Humoreske(小噺ひとつ)

ここでおひとつ、小噺をひとつ。
フモレスケはユーモアからきたことば。

しばらくぶり

2010-04-26 | おもうこと
あっというまに、5月だって!!!

この数カ月、ぐるぐる走り回って、とけてバターに
なるかと思いました。

うーん。。。


まとめると、、、

「のぞむ」より先に、事が起こり、
もちろん、それに応えるべく、がんばる・・・

がんばれるということは、のりしろが
あるということなので、大いにやるべしなんだけど
ひろがっていく、大きくなっていくのが
つぶつぶサイズの不安みたいになって積もってました。

思わぬところからお仕事を頂いたり、
自分が今あることの経過地点であった所への
感謝の気持ちをもって動くこともあったり、

逆に、どうにもこうにも変わらないなあと
思ってがっかりしつつも「やりすごす」術を
覚えるようになっていたり、

ある意味では、急に「30代」になった気分でした。

これまでは、まだ若いつもりでいたけど、
もう、がっつり、自己責任。
プロじゃなきゃいけないって気持ち。判断。即決力。
どれも、少しずつつんつるてんでたりないのだけれど
ぐいっと伸ばして着ますみたいな感じかなあ。

抽象的かもしれません。

私はそれは専門じゃないということには、
2つの意味があって、
「餅は餅屋。やるべき人がやるべき。」というのと、
「しゃくし定規に専門外以外は出来ません」というのと、
境界線は同じようで、数ミリくらい違うので。


やった
できた
やりのけた

ことが、
便利屋、器用貧乏で終わるのか
そこが難しいとこなのです。

でもね、
「私が本来やるべき仕事じゃないわ」って
自分があるべき場所ってのを、こんなはずじゃないとか
もっといい場所があるとか、自分の才能とか
言ってのけられちゃう人がたまにいるけど、
「じゃ、どこなの?それは。」って、想う人も
いるわけで。


目の前のことを、心をこめてやるだけしか
できません。


自分、不器用なんで(高倉健)


でもねー、、、
器用貧乏道はまっしぐらな気がします。
ちょこっと浅く勉強してその貯金を
使い果たしながら生きてる感じでね。

30代はそういう消耗の時期なのかな。

でも、10代があって、20代があって、
今なんだなあって実感するようになった。(笑)


毎日、ほんっとバタバタで、

昨日、祖母の命日にお墓参りに祖父につきあって
歩いて行った時
「ゆっくり歩いてくれないか、最近もう速くは
歩けない。30代の頃はぼくは歩くのが速かったんだけどなあ」
という祖父に合わせて、歩んでいたら、

つくしが出ていたり
ホトケノザやナズナが出ていて、

かつi-phoneに入っているメトロノームで
ふと、思い立って見てみたら、祖父の歩く速さは
「Andante」4分音符80のテンポで。。。

自分がいかに風をきって歩いているかを
感じました。。。


ちいさいものや、まもりたいものとか、
あったかいこととか、うれしいことに、
しずかにむかいあえるようでありたいと
いつもおもうのですが、

自分はいつも、やさしさややわらかさ
に欠けるので(笑)


祖母が旅立ってから6年。仏教だと7回忌なんだそうです。
何回忌だろうと、祖母との距離感はあの時からもう
一定を保っているので、実感はありませんけれど、
命日という日を重ねていくにつけ、
「それでも、自分は生きている」ということを感じます。

祖母のいない世の中に6年も生きている。
生まれてからずっといた祖母でしたので。
それが不思議でなりません。


なんだかとりとめない文章になっていますが、


ズダダダダダダダダダダダダとマシンガンのように
パソコンをうって、ふと、手書きで絵ハガキを
描きたくなるような、そういう、、、瞬間が
自分をリセットする感じ。


しっかとその合間を

とっていきながら生きていかないとね。



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