Humoreske(小噺ひとつ)

ここでおひとつ、小噺をひとつ。
フモレスケはユーモアからきたことば。

Schumann Sinfonie Nr.0!!

2010-02-13 | Weblog
長いっすよ。でも、「音楽学」って
何さって思う人は、読んでみてください。(笑)


小さいころから、
ヴァイオリンのレッスンで
「感情だけ先走ってはだめよ」と言われてきました。

曲の枠組みや、楽譜にきちんと書かれている指示より何より
なんとなく、感覚で、こういうイメージ…っていうのが
もくもくと入道雲のように膨らんで、なんとなく曲をとらえて
しまう「くせ」がついていました。
逆に、イメージをわかせることについては、なんの
苦痛もなかった。

絵本で読んだ物語。実際には行ったことはないけれど
家の壁にかかっているどこか外国の風景。
その風景画の中の日本の空にはない雲の様子。
こういう気持ち、こういう思い、こういう情景、

ふわふわふわふわ。

音楽を聴いて、どんなものがたり?って言われたら、
いくらでもお話しを創作できそうだったし。
別に完結しなくても、ここは、風もない静かな夜に
月が優しく浮かんでいて、湖面に映っていて、
ときどき、小さな波紋が水面の月を揺らす感じと
頭の中で絵を描くのは、私にとってはあまり苦痛ではなかったのです。

だから、なんとなくの雰囲気は出ても、技術的なことが
おざなりなので、出したい音が出せない…弾けないパッセージで
つまる…ってことはしょっちゅうだったし、無感情で
カウントしながら拍に合わせるということが、気持ち悪くて悪くて
しかたがなかったのです。(→ま、典型的な、練習サボリーナ
でしたので)

でも、それなりに自覚もあったのです。
きっと、自分には何かそうした冷静なことがきっと
欠けているに違いない・・・


そう思って、、、楽曲分析に興味を持ち始めました。


今まで感覚的にぼわぼわとしていたものが、
楽曲分析や音楽史を学ぶことで、「知りたかったこと」に
言葉を与えてもらい、そうそう!!!そういうこと!!って
思うようになり、ある意味では、自分の中だけで完結して
いた物語を人に説明できる術を得ることが出来ました。

楽典であったり和声であったり、形式であったり、その語法は
様々だったけれど、何かが【有機的】に【連関】すると
感じることは、バラバラだった天然石のビーズをひとつひとつ
つなぎ合わせるように、私には、心地よかった。


つじつまがあったかんじ?はじめて?(笑)
そうそう、理論派じゃないから。生まれつき。


でも、それが自分の中で、感情を上回る言葉だけの世界に
なってきた時、「あ、やっぱり、もういらないや」と思ってしまった
のも事実です。。。4年生の時に、
自分が、音楽学の中だけで生きてはいけないということを
感じた瞬間でした。。。

音の鳴っているところで、石をつなぎあわせる糸を持って
最大限に音楽を愛せる場所がたぶん今の仕事の場所だったので
こうしているわけです。

今日は、その「糸」を探していた大学時代に、たくさん
読んだ本の執筆者であり、日本のシューマン研究の第一人者
前田昭雄さんの講演に参加してきました。

市販で買える著書ですと『シューマニアーナ』というのが
あります。卒論を書きあげるまでに何回も読んだ本です。

この前亡くなったスウィトナー氏のシューマンのシンフォニー
1番の録音にも助言/監修をなさった方です。


文系の学部卒論レベルでは、いわゆる修士課程のための
標本整理くらいまでしか行かないわけですが、
私の卒論テーマは、「シューマンのピアノ音楽」を軸にして
作品2パピヨンから作品8謝肉祭までのモットーの研究と、
それから、シューマン音楽における記譜と演奏解釈の研究
ってなもんでした。

ピアノ弾けないのにねー(笑)。

語ると長いのですが、
できるだけに簡潔に述べますと…

シューマンの作品2の「パピヨン」という作品は、
小品なのですが、ジャン・パウルの小説「腕白時代」に
共感を覚えて作られたもので、序奏テーマと、続く
音階のモットー、それから、シューマンの音楽の内的な
性格の中での「瞑想的なもの」と「闊達なもの」の対比が、
その後のダヴィッド同盟曲集、謝肉祭にも表れて、

つまり

それがずっとシューマンの音楽を死ぬまで貫通する
音楽語法だよねーっていう提起・・・で

終了してしまってるんですねー。(残念)


ジャン・パウルの作品に出てくるヴルトとヴァルトという
双子の兄弟は、一人は法律を学び公証人を目指していて、
一人はフルートの名手で、当時のパガニーニのような
ヴィルトゥオーゾのようにして町から町を演奏旅行して
歩くような人でした。

ヴルトとヴァルトは、一人の女性を巡って争うこととなるのですが
最終的に、そのフルート吹きの方が、身を引いて去るのです。
その去っていく様子、だんだんと町の遠くへ、フルートの音が
消えていく様子…それをシューマンのパピヨンの最後では
表しています。


物語の世界観と音楽のリンクが、すさまじいの。
こんなイメージかなって感じていたものが、
やっぱり、シューマンも、こういう実在する物語を
読んで、そういうとこから書いたのね!って、リンクする
瞬間が、時空を超えてて、ドキドキする!ワクワクする!


でもって、さらには、その当時シューマン自身、音楽か法律家か、
迷いを持って生きていて、ジャン・パウルの主人公と
人生がかぶっているんですから、本当にねぇ。


作品2~4を書きあげたその直後、指を痛めて
ピアニストとしての道を閉ざされてしまいます。
シューマンは、失意の中から、新たに
評論家、作曲家としての
自らの道を決めていく、その青春時代に、
シューマン「交響曲第0番」と言ってもいい
「ツヴィカウ交響曲」を書いているのです。

これが、今回の前田先生の講義のテーマ。(ああ、前置きが長い)

ツヴィカウは、シューマンの生まれ故郷です。

ピアニストの夢破れたシューマンは、偉大なるベートーヴェンを
「目標」そのものとし、交響曲を書こうとする。けれども
到底、思い通りのものを書けるはずもない・・・。
ベートーヴェンへの畏敬の念と、ため息が、その冒頭の
モットー部分に表れているといいます。

この交響曲にモットー部分の前奏をつけること…

これをシューマンは改訂版の中で、消してしまうのだけれど

結果として、のちに晩年に向けて、1番、2番、3番、4番と
彼がシンフォニーを書いていく中で、特に、1番、2番、4番の
冒頭主題が、徹頭徹尾シンフォニーのすべての楽章を
有機的につなげているわけで、、、そこに苦悶の短調から
歓喜の長調へ向かうベートーヴェン的なるものが加わったり、
バッハの対位法的なものが加わったりしていくわけです。

シューマンが進化過程のまま、ある意味での「完成」を
迎えなかったシンフォニーというジャンルを、ブラームスが
受け継ぎ、そのシューマンの語法を、他の偉大なる作曲家たちの
語法とともに反映させて交響曲第1番を書いていることは
言うまでもありません。


って、、、、こういうことを延々と書くと今夜は
眠れないし、本になってしまうくらい長くなるので、
やめるわけなんですが、

前田先生というのは、その語り口が(本からも想像していたけど)
シューマン愛に満ち満ちあふれているのです。

シューマンの「あこがれ」「病との闘い」「新生への希望」
「人生の春(人生・芸術の最高のパートナークララとの出会い)」
「理想への闘い」「古典への回帰」「フロレスタン的なもの、
オイゼビウス的なもの」への言及が、ひとつひとつが、愛情に
あふれてて、

「先生~~~~!!!!超~~~そう思う!!!!」って
聴きながら涙ちょちょぎらせている聴講生の私。(笑)


目標に届かない、書けない、理想に指先すら届かない、
思い描くものがあるものの、手につかむことが出来ない、
ベートーヴェンや、ブラームスが手にしているものを
手にできないその焦燥と暗闇の冬の中に

「Fruhling auf!!(春が萌え上がる!)」(uにはウムラウト)

その喜びがどれだけ色鮮やかに、すべての「動」に
心ふるわせ感動するか!!!

交響曲第1番のファンファーレのような始まりのあと
無色だったものに、色が与えられて、温度を持ち、すべてが
動き始めるあの音楽の進行は、シューマンとひとつの
「詩」との出会いに想起させられたもので、

つまり、シューマンの音楽には、いっつも
「詩」が、あるよね。。。。

春の蠢きが、音であらわされていく様子。

それが、本当に面白い。世界が広がる様子が、すごく豊か。


これが、また、ドイツ語の詩の韻(語幹)と、シューマンの
旋律が本当にぴったりと合っていたりするのが、おもしろくて。

感覚的にこんな感じと思うことが、実際のシューマンの
人生や歴史的な背景、物語や、絵画的な世界と繋がっていく
ことが、面白い。音楽が深くて、終わりがなくて、楽しいもの
だってこと、
それから、自分と同じように200年前に生まれた人が
「人生」を音にしていたことが、なんと、いとおしいことか!!!

ベートーヴェンやブラームスもまたそうなんだけれども、
彼らはどこかで神々しさを持ち合わせていて、

シューマンの未完成で不安な完成っぷりは、、、

山下清の貼り絵のようであったり、、、

モネの何層にも降り重ねられて表現される
何色って言いきれない水面のようであったり、

説明がつかないことが、、、、すてき。。。。


そこがキライって言う人もいっぱいいるし、
シューマンのシンフォニーなんて、書法がへたくそすぎるというのは
有名な話。ま、それは否めませんて。

でも彼がいっぱいいっぱいもがいたことは、
ドイツ音楽史において、どうしても必要なことだったのです。

彼はウィーンに出て、シューベルトの「グレート」と
出会う。そして既に亡くなっていたシューベルトのお兄さんを
訪ねて、それ以外のシンフォニーの楽譜をすべて手にし、
ライプツィヒにいるメンデルスゾーンの元に届けます。
メンデルスゾーンは、シューベルトの作品をそこで再演する…。

ベートーヴェンを敬愛してやまなかったシューベルトの
受け継いだ音楽をこの世に刻み込むのです。

シューマン自身、ベートーヴェンから、このシューベルトの
ワンクッションをおくことで、たぶん、神様と自分の
間に「天使」が降り立ったような気持ちだったろうな。
(実際、シューベルトの音楽は私も「天使」だと思う)

そして、シューマンのシンフォニー1番の冒頭モットーは、
「グレート」の主題に極めて総合的に含まれる要素を
持ち合わせている・・・かのように思えるというわけです。



はっきり言って、シューマン研究は、他のバッハ研究や
モーツァルト研究やなんかのようにいかなくて、
もし一生の研究テーマにするのならば、どこかで一生
苦しまなくてはならないよと言われたことがありました。

だって、
人の人生や、人の感情なんて、分析するものではなく、
シンパシーとイマジネーションの世界。学問としては
成り立たず、共通の確証を得にくいわけですもの。

事実記録を読み説いて、いくことはできても、それが
シューマンの演奏をよりこの世の中に魅力的に
刻印する力にはなりえないのだもの。。。

答えの出ないものに無理やり言葉をあてはめるのではなく、
たくさんのヒントやたくさんのひきだしから、シューマンの
音楽に色を塗るほうが、楽しい。。。そう思って
今いるのかも。。。

でも、それでも、シューマンを追い続けた前田先生ってのは
スゴイなあって思うし、それをご自分でも自覚していらして
「それでも、シューマンを追ってしまうのです」と仰る。

ああ。わかります。。。先生。。。T-T。。。


私が最大限に今日大感動を迎えたのは、講義最後のしめくくり。

===========
音楽学者としてあるまじきこじつけかもしれません。
ただ、自分がただのシューマン愛好家として感じるのは、

晩年身を投げて、病に苦しみ、絶望と鬱鬱とした暗闇に
シューマンはいたかのようですが、彼は実は、
死ぬまで、「人生の春」の中に居続けた人なのです。
その「春」は、シューマンの音楽の中に、最後まで
生み出され続けた。彼の音楽の中に存在し続ける
「萌え上がる春への憧れ」は、西行法師のそれに
近いものがあるのではないでしょうか。

「願わくば花の下にて春しなむ その如月の望月のころ」

の句を想う度に、シューマンの音楽と重なり合う何かを
私は感じ続けているのです・・・
============


泣いちゃいました。。。


変だと思うでしょう?

でも、シューマンの彼岸と此岸の彷徨い
(ピアノ五重奏の2楽章とか)や、子どもの情景の
最後の曲や、シンフォニーの2番の3楽章の
狂おしいほどの憧れには、最大限死と向き合いながら
最大限、生に憧れを抱く姿を感じて、
それを、西行のこの句のようだと感じたことが
私にもあったのです。。。


シューマン最期の地、ボンの療養所が今では
シューマンの記念館になっていて、そこの庭で、
菩提樹の葉がまわるようにして落ちてくるのを見たときに
窓からこの葉が舞い落ちるのを見ながら、彼は何を
感じて、空を眺めていたのだろう。むしろ、もうその頃には
此岸のこの情景など見えていることはなくて、
すでに人生の春の花畑を思い描いていたのかもしれないなって。
緑濃い庭に佇みながら、涙が出たのを思い出します。


春、、、だてに吉野の山まで桜を見に行っているわけではなくて
この花が散り落ち、舞い落ちるのを見ながら、
生に執着する自分を感じる時に、ああ、とため息をつく感じは、
似ています。。。


でも、、、、もしかしたらそれはシューマンには限りません。


音楽全般に重なり合うものかもしれない。


「音楽学」となってしまうと、急に学者だけのものとなって
かたくて面白くなくてつまらないものに思えてしまう。。。

そんなん、「へりくつ」じゃんかと思うような、小さな
ヒントをジグソーパズルのようにあてはめながら、
シューマンと言う人の像を浮かび上がらせていっているのです。


音楽学も、無駄じゃないでしょ?
悪くないでしょ?


ああ、久しぶりに、その場に身を置いてみて、
楽しくてたまらなかったです。前田先生ありがとうございました。

私のこういう感想は、世の中のシューマン研究には
まーったく役に立ちません。(笑)。
それに、楽しいけれども、このフィールドワークに戻りたいとは
想わなかった。。。

でも、次に、シューマンのシンフォニー1番を聴くときの
楽しみが増えた。共に聴く人に、このシンフォニーの背景を
伝える言葉を手に入れた。

学問は、、、

教授と享受を繰り返して、、、明日にもつながるのだと
想った一日でした。。。

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