橋下徹大阪市長は19日のツイッターで、党規約に基づき24日に開く維新の党の「臨時党大会」で同党の解党を決議し、政党交付金の国庫への返納を目指すと表明した。橋下氏はすでに同党を離党しているが、橋下氏らと新党「おおさか維新の会」を結成する国会議員や地方議員らも解党に賛同するとみられる。
新党に参加する国会議員は、政党交付金を配分する「分党」を模索していた。だが、橋下氏はツイッターで「分党など認めません。要らない政党は潰して、政党交付金をできる限り多く国民の皆様にお返しする」と宣言した。
橋下氏は「維新の党を作った者の責任」として実行する考えを示し、「有権者の皆さん本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。また、「維新の党は日本の国にとって百害あって一利なし」とも投稿し、松野頼久代表らを批判した。
正式に解党となった場合、政党交付金は新党だけでなく松野氏ら残留組にも交付されなくなる。松野氏らは新党に参加する国会議員らを除籍処分としており、「臨時党大会」の開催も認めていない。(産経新聞 10月19日(月)14時20分配信)
離党して部外者になった橋下氏に解党の権限があるのだろうか。まさに橋下氏が維新を私物だと思っているかを表している。維新は橋下氏の私物ではない。公党を私物化しているのは橋下氏であってそれを正論だと言うの橋下信者だけと言って過言ではない。
政党ではなく、宗教団体だったのだろうか。信ずる者は救われる。戦前の国家神道と同じものではないか。『国』とはなにか。戦前の国とは『国土や国民』ではなかった。『天皇を頂点とする国家体制』だった。その根本にあるのが国家神道。国家神道のもとでは軍人や国民が命を捨ててまで守るべきものだったと言う洗脳教育が徹底されていた。イスラム原理主義の自爆テロとどこに違いがあるのだろうか。
橋下維新教も同様ではないか。橋下教組の言う事をそのまま信仰しているとしか思えない声が多い。『維新』を立ち上げたのは確かに橋下氏であって橋下氏無くしてはここまで勢力を持つ事は出来なかった。しかし橋下氏の私物ではない。公党である。散々民主主義は一人でも多い意見が通ると言っていたのが自分の意見が通らないからと言って飛び出したのは誰だと言いたい。離党した以上部外者であって部外者が解党を指図ずるなんてことは許されない。
離党した以上公印や金庫は党本部に返還するのが筋と言うものだろう。