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自分の中のオオカミを解き放て

2011-01-01 00:12:55 | 日記
哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン
マーク ローランズ
白水社


メメント・モリとは、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味である。この本を読むと、その意味を考えるとともに、如何に生き、そして死んでいくのかを改めて考えた。

「脳」の進化で我々が獲得したのは「前頭葉」の持つ機能である。本書では「サル」として表現されるそれは「ウソをつく」ということが代表的である。それは、群れを作って行動する場合の社会性の獲得と関係がある。

アリは個体群があたかも一つの生物の様に振舞う。オオカミの群れはアルファつまりその群れのボスとそれ以外という単純な組織である。サルの場合も基本的にはボスがいるが絶対的なものでなく、また、それ以外のサルたちの関係も複雑である。

「ウソをつく」ということは群れの中の社会性を豊かにする能力の獲得でれた副作用なのだろう。人間はより良く生きるために新たな力を獲得したのだが、それによって失った「モノ」があるのだ。

以下が本書からの引用である。

「…一番大切なあなたというのは、策略をめぐらせるあなたではなく、策略がうまくいかなかったあとに残るあなただ。もっとも大切なあなたというのは、自分の狡猾さに喜ぶのではなくて、狡猾さがあなたを見捨てた後に残るものだ。もっとも大切なあなたというのは、自分の幸運に乗っているときのあなたではなく、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ。究極的には、サル的なものは必ずあなたを見捨てるだろう。あなたが自分自身に問うことができるもっとも重要な疑問は、これが起こったときに、その後に残るのは誰なのか、という問題なのである。」

生後二ヶ月後のオオカミは、とあることが原因で人間に首をつかまれ地面に押さえつけられてしまう。たいていの子犬であればショックと恐怖で金切り声をあげる。サルであれば急いで逃げ出して、ひそかに復讐を計画するはずだ。

しかし、オオカミの子供は、低くて落ち着いていて、浪々と、唸ったのである。

私が今までしていたことは、サル的なことであった。「逃げる」「邪悪なことを実行する」である。

この本をきっかけに、生後にヶ月のオオカミぐらいに強くなろう。2011年のはじめにそれを宣言する。

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