私的メモ(他人は見るべからず)

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情報は生徒が自らの未来を模索するためのツールとなっていく

2005年07月20日 | Weblog

情報は生徒が自らの未来を模索するためのツールとなっていく

1 情報教育の現状と課題
 情報教育の必要性が叫ばれて久しいが,情報教育がなかなか普及,定着しないという声もそこかしこで聞かれる.1999年3月の文部省調査によるとコンピュータの整備状況は,小学校で12.9台/校,中学校は32.1台/校,高校は76.4台/校となっており,米国の水準よりはかなり低い.文部省が推進している,2000年3月までに達成予定の新整備計画の目標台数では,小学校22台/校,中学校42台/校,高校(普通科)42台/校である.一見,高校は目標を達成しているように見えるが76.4台/校という数字は専門教育も含めてのことであり,普通科高校に限っていうと達成されてはいないようである.
 文部省筋の情報によれば,新しい整備計画により,小学校,中学校,高校とも84台/校程度の整備を2005年度までに実現したいとのことである.
 また,文部省は2001年を目標にすべての学校でインターネット接続を実現するとしているが,1999年3月の同調査によれば,学校のインターネット接続率は,小学校27.4%,中学校42.8%,高校63.7%である.ちなみに米国では1998年10月の調査で,小学校89%,中学校88%,高校94%がインターネット接続を完了している.米国ではT1(1.5Mbps回線)による接続を推進しているが,日本ではアナログの電話回線かISDN(128Kbps)接続がほとんどで,決して快適な接続環境とはいえない.先ごろまとまったバーチャルエージェンシー(文部省・通産省・郵政省・自治省・内閣内政審議室によって構成された小渕総理(当時)の直轄組織)の報告では,2005年までにすべての学校を1.5Mbps以上の高速回線で接続したいとの方針だ.
 文部省の計画通りに整備が進めばある程度の情報教育インフラが整ってきているといえるだろうが,整備のための予算措置が地方交付税交付金によってなされているため,地域によっては整備に遅れが出ていることもある.自治体の状況次第といった感も否めない.インフラが整うということは環境が整備されるだけであって,情報教育が推進されることと必ずしも同じではない.が,インフラが整って初めて情報教育の実践が可能となる.
 生徒たちがパソコン教室で思い思いにインターネットを活用する場合,数台のコンピュータがインターネットに接続されているだけの環境ではとても十分とはいえない.パソコン教室にあるすべてのコンピュータをインターネットに接続するような場合,一般にインターネットへの接続回線を共用しなければならない.また,学校内で電子メールを活用する場合には,それぞれのコンピュータがネットワークを構成していることが必要になってくるだろう.つまり,インターネットを活用する場合,パソコン教室や普通教室に整備されたコンピュータはLAN(ローカルエリアネットワーク)によって相互に接続され,そのLANがインターネットに接続される形態が標準的なモデルになってくるだろう.
 インターネットに接続されたLAN環境を構築する際に,どうしても避けて通れない問題に遭遇してしまう.これが,現在の情報教育の推進にブレーキをかけている要因の一つである「管理」である.LANを含むコンピュータネットワークには,管理者が必要である.管理者がいなければ,セキュリティを確立することは難しい.利用者の登録,利用者の利用権限の設定,リソース(資源)利用の管理,外部接続状態の把握,外部からの攻撃への対応,メールのマナーについてのルール作りやルールの徹底,プライバシーの保護,著作権の保護,法令への抵触に対する配慮など,ハードウェア的な面から人的な面まで管理者が担う仕事は膨大である.場合によっては,ネットワークを学習の中でいかに活用するかのアドバイスを求められたり,コンピュータを活用した授業の設計を求められたりもするだろう.
 管理を外部に委託する場合でも,管理は学校にとって大きなコスト負担となる.管理を校内でまかなう場合,管理を担当する先生の負荷も大変なものとなるだろう.最近の傾向では,学校や教育委員会から自治体に予算申請するときや自治体で予算確保するときに,保守やサポートの費用を計上するケースが目立ってきている.しかし,日常的な管理業務に対する費用計上を行っているケースはまだまだ少ないようである.この管理業務は,現在,育成のためのカリキュラムを開発している,情報化推進リーダーや情報化推進コーディネータが活躍する分野になると思われる.早期の実現が待たれるところである.

 前述のように,文部省は2001年までにすべての学校をインターネットに接続することを目標に掲げているが,インターネットの利用が情報教育にもたらすものは何なのだろうか.また,情報教育はどのように変わってゆくのだろうか.

2 これからの情報教育
 ケルンサミットにおいて,小渕総理は「グローバル化時代に求められる『読み書きそろばん』としてコンピュータ教育が必要である」と発言している.また,文部省はコンピュータ教育を「日本の教育における最重要課題」と位置付けている.
 1999年7月に,文部省・通産省・郵政省・自治省・内閣内政審議室によって構成された小渕総理の直轄組織であるバーチャルエージェンシーが「教育の情報化プロジェクト報告」として報告した内容では,2005年を目標に

  1. すべての教室にコンピュータを整備
  2. すべての教室からインターネットにアクセス
  3. 1.5Mbps以上の高速回線
  4. 教員は1人1台
  5. 教育情報ナショナルセンターの整備

を達成したいと言っている.
 これらが達成されている状況を仮定してもコンピュータリテラシー教育,ネットワークリテラシー教育以上の何を行えばいいのかがまだ混沌としている.

 新しい学習指導要領では,高校において「情報」は英語や数学同様に一般教育の教科である.つまり専門教育における教科としてだけではなく,普通科高校でも学ばなくてはならない.英語や数学など情報以外の一般教育の教科においても,また,水産や体育,音楽といった情報系ではなかった専門教育における教科においても「コンピュータや情報通信ネットワーク」を適切に使用したり,指導に生かしたりすることが求められている.
 具体的にはコンピュータネットワークを活用し,情報を収集し,加工し,発信する能力を育成していきたい考えだ.これが,いわゆる「生きる力」のひとつである.ただ,一口に情報収集といっても,膨大な情報が流れるインターネットにおいて,どのような情報が必要なのか,情報をどこに求めるか,情報の信頼性はどうかなど,様々な要素を取捨選択する能力が必要となる.
 情報の加工・発信においても,いかに相手にわかりやすく,かつ,発信者の意図通りに伝えるか,自身の意見を積極的に主張できるかなど,身に付けなければならない能力は様々である.無論,インターネット以外のメディアによっても,情報収集・加工・発信のプロセスを実践することはできるし,インターネットが万能の表現メディアであるとは言い難い面もある.しかし,現状を見ればインターネット抜きでは語れず,これからの情報教育はおそらくリテラシー教育からコンテンツ活用能力の育成に向かってゆくだろう.

コンピュータやインターネットの活用により,生徒たちの将来像はどのように変わるのだろうか?

3 情報教育の未来
 大学が少子化により変革を迫られている.大学は受験生に選んでもらうために必死で情報を公開してゆくことになる.大学の方針やカリキュラム,研究室・研究者の研究成果,大学が求める入学者像・学生像にとどまらず,補助金などの税金の使途,経営的な情報までもを開示してゆくだろう.そうしないとほとんどの大学は生き残れなくなるといってもいい.
 いままで大学は大学内部にある情報をほとんど開示していなかった.そのことにより大学を評価する物差しとして偏差値に頼らざるを得なくなり,結果として偏差値重視の受験教育が存在してきた.全入時代といわれるこれからは,学力試験による選抜だけに頼れなくなる大学も出てくるだろう.大学が求める入学者像を明らかにし,情報を開示し,大学が求める像と一致した学生を迎え入れなくてはならなくなる.すでに過酷な状況に突入している企業もまったく同様である.
 そうなれば,高校生の大学進学プロセスはどのように変わるのだろうか.大学の情報開示により,その先の企業への就職や,大学での研究活動のためにどのようなアクティビティを持っているかが明確になる.高校生は大学を選択する基準として,「有名だから」とか「偏差値が高いから」という点を次第に評価しなくなり,自分自身の将来の職業イメージを具体的に持ち,それを実現するために最も適した大学を選んでゆくことになるだろう.
 では,そのような大学に入学するために高校生は何を行わなくてはならなくなるか.単に学力が高いということではなく,高校時代にどのような学習を行ってきたか,自分の次のステップと,大学が与えてくれるものや大学で得られる知識・能力がマッチしているかが大学選択のカギとなる.
 高校時代の早い時期に将来への目標設定を行い,そのための学習を続ける.その結果が試験の点数だけではなく,学習履歴や傾向として表現できなくてはならないだろう.情報化が進み情報教育が進むことで,大学の選択だけではなく自身の将来設計の時期が早まってくることになる.情報は学習のための重要なツールとして活用されるが,それだけではなく,生徒が自身の未来を模索するためのツールともなってゆくだろう.

 近い将来,テレビや電話とコンピュータの融合,家電製品間のネットワーク化,ケーブルテレビの普及などコンピュータやネットワークがあたりまえのものとして家庭に存在する時代になる.最近の家庭用パソコンを見れば明らかな傾向であるが,パソコンが現在の形であり続けることはないだろう.そのような状況であれば,学校でコンピュータの使い方について学ぶ理由などなくなってしまうのではないだろうか.
 そうなればコンピュータやインターネットのリテラシー教育は小中学校で修了し,高校においては,自身の意思で積極的に情報を活用する感性を育成してゆく教育へシフトしてゆくだろう.さらに,コンピュータの利用がもっと無意識的なものになり,コンピュータを「使う」という概念がなくなってしまうと,「情報教育」そのものの対象が,情報の本質に迫ってゆくことになる.


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