ひゃっかんのひとりごと

日常生活の中で感じた事を、防備録の代わりに徒然に。

激務の日々

2006-11-09 | 闘病日記
11月1日にフランスから楽器製作者の友人がやって来て、5日まで弦楽器フェアで彼
の手伝い(次第に彼らのに変わって行ったが)をして、5日の夜は打ち上げ宴会を、
そして翌日6日には彼の楽器を使ったコンサートをと言う事で、10時にチェックアウ
トで追い出された彼を拾って(1泊でも余分なお金を掛けたく無かったので)、浅草
→秋葉原と観光案内をしてその後本番会場に到着。
リハーサル後無事にコンサートが始まり、その後彼の楽器を再度手に取って貰うチャ
ンスを作り彼も満足気。
全てが終了後、演奏会を演奏で手伝ってくれた友人と宿泊費節約のために那須の我
が家に連れて行き、夜中の12時半に到着。それから飲み始め明け方5時位まで皆英語
で語り合う。

翌日7日はゆっくり起きて、この夏一緒にモンペリエ(フランス)→サロ(イタリア)
→ヒルシュホルン(ドイツ)とツアーを回った知人が彼を迎えに来てくれ、知人に
彼を那須町観光案内をお願いし、その間に演奏会を手伝ってくれた友人の録音をす
る事にする。
なんやかんや録音に手間取った後に、終了後知人宅に向かう。着いてすぐに食事を
頂き、満腹の後に家内を那須塩原に迎えに行く。再び知人宅でかなり盛り上がり、
夜中2時にやっと引き上げる。

明けて8日、朝8時半に家を出て家内を那須塩原の駅まで送る。帰宅したが暫く誰も
起きて来ないので、1階で音楽を聴きながら仮眠をしていると、最初に友人がご起床。
なかなか楽器製作者の友人が起きて来ない。ひとしきり友人と話しをして、夜にも
う一回再収録する事で一致。そうしているうちに彼が起きて来たので、今日は日光
に行こうと誘い午後2時近くになってやっと自宅を出発。3時過ぎに日光に着いたら、
現地の人から3時半には門が閉まるので急いだ方が良いと言われ、慌てて観光を開始。
友人は『美しい』を連発しながら『次来た時は、早朝に起きてゆっくりここを見た
い』と言っていた。もっと早くに出れば良かった。
帰宅後再度友人の収録を行い、今日はお互いに満足の行く内容で無事終了。そして3
人で宴会を始めるが、話しは尽きない。気付いたら夜中の1時半だったので、今日9
日は午前11時の飛行機に乗ると言う事だったので、夜中の4時には出発するよと言う
事で皆仮眠を取る。1時間程寝た後荷作りを始め、3時半過ぎに皆を起こし結局手間
取って4時半に出発。東北道→中央環状(首都高)→湾岸線→東関東自動車道と走行
するが、やはり早朝だと言うのに中央環状で渋滞にはまる。友人は東京の方の空を
見ながら「さっきまで霧の中に居たのに、東京はいつもスモッグで霞んでいるんだ
ね」と言いながら遠い目つきになる。渋滞から解放されると、後はスムーズに走行…
かと思い気や急にナビがおかしな事を言い出す。成田まで80分掛かると言い出した。
良く見ると京葉道の方で工事渋滞があり溢れた車が東関東自動車道まで並んでいる
ようだ。その為渋滞1キロがやけに長く計算されている。しかし一番右側の車線を走
れば何ら問題ないだろうと判断し、結局何ら渋滞に嵌る事もなく8時半に成田空港に
到着する。
ひとしきりお別れの儀式をしてから再び合う事を約束。友人を自宅まで連れて来て、
我が家の愛犬達に会って貰いその後女房と一緒に駅まで一緒に送り、その後は女房
にバトンタッチ。
帰宅後一服し、布団に入ったらすぐに眠り、気付いて起きたらもう夜7時。長い9日
間だった。しかしこれだけキツい日々を過ごしたのにすこぶる体調は良い。
本調子を取り戻すのはもう少し先だろうが、ここ数年に無く元気に働けている。

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