夕方、ルームメイトのシンガポール人、テゥン君と共に食事に出る。
彼は英語と中国語のバイリンガル。
店の主人に、どこから来たのと問われ、彼は自分の故郷を、
そして私を日本人だと紹介した。
すると、主人はぶつぶつと、彼だけに話しかける。
他の客は、それを聞き、くすくす笑っている。
とても居心地の悪いディナーだった。
会話の端々に「リーベン(日本)」と聞こえた。
自分(達)のことを言っているのは、充分わかった。
食後、部屋で飲むお茶を買い、あわせて会計をした。
後で聞くと、わずかながら日本人だからと食事料金もぼられていたらしい。
(これは自分でしっかり数えていなかったのも悪いが)
一方、テゥン君も会計後にお茶を買おうとすると、主人はお金はいいと、
受け取らなかった。
外に出ると、テゥン君は少し熱っぽく英語で語った。
中国人の中でも、特に中高年の人は今も戦争のことを忘れていない。
南京であったことは、知っているだろう?
シンガポール人も、戦争を忘れることはない。
占領はシンガポールが5年、中国が15年。
大陸は、それだけ傷跡が深いのだろう。
僕をはじめ、若い人は日本人に対しニュートラルな人が多い。
どうか気を悪くしないでくれ。
後で詳しく聞いた。店の主人は、こう言っていたそうだ。
中国人は60年経ち、日本人の罪を許した。
しかし、この遺恨は、永久に消えないだろう。
どうしてそのとき(ぼられたとき)抗議してくれなかったのかと、
テゥン君に詰め寄ることなどできなかった。
テゥン君には、なんとかこう伝えた。
日本人も、戦争について学ぶ。しかし、それは十分ではない。
日本人の中でも、それぞれ理解に差がある。
これは日本人にとってとても難しい問題だ。
…なんと嘆かわしく、そして、どっちつかずな、いかにも日本人的な答えなんだ。
日本での、中国に対する歴史の総括は、右派左派、タカ派ハト派の枠組みの中で
翻弄され、結局統一的な見解などありはしない。
教科書は事実を淡々と(その事実がこちらの国での事実と食い違ってるのだが)
羅列するに過ぎない。私たちは、それをテストの点を取るために暗記するに過ぎない。
だから、彼らと論戦なんか出来るはずもなく、そもそも意見すらまとめられない。
どう処理していいか分からない、このもどかしさ。
初夏の宵。薄暗い街。生ぬるい風が、肌を伝う。
(補足)
二日後にチェックインした、中国人系アメリカ人にこのことを話したら、
「未だにそんなこと言ってんのか!もう60年も前のことじゃねぇか!!」と大笑いしていた。
「君がやったわけでもない。我々は平気でベトナムにも行くし、平気で彼らと握手するよ!」
「実は、多くの中国人は、日本人と知ってもとても親切にしてくれます」
「だろう?そんなに気にすることじゃない。」
…事実、あからさまに嫌な態度をとられたのは、先の一度だけ。
こうして記事にするとインパクトが大きいけど、
朝克さんや肖君やほかの多くの人も「気にしてないよ」と言う。
彼らのためにも、決して反中感情を煽りたくはないことを記しておきます。
彼は英語と中国語のバイリンガル。
店の主人に、どこから来たのと問われ、彼は自分の故郷を、
そして私を日本人だと紹介した。
すると、主人はぶつぶつと、彼だけに話しかける。
他の客は、それを聞き、くすくす笑っている。
とても居心地の悪いディナーだった。
会話の端々に「リーベン(日本)」と聞こえた。
自分(達)のことを言っているのは、充分わかった。
食後、部屋で飲むお茶を買い、あわせて会計をした。
後で聞くと、わずかながら日本人だからと食事料金もぼられていたらしい。
(これは自分でしっかり数えていなかったのも悪いが)
一方、テゥン君も会計後にお茶を買おうとすると、主人はお金はいいと、
受け取らなかった。
外に出ると、テゥン君は少し熱っぽく英語で語った。
中国人の中でも、特に中高年の人は今も戦争のことを忘れていない。
南京であったことは、知っているだろう?
シンガポール人も、戦争を忘れることはない。
占領はシンガポールが5年、中国が15年。
大陸は、それだけ傷跡が深いのだろう。
僕をはじめ、若い人は日本人に対しニュートラルな人が多い。
どうか気を悪くしないでくれ。
後で詳しく聞いた。店の主人は、こう言っていたそうだ。
中国人は60年経ち、日本人の罪を許した。
しかし、この遺恨は、永久に消えないだろう。
どうしてそのとき(ぼられたとき)抗議してくれなかったのかと、
テゥン君に詰め寄ることなどできなかった。
テゥン君には、なんとかこう伝えた。
日本人も、戦争について学ぶ。しかし、それは十分ではない。
日本人の中でも、それぞれ理解に差がある。
これは日本人にとってとても難しい問題だ。
…なんと嘆かわしく、そして、どっちつかずな、いかにも日本人的な答えなんだ。
日本での、中国に対する歴史の総括は、右派左派、タカ派ハト派の枠組みの中で
翻弄され、結局統一的な見解などありはしない。
教科書は事実を淡々と(その事実がこちらの国での事実と食い違ってるのだが)
羅列するに過ぎない。私たちは、それをテストの点を取るために暗記するに過ぎない。
だから、彼らと論戦なんか出来るはずもなく、そもそも意見すらまとめられない。
どう処理していいか分からない、このもどかしさ。
初夏の宵。薄暗い街。生ぬるい風が、肌を伝う。
(補足)
二日後にチェックインした、中国人系アメリカ人にこのことを話したら、
「未だにそんなこと言ってんのか!もう60年も前のことじゃねぇか!!」と大笑いしていた。
「君がやったわけでもない。我々は平気でベトナムにも行くし、平気で彼らと握手するよ!」
「実は、多くの中国人は、日本人と知ってもとても親切にしてくれます」
「だろう?そんなに気にすることじゃない。」
…事実、あからさまに嫌な態度をとられたのは、先の一度だけ。
こうして記事にするとインパクトが大きいけど、
朝克さんや肖君やほかの多くの人も「気にしてないよ」と言う。
彼らのためにも、決して反中感情を煽りたくはないことを記しておきます。