Humoreske(小噺ひとつ)

ここでおひとつ、小噺をひとつ。
フモレスケはユーモアからきたことば。

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

2008-05-26 | 映画♪DVD噺
何かスカッとするような、或いはすこぶるハッピーエンドな
映画が見たくて、トム・ハンクスとジュリア・ロバーツが
出ているならば、それは何かと不幸で真っ暗ということは
あるまいというような、根拠のあるようなないような選択眼で
「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」を見に行く。


60~70年代のアメリカをピュアな心ひとつで
駆け抜けた「フォレスト・ガンプ」を演じた
トム・ハンクスが、80年代のアメリカ、
ひとつの歴史に大きく貢献した実在の人物
チャーリー・ウィルソンを演じるのは不思議な感じ。
彼は、アメリカ的「英雄」顔なんだろうか。

映画は、当時2歳くらいの私が生きていた時代の
ソ連のアフガニスタン侵攻、冷戦時代、東欧の
共産主義諸国における闘争など、既に「歴史の教科書」
には出てきていたけれども、そう遠くない昔の話。

そう、私たち中学校の時に、教科書から
「ソ連」という文字はなくなっていき、
東ベルリン、西ベルリンなんて言い方も消えて言った。

「アフガン侵攻」だって、ともすれば
ソ連ではなく、アメリカの話でしょう?と
言う人も今なら多いんじゃないかな。。。

歴史ってのは、不思議で、その時々に英雄がいて、
その時々に苦しむ人がいる。どちら側から光を
あてるかによって、描かれ方も伝わり方も変わると言うもので、
私にとって、この映画は決して単なる「コメディ」には
感じられなかったかな。。。

ソ連の空爆や、玩具地雷に苦しめ続けられてきた
アフガニスタンの惨状を知ったチャーリーが、
アメリカCIAの極秘任務として、アフガンに手を貸し
ソ連軍を撤退させる隠れたアメリカの世界の警察としての
正義的武勇伝なわけだけれど、、、


時はめぐり、、、

9.11が起き、
アフガンに攻めいり、
イスラム諸国への爪あとを残したアメリカ。

アフガンを救ったはずのアメリカが
アフガンを討つことになる。。。

実はこのコメディ、
世界の警察の政治的介入の失敗談・・・。。。かもしれない。

戦後復興のアメリカ的なものの「受容」に関しては
実は世界一「寛容」だったかもしれない日本には、
この皮肉は、対岸の火事だろうか。。。


ただ、生まれてこの方、実はある国で、
ずーーーっと、戦う相手こそ違えど、
戦闘状態にある国が存在しうるということは、、、
なんだか、、、信じられない。。。間違いなく平和ボケ。

光差すところ、陰ありで、、、
アメリカは、、、難しく、、、

ひとつの物語は映画の中で、余韻を残しつつ
エンターテインメントの枠内で終了するけれど、
何も終わってはいない。

「冷たい戦争」で世界がミサイルボタンを片手に
にらみ合いをしている時に、ミルクを飲んで、おもちゃで遊び、
お昼寝をしていて、それがどんなものかを身近に感じられないうちに、
ブッシュとゴルビーが握手しているテレビを見て、
はい、「冷戦終わり」と教えられ、

なぜ、分断されたか、その間、何が起こったか、
悲劇の全容も知らぬままに
「ベルリンの壁の崩壊」を前に、ロストロポーヴィチが
チェロを弾いていることがどれだけの衝撃的なことかを
認識できないうちに迎えてしまい、、、

なぜ攻め込むのか分からないうちに、
高感度カメラで撮影された
暗闇に青白く光るパトリオットミサイルが
花火のように見えるような感覚の湾岸戦争を
通り過ぎてしまい、、、


「あっ」
という声を出すしか出来ないくらいの
9.11の衝撃すらも、自らが切られた痛みとは程遠く、


こういう映画を「コメディ」として見ちゃうのか、
「武勇伝」として見ちゃうのか、何か、おかしい。

ニュースはいつだって通り過ぎていく。
チャーリーという人がアフガンに思いをめぐらしたのも
通り過ぎるかもしれない「ニュース」からだった。

そこから、何かをするかしないかは、
「実感」に委ねられている。。。

そんなことを思わされる映画で、、、


もっとハッピー、すかっとラッキーな気分に
なれるものかと見に行った私には、、、
おっととっと、大きな宿題をくらってしまったような
感じだった。



最新の画像もっと見る