僕は外でお金を払ってコーヒーを飲む事が少ない。余程の事が無い限り自分で淹れるコーヒーよりマズいと思っているからだ。僕がコーヒーに関心を持ったのは小学校高学年程度(キーコーヒーのトアルコ トラジャが出て数年経った頃)だったと記憶している。当時自分自身でサイフォンやドリップで淹れていたコーヒーの香りや味を基準にすると、殆ど全てのコーヒーが落第点でしかない。
先日、知り合いのブログを見ていたら、彼の主観ではマクドナルドのコーヒーはマズいというエントリーを立てていた。
その名も恥ずかしいプレミアムローストコーヒー: ナナメ考察
僕はマクドナルドのコーヒーを飲んだことが無い(マクドナルドでは基本的に水しか飲まない)ので、コンシューマーレポートの「スタバよりマックの方が上、コーヒーを飲むならマックか自分で淹れるかにすれば?」というようなコメントの印象を基に彼のエントリーに投稿してみたら、彼からタイトルの通りの内容を含むコメントが帰ってきた。
ConsumerReports.org - Coffee taste test: McDonalds, Starbucks, Burger King, Dunkin' Donuts(この記事は日本では「スタバのコーヒーはマックよりマズい」と紹介されることが多かった)
僕はスターバックスのお店でコーヒーを飲んだ事が無いのだが、近くのカーディーラーで淹れて出していたスターバックス印の付いたコーヒーを飲んだ事はある。そこで出すコーヒーは恐ろしくマズかった(マズさは人生で二番目くらいのランク、一番はヤナセで出された恐ろしく薄かったコーヒー)ので、これにスターバックス印付けて出したらヤバいだろうと思っていたのだが、もしかしたらあの味は「スタバの味」を忠実に守っていた結果だったのかもしれない。
日本人はスターバックスのような商法に弱いんじゃないかと思う。
アメリカのお洒落な某さえ上手く生かせれば、味のレベルや本国での実態がどうであれ、本国と比べて高いプライスが付いてようがヒットしてしまうように見える。
アメリカのお洒落っぽいイメージを使って日本で成功しているスターバックスやクリスピー・クリーム・ドーナツの米国でのニュースや株価を見ると、温度差を強く感じる。
Starbucks Corporation | SBUX | Yahoo! Finance
KRISPY KREME DOUGHNT | KKD | Yahoo! Finance
目的地に着いて知人に挨拶を交わして一頻り画を拝見した後は、先日会社の後輩に貰ったお土産のお返しを近所のスーパーに買出しに行ってみた。意外と気付かない事だが、国内だと「地元のスーパー」では大体の場合その地元特有の土産が売っている場合が多いのだ。土産だけでなく、普段行っている自分の地元のスーパーとの微妙な文化の違いが分かって面白い。
国内に限らず海外でもそれは変わらない。観光客を相手にしている店は観光客向けに色々アジャストしているが、地元のスーパーは素のままなので、自分の住んでいる場所との微妙なズレが僕にとって凄くエキサイティングだったりする。海外は今までイタリアとハワイとオーストラリアに行っているが、「地元のスーパー」には必ず足を運んでいる。
先日、近所に新しく出来たシネコンでThe Curious Case of Benjamin Button (邦題:ベンジャミン・バトン 数奇な人生)を見た(妻と子供は「マンマミーア!」を見たので、一人である)。結論から言うと、望んでいる通りの映画だった(感想は割愛、映画を診た後に色々な人のブログを見たのだが、残念ながら僕がシンパシーを受ける人に出会う事は無かった)。
掲題は、最近僕が繰り返し使っているフレーズである。今回の映画を見て、それが如何に重要かを痛感した。
僕の父親は46歳で病死した、父の一族の殆どが50台で他界している。それが起因してか、僕も38歳の現在、既に死ぬ事に対する意識が極めて強い。
記録を遺しても、国内若しくは世界的に広く歴史的な実績を残さない限り、若しくは子孫が語り継いでいかない限り消失していくものだ。つまり、原則として余程著名な人間として史実に残らない限り、自分の生きた結果は消失するのだ。
残念ながら、現時点では僕という存在が残る可能性は皆無と言える。
僕が認識する限り、最も記録に残る可能性を秘めている人はアーティストである。
彼等がもし後世に自分の存在を残(遺)したいなら、如何に普遍的な作品を残(遺)せるかがテーマとなることだろう。まあ、生きていうちにそれを確信する事も出来るし、死後そういった成果が出る時もあるので、それは作品次第としか言いようが無いのだが。
以前ファッションセンターしまむらで3000円で買ったスーツの上に着るコート(見た目も保温性も至って普通、但しボタン周りが弱い)が2シーズン目にして傷んできたので、会社帰りに地元のGMS(General Merchandise Store:総合スーパー)で売られているコートをチェックしていた。木曜日に広告を出すとかで、水曜日の夜のうちに、火曜日に見に行った価格よりも更に値引きされた価格に変更されていた。
チョット欲しいコートの値引き後の価格が依然高いままだった(29000円が23000円)ので、場合によっては安くして貰おうと店員を呼んで事情を聞いてみた(実はGMSの在庫処分品は、企業や店舗によってまちまちだが値引きが出来る事が結構ある)。
店員曰く、僕が欲しいと思っていたコートは「お借りしている品」だそうな。売れなければ返品可能な商品である代わりに、仕入れ値もそれなりなのだろう。半額以下の安くなっている商品は「買取」で、返品不可能との事。仕入れ値も安く出来たのだろうが、在庫処分をしないとアカンので「広告の品」として集客用の目玉商品にして値段も抑えて売る事が可能なようだ。
貧乏性なので金額を安く抑えたいので23000円のコートは諦めて、安く売られている15000円の50%割引の物と19800円や14800円だったものを7000円表示に変えている物という二種類の「買取」の中から選ぶことにした。
この店舗はグループのクレジットカードと、家に届いてた割引葉書の使用で10%割引キャンペーンをしているのだが、割引対象を確認したところ、50%割引だと更に10%割引が出来ないシステムらしいが、7000円表示だと10%割引が可能という話だった。
一応これ以上安くなるか聞いたが「広告の品」という定義があって下げられないという事だった。結局、安くて微妙なコートの中から比較的マトモな奴を選んで会計をした。 14800円→6300円、葉書は持って来なかったけど7000円から10%割引をして貰った、ちなみにクレジットカードのポイント(0.5%)が2倍になる日だった。
正直この買い物が高かったんだか安かったんだか分からない。取り敢えず在庫がハケるであろう土日にこの店に来る可能性は極めて低かったので、コートを買えた事を良しとしよう。
THE STATE TRETYAKOV GALLERY
Kramskoi Ivan Nikolaevich
Aivazovsky (Gaivazovsky) Ivan (Oganes) Konstantinovich
クラムスコイについては画そのものと言うよりは、画を介して彼が生きていた人生・世界、彼が世界に何を感じていたのかを感じ取りたい。
アイヴァゾフスキーについては画そのものを見てみたいという関心である。
近いうちに見に行こうと思う。
クラムスコイを知った切っ掛けは、フェルメールについて調べていた時にたまたま見つけたという偶然である。
フェルメールの画(の画像)を(ネットで)見ると、彼が賞賛されている理由が僕には全く分からない。個人的には、コラージュ(ここでは美術用語というよりはCG用語として)に見えて仕方ないのだが。物体単位で見ると、見える角度などの連続性がバラバラに見えて仕方が無い。画からも個人的には何も感じるものも無い、強いてあげれば違和感だけだ。
しかし、クラムスコイの画には(今明確な単語で表現出来ないが)明らかに感じるものがある。
僕の少ない経験では「感じる」と思える画に出会ったことは殆ど無い。今まででは、カラヴァッジョを見ると何とも言えない血のざわつきを、デューラーから静寂・安静とでも言うべきものを、せいぜいそんなところだろう。