天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

志波姫神社

2023-05-08 22:18:48 | 日記

 通りすがりの旅でもお導きということがある。
 国王神社(茨城県坂東市)という凄い名前が気になって参ると、東京に首塚が残る平将門公が祀ってあった。新皇を名乗って国家を傾けようとしたけれど最期は非業に死を遂げたものの、地元では義によって起ったとして神に祭られている。すぐ心服していたら、みちのく潮風トレイルの南端コースの一つの拠点である相馬中村神社(福島県相馬市)に寄ると、大名家・相馬氏の祖先が平将門ということで境内に国王社が祭ってあって、奇縁を感じた。
 また、安達太良山に登ったあと車を走らせていると、霊山神社(福島県伊達市)の標識が目に入ったので寄ってみた。建武の親政に功のあった北畠親房、顕家父子を祭る気合いの入った神社の、例大祭の日であって得をした気分になった。宮城県では芭蕉も感嘆した多賀城碑と、多賀城跡は必見で、広大な発掘跡などを歩いていると、観光案内の目に入りにくい多賀城神社にぶつかった。ここは足利尊氏勢に攻められて霊山地域に撤退する前の北畠顕家らの拠点だったところで、昭和になって顕彰するために創建されたそうだけれど、何か吸い寄せられた感じがする。
 塩釜に来れば寿司だけれど、そう罰当たりなことばかり言っていられず、陸奥国一宮の鹽竈神社を素通りできない。ナビに連れられ海側から入ると、まず志波彦神社、並らびに鹽竈神社だった。志波彦で外国人カップルが結婚式を挙げていたり地元では人気なのだと思いながら、鹽竈に重点を置いてお詣りした。塩竃には急峻な階段の表参道があって、下りて数えると130段だった。雨に濡れていたわけでもないのに、ここで滑って転んで大きく尻餅をついて笑われた。あとで聞くと、志波彦の方が社格が高く、軽く見た罰が当たったのかもしれない。
 鳴子温泉浴の拠点として大崎市街に泊まった。すると、市内に志波姫神社を発見したのも、お導きだと思う。彦と姫、志波繋がりで何だろうと、地元の人に聞くと、志波姫神社は天照大神が岩戸隠れした際に、前で裸踊りをして天照が何だろうと覗いた隙に天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)に大岩をこじ開けさせたという天鈿女命(アメノウズメノミコト)を祭っているのだという。
 アメノウズメは天孫降臨のトップバッター瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天下った時にサポーターとして付いて来た天つ神。そこで迎えた国つ神の猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)が宮崎県の高千穂がいいよと先導した。その猿田彦を志波彦神社で祭っていると説明してくれた。もっとも、志波姫神社は近隣市にもあり、祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)とするなど諸説あり、日本書紀の「一書によると」の感じかもしれない。
 しかし、親切なのは大崎市の志波姫神社である。天照大神を闇から引っ張り出して功績があるのは天鈿女ばかりでなく、手力男が怪力を出したからだとリスペクトを示して、志波姫神社の境内に天手力男命の石碑も祭っている。この神様は怪力が看板なので、野見宿禰より先輩の相撲の神様にもされる。
 ところで大崎市周辺は元々の米の本場である。ササニシキ、ひとめぼれなどの品種改良がされる以前の、江戸時代でも当地の米は本石米として江戸市場で高く売れた実績を持つ。美味いコメをいっぱい食べて体を頑健にすれば相撲に強くなるということで、史上最強の横綱白鵬に大崎市の観光大使を委嘱している。そのつながりで、同境内の天手力男命の石碑も白鵬の揮毫を使っている。境内にはまた近隣の力自慢による相撲大会をするための立派な土俵が設けられている。郷土力士としては序二段に『謙豊』三男がいる。










鹽竈神社

2023-05-05 23:47:58 | 日記

  陸奥国一之宮の鹽竈神社に參った。
  御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)に、別宮として鹽土老翁神(しをつちをぢのかみ)であるけれど、土地柄から塩土老翁神が主祭神であると思う。
  鹿島神宮が武甕槌、香取神宮が経津主を主祭神として競っているのに対し、両方祀っているのは東北的おおらかさで面白い。
  塩釜神社だけに塩土老翁が主役でなければならない。武甕槌と経津主と違って日本書紀と古事記の両方に登場する。面倒臭いので書紀だけ見ると、日本神代記十大ストーリーの一つ、海彦山彦物語の中で活躍する。兄の海幸(火闌降命=ほのすそりのみこと)が、弟の山幸(彦火火出見尊=ひこほほでみのみこと)にお互いの仕事道具を交換してみようじゃないかと誘い、自分の釣針を渡し、弟の弓矢を貰った。しかし、弓矢が上手く使えなかった兄ちゃんは、やっぱり駄目だ、釣針を返せと弟に迫った。ところが弟の山幸も慣れない針を使って、魚に持っていかれ無くしていた。
  返せ返せと責め立てられ山幸は海辺で泣いていた。そこに現れたのが塩土の爺さんだった。困窮を聞いて塩爺は、何だ心配すんな、心当たりがあると、解決策を教えてやった。そして無目籠(まなしかたま)という、水が浸入しないようガチガチに編んだ籠に、山幸=彦火火出見尊(結局は浦島太郎)を入れて、海に沈めた。
  あとは竜宮城に行って乙姫さまといっぱい楽しい日々を過ごし、お土産を沢山持ち帰って、最後に兄を懲らしめるという有名なおとぎ話になる。
  ここで個人的に気になるのは、浦島太郎繋がりである。私の今回の旅の始まりは京都・宮津の丹後一宮・籠神社だった。伊勢に皇祖神を祭る前の元伊勢と言われる神社であり、浦島太郎伝説に関わりの深いところである。それが塩爺が山幸を竜宮城に送るために作ってやった籠に繋がった。私が各地一宮を訪ねて北に向かった旅は、一応の区切りがついたようである。

籠のまま
乙姫に逢はず
日の目見ず
塩釜に焼かれ
我老いにけり













富沢摩崖仏群

2023-05-04 10:30:07 | 日記

 宮城県柴田町富沢の岩崎山の岩肌に阿弥陀如来坐像が彫り出されている。側面に嘉元2年(1306年)や恵一坊藤五良などの刻字があり、籐五良が父の供養のため、その年に彫ったと伝えられている。途方も無い信心であり、遠路を厭わずお詣りした。
 周囲に虚空蔵菩薩像4体も彫られていると記されていたけれど見付からなかったため、ウロウロしていると、付近に珍しい植物がいろいろ生えており、お陰で牧野富太郎博士も悔しがりそうな新種の植物を発見した。
 すると初老の男性が現れ、磨崖仏群のほか、近隣のことをいろいろ說明、案内してくれた。植物にはかなり詳しく、これは榊だ、イロハモミジだ、タラだ、マムシソウだなどと教えてくれた。しかし、私が一番興味があった三つ葉の真ん中に舌が出ているのは、山野草だとしか答えられなかった。あとでグーグル・レンズで調べると、トリリウム・フレクシプスだとするが、似ても似つかない。やはり日本古来種の新発見に違いなかった。
 その人と出合えて幸運だったのは、所在の分からなかった虚空蔵菩薩の在り処を教えてくれたことだった。阿弥陀如来の裏手をぐるっと回った民家の間の細道を伝って上った崖の上にひっそり掘られていた。場所が分からないのでほとんど誰も来ないけれど、たまに来ると滑って転んで大怪我したりすることが何回もあったので、積極的に案内していないそうである。私の守り本尊がいつも肌身離さない虚空蔵さんなので有り難かった。
 その人の案内癖はとどまるところを知らなかった。近くの能化寺の大仏さんは有り難いよと連れて行き、写真撮っておいた方が良いよ、というのが口癖だった。住み着いた大勢の猫まで撮らされた。向こうに韓国どぶろく醸造所があると、付いていったら冬場の商品のため休業中だった。土産に買って帰りたかったのに休みですかとガッカリすると、「そうよ」と言うのも口癖だった。しかも本人は体調の加減で酒を一滴も飲まないという。次は貝塚。ここら辺りは数百年前は海だったと説明してくれた。山向かいの鹿島神社に參ろうという。いや、来る途中、茨城の鹿島神宮に寄ってきましたと言ってもお構いなしだった。自分で参拝したあと、もう一度賽銭を入れ、あんたの分も出したから拝んでおいた方が良いよと勧めてくれ、いい人だった。ずうっと自転車で先導して案内してくれた。いろいろ世間話、身内話も交わした。最後はホテルまでの帰り道を途中まで案内してくれた。別れづらくなり、写真を撮らせてもらった。狸か、狐のような方だった。何が遭遇させてくれたのか、今回の紋次郎旅のハイライトになりそうである。

みちのくの
岩崎山に
彫り出さる
阿弥陀如来ぞ
富さはにせむ