goo blog サービス終了のお知らせ 

氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.5

2013-09-25 07:00:07 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.4 からの続き




場が落ち着いたところで誰かが言った。
「4元素というが、その中でも火というものは一番上なんですかね。」
するとnozomiさんが
「密教のお坊さんから聞いたことなんですけれども、
仏壇には4つの要素があると。
火、土、水、風。
その中でも火が一番上位らしいです。」と答える。
火が一番上か、人類が火を使うことで調理したり、外敵から身を守ることが出来るようになった。
それだから一番上の位になっているのだろうか。
すると西川さんが、
「火はね、もつことが出来ない。自分のものには出来ない。
近づくことも出来ない。離れてみなければいけないんですね。
人は怖いものであり、人と人をつなぐものでもある。
ギリシャ神話の中にプロメテウスという神がいる。知恵の象徴。
ゼウスの反対を押し切って、人類に火を与えた神。
人類の幸せを願ってのことである。
しかし、ゼウスの予言どおり人類は火を使って武器をつくり、戦争をおこした。
今ではプロメテウスの火とは原子力など人間の力では制御できない科学技術などのことをさす場合がある。
このように火は両面あり、非常に扱いの難しいものである。
だから、一番怖れ、一番大切にしてきたのかも知れない。」





油彩 20分×4×2日 F10




まだ発言していない人が火のイメージを聞かれ、
昔は村で火葬をしていたことを思い出すと言った。
西川さんがそれを受けて話をする。
「そうですね。昔は村々で火葬をしていましたね。
村八分といって葬式と火事だけは協力しあっていた。
火葬場の山に登っていくとき、ちょうちん行列になりますよね。
そのときに道中悲しみも背負って一緒に歩いていくもんなんです。
一緒に住むと不幸はある。その不幸とどう向き合うか。
火はそういうものを思い起こさせるものかもしれない。
そういう火もあれば武器に使う火もある。
太平洋戦争で沖縄の人が洞窟に逃げたのを
アメリカ軍が火炎放射器で焼き殺す。
だれが考えたんだろう。あんなえげつないものを。」
一同沈痛な面持ちになる。




哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.6 へ続く








哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.4

2013-09-24 07:15:06 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.3 からの続き



ウィッキーさんに催促されたので本をペラペラめくる。
いいなと思っているところはあらかじめ紙をはさんでる。
しおりがわりに。


「好きな言葉は、”助からないと思っても助かっている”です。
紹介したい詩は次の詩です。

仕事が仕事をしている仕事

仕事が仕事をしています
仕事は毎日元気です
出来ない事のない仕事
どんなことでも仕事はします
いやな事でも進んでします
進む事しか知らない仕事
びっくりする程力を出す
知らない事のない仕事
聞けば何でも教えます
頼めば何でもはたします
仕事の一番すきなのは
苦しむ事がすきなのだ
苦しい事は仕事にまかせ
さあ吾等は楽しみましょう」

私にとってはうっとりするような詩。
なんでこんな思想が生まれるのだろうかと不思議に思う。
と同時にみんなに伝わったのだろうかと不安がよぎる。
火というテーマなのに仕事の詩を読みやがってというか感じで。
「この詩は河井寛次郎が毎朝、窯の仕事をする前に
みんなで読んだ詩です。
河井寛次郎はもう亡くなっていますが、
今でも窯の人々は毎朝、この詩を読んで火を焚いて仕事をしています。」
反応は悪くない。
納得しているようだ。
さすが釜ヶ崎に集まる人々である。
詩の内容が腑に落ちたのか、
火を扱う仕事の前に読んでいるしだからなのか、
それはわからないが。
とりあえず、今日の会はこれで満足した。
後は聞き役にまわってよいくらいである。





油彩 20分×4 F10




哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.5 へ続く











哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.3

2013-09-23 05:27:57 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.2 からの続き



火を扱うことで人類たる所以を示した人間。
その火を扱うことがなくなった。
文明が発達することによって、自らの存在意義を放棄したとも言える。
では今、どう向き合えばいいのだろうか。
西川さんが続きて言う。
「火を一緒に見つめると友達の間がより親密になったりする。
複数の人間がじっと見ることが出来るもの。
それは揺らぎがあるので見つめ続けることが出来るんだろうね。
火を見るときはお互い向き合って見るじゃなく、
同じ方向に向いて火を見つめる。
同じ方向を向いているという点も大事なんだろうね。
今は自分のために使うのがほとんど。
人と人がいるときに使うのが昔であり、
それが火の魅力になっていたんだろうね。」




8月にスケッチに行った京都の三十三間堂の仏像



私に何かないかと指名してきた。
「前回、ウェイさんが土と火を提案してきたときにまず浮かんだのが河井寛次郎。
土と火を使う陶芸家の人。たくさんのエッセイや詩もたくさん発表している。
生活に美を見ることを言っているのであるが、地についた話をして、
決して観念的ではない。こういう人になりたいと思っています。」
西川さんがフォローを入れる。
「大正時代、民芸運動をした人。」
無名の職人が作った陶芸や竹細工、染物などを世に紹介した活動。
朝鮮半島の李朝時代の美術工芸品や江戸時代の木喰(もくじき)の仏像にもスポットを当てる。
柳宗悦(むねよし)がまずはじめ、河井寛次郎が参加したかたちである。
せっかくだからと何か紹介してよと
ウィッキーさんが私の手に持つ本を指差す。
私が河井寛次郎の話をするときに紹介した本である。
火の誓い。ちょうどテーマにあっていると思い、紹介した。



哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.4 へ続く











哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.2

2013-09-22 04:47:00 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.1 からの続き





今日もnozomiさんが司会を勤める。
彼女の緊張が伝わる中、会は始まる。
でも、参加者はそれぞれ楽ーにしているので気にするほどのことではない。
ここ西成は全国で一番消防車の出動が多い街であると誰かが口火を切る。
すると遅れてウィッキーさんが入ってきた。
ハロー?と言ってどっかと座り、おもむろに靴下を脱ぎだした。
ここは実家か?リラックスしすぎである。
周りの人は大丈夫かな?脱ぐと匂いが漂うはず。
そして、自分のレポートを読み出す。
人間と火のかかわりについて、光源として。
他に連想するものは情熱。
そういうことを話しながら、いろんな人にインタビューした火についての連想を発表する。
話が少し散漫になりかけたところで西川さんが本筋になるように戻す。
「火の加減は計算尽くせない。それこそ火事になったりするし。
火というものはわからないもの。
わからない中でもほったらかしにしない。
火というものはデジタルのようにコントロールできない。
さっき話があった情熱もコントロールできないよね。
その意味じゃよく似ているかもしれない。
光源として考えると電気の照明は計算尽くされた効果があり、安定している。
一方、火はゆらめきがあり、明るくなったり暗くなったりする。
照明は安定しているけれどみつめることが出来ない。
火、焚き火なんてそう。何時間でも見つめてられる。不思議よね。
こういう風にプランどおりにいかないのがいい。」
さすが西川さんである。場が締まる。









すると7ウェイさんが、
「焚き火と言えば三角公園でご飯を炊く。鍋と一斗缶を使って。
燃料は新聞紙。これが難しい。
消えないように1本ずつ押し込むように入れていく。
火加減も調整しないといけない。なかなかうまいこといかんけどな。」
西川さんがそれを受けて、
「俺の友達にシャバジーというレゲエをやっているやつがいて。
丹波でホームレスみたいな生活をしている。
ご飯は釜で炊いている。
自動車工場で働いて、夜帰ってきて、蚊まで飯を炊くらしい。
寂しくないかと聞くと寂しくないと答える。
それは火の加減とか難しいよね、火の番しないといけないから目を話せないし。
だから、いらないことを考えている暇がない。
危ないから知恵も出てくるし。
現代の人はあまりにも火から遠ざかってきた。
火と付き合うのが下手になった。
タバコの火をつけるライターくらいじゃないか。」
と言ってポケットからライターを取り出す。
なるほど言われてみるとそのとおりである。
今は街中で焚き火をしているところもないし、田舎でも野焼きをすることもなくなった。




哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.3 へ続く







☆★☆  狂言、音楽、詩、哲学などなど ワクワクがいっぱい  ☆★☆

釜ヶ崎大学がいつまでも続くように皆さんご協力お願いします m( _ _ )m





哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.1

2013-09-21 07:06:38 | 釜ヶ崎人情
前回 哲学の会 ”余裕とは 13年07月 Vol.1



はじまる5分前に到着する。なかなかの盛況ぶり。
いつもは6人から8人の参加がもう8名以上の人が座っている。
空いている場所もあまりないので西川さんと同じテーブルについた。
西川さんと近況報告などする。
この会で絵本を作りたいという話が出ている。
会で出て来たフレーズなどちりばめて、
イメージする絵をみんなで描く。
とてもいい本が出来そうである。
今回のテーマが「火」。その次は「土」。
このテーマはクリスチャンのウェイさんが提案したもの。
最近、土いじりをしているそうだ。ちょっとした家庭菜園。
それで土といったのだが、ウィッキーさんが
「土難しい。もっとわかりやすいのをしようよ。火とか。」
それで火になった。
すると西川さんが
「4大元素か。すると風と水もいるな」
結局、抵抗むなしく土もお題になった。







火と土。私が連想するものといえば河井寛次郎。
紛れもなく火と土の男。
いつもこういう男になりたいと憧れる。
自分の作品を名作として世に残したいというところもないし、
自ら進んで名を求めることもしない。
作品よりも行動すること、作品を作る行為を上位に持っていっている。
出来上がれば飾るだけ、たいしたものではないと思っているのだろうか。
作品もすばらしい、文章もすばらしい。
特に文章に一点の曇りもない。子供のままで大きくなったような人。
かといって銭金のことを賎しいものとして見ていないし、
銭がどうやって産まれるかをわかっているような感じである。
ほとんどの芸術家はお金に無関心か関心がありすぎて汚いかのどちらかである。
油や泥で汚れた千円札がズボンのポケットに裸で無造作に入っていることなんて想像できない。
想像できたとしても入っていること自体であり、
なぜそうなっているかがわからない。
そういう人間に対し、ブラックのクレジットカードを持ってる人間もいる。
それを能力の差、育ちの差だけで片付けると思考停止になって
銭はどうやって産まれるかがわからなくなる。
河井寛次郎はそれをわかっている、そう思っている。



哲学の会 ”火” 13年09月 Vol.2 へ続く