けることができる。
パンを基板に、釜を「焼き付け」の機械に置き換えるとこうなる。
~上段の基板が焼きあがるとランプが光る。ランプが光ったらスイッチを押す。スイッチを押すと焼きあがった上段の引出しが出てくる。同時に下段の引出しが機械に吸い込まれていく。出てきた上段の引出しのフタをあけ、焼きあがった基板を取り出す。焼きあがった基板を「合わせ」のテーブルに返す。「合わせ」のテーブルから、あらたにフィルムを装着した基板を受け取り、上段の引出しにセット。フタを閉める。下段の基板が焼きあがりランプが光るのを待つ。数十秒の後、下段が焼きあがるとランプが光る。ランプが光ったらスイッチを押す。スイッチを押すと焼きあがった下段の引出しが出てくる。同時に上段の引出しが機械に吸い込まれていく。出てきた下段の引出しのフタをあけ、焼きあがった基板を取り出す。焼きあがった基板を「合わせ」のテーブルに返す。「合わせ」のテーブルから、あらたにフィルムを装着した基板を受け取り、下段の引出しにセット。フタを閉める。上段の基板が焼きあがりランプが光るのを待つ。数十秒の後~
~くりかえし
延々、一晩、
~くりかえし
「ラミネート」のベルトコンベアーの時は機械に追われる単純作業が苦痛だった。
「焼き付け」は基板が焼きあがるのを待つ数十秒が苦痛だった。
機械に追われる苦痛から、機械を待つ苦痛に変わったわけだ。
半端なんですよ、この数十秒の 間 が。
ランプが光ったらすばやくスイッチを押せるよう、ちょっと緊張していなくてはいけない。
さらに、スイッチを押して引出しが出てきたら、すばやく基板を取り出し、次の基板をセットしなくてはいけない。
何といっても効率が命だから。
でも、待つのはかったるい。数十秒というのは休むには短すぎ、待つには意外と長い。
何といっても夜勤の作業。夜もふけてくると、待っている数十秒でボーっとしてくる。
気づけば、いつの間にか、眠くなったり、違うことを考えたりする。
俺は、よく、ギターのリフなんぞを考えていた。頭の中で『ガガガ ジャーン』とか鳴っていたりした。
そんなある夜。
「焼き付け」の作業にも慣れてきてだれてきた、ある夜。
ランプが光るのを俺は待っていた。
『ダーッ ダーダー』と頭の中で、ボーっと、ゆるーいテンポでギターのリフを鳴らしながら待っていた。
眠かったから、ゆるーいテンポだった。
と、ランプが光り、スイッチを押した。
スイッチを押したその一瞬、俺は反省したのだった。眠くなった自分を反省したのだった。
『おう、ちょっとシャキッとして仕事せんといかんぞ』と心でつぶやき、作業のスピードアップを図った。大量生産は効率が命だと理解していたからだ。
俺は、突然行動を早めた。スピードアップのためだ。
しかし、頭も体も、眠気に負けていた。ボーっとしていたのだ。
行動を早めすぎた俺は、まだ動いている機械の引出しに手を伸ばしてしまった。
引出しは、出てくる上段と吸い込まれる下段がすれ違うところだった。
突然世界はスローモーションとなり
俺は、
自分の右手中指が、
すれ違おうとする、
上段の引出しと、
下段の引出しに、
挟まれるのを、
見た。
つづく
時は1984年。俺は20歳。時代は高度経済成長末期。バブルの前々夜。
20歳の俺は誰でも知っている電機メーカーの工場でアルバイトをした。
夜勤だった。
家電製品の基板を作る仕事だった。
俺が配属されたのは「露光」という工程で、基板に電気の通る回路をプリントする工程だった。回路をプリントするというのは「アナログ・カメラで写真を撮る原理」を使って、基板に電気回路を焼き付ける作業と思ってもらえばいい。こうやって作られる基板をプリント基板という。
作業場は防塵室で、白衣と帽子を身に付けた我々は、シューっとエアーシャワーを浴びてから中に入る。ホコリはご法度だったのである。
前回ご紹介したベルトコンベアーの先の機械で、基板に〈写真でいうところの印画紙〉をかぶせる。これを「ラミネート」という。
「ラミネート」処理の済んだ基板は「合わせ」という工程に回される。
「合わせ」というのは、基板に回路が描かれたフィルムを装着する作業で、「露光」の工程の中で唯一「要領と慣れが要求される手作業」だった。
「要領と慣れが要求される手作業」だったので単純労働と違って退屈しない。
退屈な単純労働が苦手な俺には「合わせ」はやってみたい工程であった。
しかし新人バイト君が「単純作業」に回されるのは世の常。
「ラミネート」のベルトコンベアー係から解放された俺を待っていたのは「焼き付け」という作業だった。
「合わせ」でフィルムを装着された基板を受け取り「焼き付け」の機械に入れるのだ。
「焼き付け」の機械は、いわば、でかいコピー機のような物。
コピー機の原稿台にあたる部分が、たんすの引出しのような形をしており、機械本体に出たり入ったりする構造だ。その引出しに、基板を入れてスイッチを押すと回路が「プリント」されるのだ。
そして。
大量生産は効率が命。
効率アップのため、「焼き付け」の機械の引き出しは上下2段あった。上段でプリントしている間に、下段に次にプリントする基板をセットする仕組みだ。
引出しが上下2段ある、大きな釜を思い浮かべていただきたい。
まず上段の引出しにこねたパン生地を並べる
釜に押し込む
釜が上段のパンを焼いてくれる
その間に下段の引出しにこねたパン生地を並べておく
上段のパンが焼きあがるのを待つ
ほどなく上段のパンが焼きあがる
上段の引出しを引っ張り出す
下段の引出しを釜に押し込む
釜が下段のパンを焼いてくれる
下段のパンが焼けるのを待つ間
上段の引出しから焼きあがったパンを取り出し
あらたにこねたパン生地を並べておく
下段のパンが焼きあがるのを待つ
ほどなく下段のパンが焼きあがる
下段の引出しを引っ張り出し
上段の引出しを釜に押し込む
この手順を繰り返すと、上下2段で休むことなくパンを焼き続けることができる。
パンを基板に、釜を「焼き付け」の機械に置き換えるとこうなる。
~上段の基板が焼きあがるとランプが光る。ランプが光ったらスイッチを押す。スイッチを押すと焼きあがった上段の引出しが出てくる。同時に下段の引出しが機械に吸い込まれていく。出てきた上段の引出しのフタをあけ、焼きあがった基板を取り出す。焼きあがった基板を「合わせ」のテーブルに返す。「合わせ」のテーブルから、あらたにフィルムを装着した基板を受け取り、上段の引出しにセット。フタを閉める。下段の基板が焼きあがりランプが光るのを待つ。数十秒の後、下段が焼きあがるとランプが光る。ランプが光ったらスイッチを押す。スイッチを押すと焼きあがった下段の引出しが出てくる。同時に上段の引出しが機械に吸い込まれていく。出てきた下段の引出しのフタをあけ、焼きあがった基板を取り出す。焼きあがった基板を「合わせ」のテーブルに返す。「合わせ」のテーブルから、あらたにフィルムを装着した基板を受け取り、下段の引出しにセット。フタを閉める。上段の基板が焼きあがりランプが光るのを待つ。数十秒の後~
~くりかえし
延々、一晩、
~くりかえし
「ラミネート」のベルトコンベアーの時は機械に追われる単純作業が苦痛だった。
「焼き付け」は基板が焼きあがるのを待つ数十秒が苦痛だった。
機械に追われる苦痛から、機械を待つ苦痛に変わったわけだ。
半端なんですよ、この数十秒の 間 が。
ランプが光ったらすばやくスイッチを押せるよう、ちょっと緊張していなくてはいけない。
さらに、スイッチを押して引出しが出てきたら、すばやく基板を取り出し、次の基板をセットしなくてはいけない。
何といっても効率が命だから。
でも、待つのはかったるい。数十秒というのは休むには短すぎ、待つには意外と長い。
何といっても夜勤の作業。夜もふけてくると、待っている数十秒でボーっとしてくる。
気づけば、いつの間にか、眠くなったり、違うことを考えたりする。
俺は、よく、ギターのリフなんぞを考えていた。頭の中で『ガガガ ジャーン』とか鳴っていたりした。
そんなある夜。
「焼き付け」の作業にも慣れてきてだれてきた、ある夜。
ランプが光るのを俺は待っていた。
『ダーッ ダーダー』と頭の中で、ボーっと、ゆるーいテンポでギターのリフを鳴らしながら待っていた。
眠かったから、ゆるーいテンポだった。
と、ランプが光り、スイッチを押した。
スイッチを押したその一瞬、俺は反省したのだった。眠くなった自分を反省したのだった。
『おう、ちょっとシャキッとして仕事せんといかんぞ』と心でつぶやき、作業のスピードアップを図った。大量生産は効率が命だと理解していたからだ。
俺は、突然行動を早めた。スピードアップのためだ。
しかし、頭も体も、眠気に負けていた。ボーっとしていたのだ。
行動を早めすぎた俺は、まだ動いている機械の引出しに手を伸ばしてしまった。
引出しは、出てくる上段と吸い込まれる下段がすれ違うところだった。
突然世界はスローモーションとなり
俺は、
自分の右手中指が、
すれ違おうとする、
上段の引出しと、
下段の引出しに、
挟まれるのを、
見た。
つづく