迷悟在己

痴呆寸前が巷間を漂いながら日々の雑感を書きます

サーシャとなおみちゃん

2019-02-18 17:21:21 | 日記
古くはニチボウ貝塚の東洋の魔女と大松監督、近くは高橋尚子と小出監督、女子選手を御すのは実に容易な仕事でない。信頼関係が最優先となる。師弟のようで、ある面恋人、夫婦のような一面もある。微妙で難しい関係のような気がする。女子選手は男と違って「色気」ついたらその場で終了となる。だから恋愛はご法度で、そういうことを厳しく律しながら、コーチはそういう対象としての代役もつとめなくてはならないという一面もある。特に肉体関係は重要ではなく、ある意味でそれ以上の信頼関係でむすばれていなくてはならない。全豪での大坂は優勝したのに、何か心ここにあらず という微妙な表情をしていたのを見た人も多かっただろうと思う。実際コーチとの離反がどういう理由であったのかはご当人しかわからないし、微妙な問題があればさらに表面にはでてこないだろう。
下司の勘ぐりのようだが、サーシャにはれっきとした恋人がいるのだから、そのあたりがすこし関係するのかと思ったりもする。サーシャは向こう何年分かのスケジュールをたてて、それに沿ったコーチングをする計画だった言うから、おそらく専らの原因は大坂にあるような気もする。厳しいトレーニングをこなして何年も頂点に立つというよりも、たとえレジェンド選手にはならなくとも試合をこなして幸福感さえ得られれば良いという大坂の言い分はもっともな気もするが、それは少々独りよがりな意見という見方もある。たとえばスポンサーのアディダスは9億円ものポートをしているわけで、たとえ負けたって幸福感さえ得られれば良いなどというのではほかの有望選手に鞍替えということだってありうる。押しも押されもせぬ立場になった、それがはたしてどういう意味を持つのか、そういうことをこんこんと諭すようなアドバイザーが必要かと思う。ドバイでの敗因がサーシャに関係するとは早計に言えはしまいが、メンタルな面で微妙に影響したとは言えるかも知れない。
さてバリバでの結果こそが重要で、大坂がどういう将来図を描くのか、この一戦にあるといって良い。
わしとしては何年も何年も頂上で戦って欲しい。日本人として彼女のプレーほど溜飲を下げるスポーツはないんだから。

鶏足寺のこと

2019-02-15 01:13:27 | 日記
鶏足寺、もしくは飯福寺とも言う。私が初めて彼の地を訪れたのは20年以上も前になる。ここは秋色のもっとも華やかな時でさえ人影もまばらで、参道のすぐ下まで車で乗り入れることが出来た。一日のんびりあたりを散策しながら気ままに写真の撮影が出来た。参道沿いには往時宿坊が並んでいたそうで、私が初めて訪問したときにはまだ廃屋が建っていた。地元の人の話では、花祭りの時には屋台が出て、たいそう賑わったそうだ。この地方は井上靖や水上勉の小説の舞台になったところだから、知る人ぞ知るという場所なのだが、それでも湖北のさまざまな観光地と同様、あまり人気がなく、それ故にわたしにとっては天国のようなところだったのだ。ところがある年から急に観光客が増えはじめ、年々それは増加する一方で、今では秋の紅葉の時期になると、まるで日曜遊歩道のようなありさまになった。地元のひとたちにとっては地域起こしになって良いかも知れないが、私にとってはありがた迷惑なのだ。特に中国人の声が大きく飛び交う様子は少々げんなりで、何年か訪問しなかった。こんなことを言うと「お前は 犍陀多か」などと言われそうだが、私は大いに不満なのである。これには思い当たるふしがある。私はもうひとつブログを持っていて、そちらに鶏足寺の写真を数点得意げに掲載したことがあるのだが、大して訪問する客の少ない私のそのブログで、この鶏足寺の写真だけが多くのアクセスが続いたことがあって、どうもその頃から少しずつ観光客が増えたようなのだ。思い過ごしといわれそうだが、私はそう思ってる。今のところ私にはひそかに抱いているシャングリラがいくつもあって、どうかするとそれらの地を紹介したい衝動に駆られる時があるのだが、この鶏足寺での失態を思い起こして ぐっと我慢している。ひそかな愉しみがなくなっては困る のである。そういうわけで、ときどき「お前は 犍陀多か」と自問自答している昨今なのである。