ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

中国人サイクリストに遭遇

2010年05月19日 | 中国(1)天津→呼市
天候は回復したが、この日も朝から強い向かい風。
風をさえぎるものが何も無いモンゴル高原。
かなり急な下り坂でも、漕がなければ止まってしまう。

が、そんな風に苦労しているのは自分だけではなかった。
そしてこの恨めしい向かい風こそが、出会いを導いた。
先を走っていた中国人サイクリスト・肖くんに追いついたのだ。


○彼もこの風でバテバテ


彼は広州から100日以上かけてやってきて、これから蘭州、西寧から
チベットへ入り、国内を一周するらしい。
中国は広大だから、日本一周とはスケールが違う。1年以上の長旅だ。
しばらくは抜きつ抜かれつを繰り返したが、山間に小川が流れるきれいな
草原を発見し、今夜はここで野宿しようということになった。

彼は同い年で今年26歳。仕事は辞め、資金がなくなったら行った先々で働きつつ、
旅を進めるのだという。
サイドバック4つ+フロントバックに荷物満載。自転車に乗り切らない分は
さらにバックパックに背負っている。
相当重そうなのだが、テントを張り始めて気づいた。一つ一つの道具がかさばるのだ。
テント、シュラフ、バーナー、音楽プレーヤー、どれをとってもでかい、重い。
まあ、食料を大量に運んでいるのも原因のひとつだが…。

日本で揃えてきた自分の道具たちが(それでも決して贅沢はしていないつもりだったが)
いかに優れたものだったのかということがわかった。

夕食は彼の持ち合わせの食料をご馳走になる。かなりの種類の麺と
漬物(ザーサイ)を食した。
一人じゃない夕食は、贅沢メニューではないけれど、とてもうまかった。

食後は彼のテントで話し込む(筆談だけど)
旅に出た目的、資金調達法、旅の間に成し遂げたこと…

我知道、我出来是受苦、而不是享福…
何か漢文の授業を思い出す。
まただ。あの時ちゃんとやっておけばという気持ち…英語と漢文。
両方使わなくても生きていけると思っていた。
生きてはいけるかもしれない。けれど、目の前の彼の言いたいことを、
リアルタイムで全て正確に理解してあげられないこの歯がゆさ。

でも、今彼はここにいる。そして、目を見て問いかけてくる。
表情と身振り手振りがある。
同じ鍋の飯を食った彼との「交信」は、夜更けまで続いた。





※以下、断片的な内容
・フフホトで自転車を直そうと思う。君は予定があるのかい?
→会えそうな人がいるから、尋ねてみるつもり。あと、少し休憩をする。
・青い草原は八月が見ごろらしいよ。待たないの?
→先を急ぐよ。
・じゃあ青海湖まで一緒に走らないか?
→OK、いい案だね(彼は英語はだめだがOKは通じる)(この決断をもって、
 西安には寄らない事に決定)

そして終盤、彼はこんな質問を投げかけてきた。
・君の理想はなんだい?僕は、有力な企業に所属することだと思う。
→(答えに窮する。しばらく考えて、「探している」と答える)
・僕のように明確に答えてほしいんだ。
→再度「探している」と。
日本の、自分たちの年代の若い人たちは、中国の若者からのこの質問に、
どう答えるだろう。
「日頃から考えてないわけではない。でも、答えられない」
自分のこんな気持ちに、豊かな国・日本の「病理」を見た気がした。



○特製フラッグ。サイクリストの自己主張が激しいのは万国共通?


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