地獄の法を読んでいます
今日はお堅くならない程度にちゃんとした文体で書きます。
週末で早目に帰宅できたので「地獄の法」幸福の科学出版を読んでいます。
数時間で読めるかなと思っていたのですが、第二章に入ったところで難儀しています。
第一章はとても興味深く読み進める事ができました。
色々な宗教の事が書いてあり、経済、歴史、思想にも言及されていて宗教の本だという感じはしませんし、普通に面白いです。
ただ、それぞれの宗教や歴史については、信徒であればそのまま受け入れても、さほど問題はないのかも知れませんが、ここに書かれている事だけが真実だという保証はないので、信徒以外の人が読むとすれば、そういう前提だ、として読むしかないのかなと思いました。宗教団体の書籍なので、そこは別に考えなければ...ですね。
その第一章の終わりに「地獄はある」という事が、そして第二章からは色々な地獄について詳しく書かれています。
ここでフリーズしてしまいました...。
(残りは宿題として、また後日に。)
私の想いは、天国も地獄もあるかもしれません、でも「考える必要がない」なのですよ。
懸命に業を残さないように、できるだけ他者に貢献できるよう努めて今を生きるだけです。
こんなふうに思っています。
世界は本当はひとつの意識あるパワー(宗教的には神様)で、それぞれの物体はその存在の表現物。
だから地球と私とこれを読んでくれている方は元々一体。
(世界人類皆兄弟ではありません!笑 違いますからね!同じ源に繋がるパワーです)
意識の一つ一つは、他の意識と出会い業を作っていく。
物体は滅びるから、業を解消もしくは手放せなければ意識は残りいずれ転生する。
肉体から離れた意識(魂)は次の転生まで源(神様のみもと)へ戻る。
源に行けない魂は、現世に執着が強いか、何かの理由で迷子になったのでしょうか?分かりません。
業はカルマ、パワーは波動と表現する方が多いかもしれませんね。
善と悪について。
この世の善を見て感動する自分や悪を見て激怒する自分がいます。
でも、その善悪は私が自分の立場で見た場合のものです。
別の立場の方には逆かもしれません。
どこから見ても悪なのであれば、それはそういう役割を選んできたと思うしかないと考えます。
ですから、自分が閻魔大王になってはいけないと戒めてはいますが、難しいですね。
こんな事では、次もまた転生してやり直しです。
でも、この世界は愛が充満していると思いませんか?
悪が充満していると思えば、それが地獄なのではないでしょうか。
言葉を綴るのは難しくて、時に多すぎたり、足りなかったりします。
このブログも読む方それぞれ受け取り方が違うと思うので、不快に思われたらごめんなさい。悪意はありません。
別の話しをします。
とあるところで私はこう書きました。
「私は私でしかない」
これの意味は丁寧に書けば「私は私自身でいる事しかできない」でした。
でも私の書き方が悪かったので誤解されたようです。
いつの間にか、「私は私の勝手にする」「私は私の好きなようにする」と解釈されました。
でも、そういう事だったのです。
誤解させてごめんなさい。
誤解された方が、これをお読みになっていて、それでもお考えが変わらなかったり、また別の解釈をされても、それはその方の自由であり、それを受け入れます。
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