このギター、フェルナンデスのレスポール(モデル)に出会ったのは1978年。俺は14才で、エレキギターを弾き始めたばかりで、初めて買ったロック雑誌に2ページぶち抜きで広告が出ていた。
出入りするようになった楽器屋さんのカウンターの中に、いつの間にかこのギターは吊られていた。
1982年の春休み、俺はバイトしてグレコの黒いレスポールを買おうともくろんだが、病気にかかり、バイトできず、黒いレスポールは買えなかった。へこんだ俺を見た楽器屋の姐御が、ワケアリでカウンターに吊ったままだったこのギターを、俺が安く買えるよう取り計らってくれた。口約束の分割払いだった。17才の終わりだった。
数ヶ月後、金が無く、口約束の分割払いは、払えないツケとなってしまった。バツが悪くて楽器屋に行けなくなった俺に姐御は「気にしないで店に来い」とサングラスの奥で優しく笑った。(その姐御も随分前に亡くなられた)
1年間弾いて、弟にこのギターを売り、その金で姐御に残金を払い、俺は上京した。18才の終わりだ。
2年後、弟と一緒にギターも上京してきた。
俺は弟と一緒にバンドをやり、奴はこのギターをオープンEにチューニングして、とてもイカシタスライドギターを弾いたものだ。
次のバンドの途中で弟はバンドを抜けた。
数年後、奴の居たバンドと対バンした。弟はこのギターでソロをきめていた。
時は流れ
このギターは弟の家族の友達の所に居たらしいが、俺が弾いてみたいとこぼしたら、弟はわざわざギターを回収して、車で俺の家に届けに来てくれた。
自分はこのギターをもう弾かないからと、俺にくれた。
数十年ぶりに手にした、フェルナンデス・レスポール。
随分長い間、弾かれていなかったのか、音がちゃんと出なくなっていた。
ドレッドロックフェローのケン君に直してもらった。
ライブやスタジオで時々使うようになった。
1週間ほど前の夜、ひとしきりこのギターを弾いた後、ケースに入れて、フタを開けたまま、ながめていた。
そしたら、そのまま、10分くらい、そのままの姿勢で俺は呆然と、ただただ呆然とこのギターを、ケースに入ったこのギターを、眺め続けてしまった。
その時、自分でも何をしているのか分からなかった。ただ「そうか、このギターを手に入れたのは40年近く前のことか」とだけ思った。
その時に何をしていたか。
2日後、突然思い当たった。
俺はエレキギターを弾き始めた14才のあの頃から、40年以上経った、その時の流れの重さを、初めて自覚したのだ。
14才のギター少年は、自分が57才になろうとしていることにようやく気づいたのだ。
フタの開いたギターケースは、さしずめ浦島太郎が開けてしまった玉手箱といったところか。
あっと言う間だったよ、40数年。
みんなありがとう
俺はおバカだなぁ
今日、このギターのテールピースという部品を違うモノに変えたら、いい音になったよ。
ジジイになって来た自分には驚きだが、旅はまだ続くよ。