ダイナーに置き去りにした昨日の心は椅子の上で干乾びていた、埃を掃うように手で落として腰を掛けると今がいつなのか分からなくなった、せめて注文は違うものにしようと思ったが結局同じものに落ち着いた、なにかした自分でも理解していない理由があってそれが選ばれているのだろう、人間なんて自分のことすらろくに知りもしていない生きものなのだ、マスターは俺の注文を聞くと、そうだと思ってたという調子で黙って頷いた、彼もまた逃れられない魂としてそこにいるのだという気がした、料理を作り始めたころには、きっとこんなうらぶれた店に落ち着くことなんて考えても居なかったはずだ、ソニー・ロリンズが小さな音で流れていたけれど、彼のゴージャスな振る舞いはおよそこの店には合っていなかった、チェット・ベイカーは無いのかい、と俺は尋ねようとしたけれど口にする寸前で飲み込んだ、あえてそれを選ばないでいる可能性だってなくはないのだ、余計な口は聞かないほうがいい、下手を打つとホテルの窓から落ちてしまうかもしれない、最後にホテルに泊まったのがどれぐらい前のことなのか思い出せなかった、いつ、どこで何のために泊ったのか思い出そうとした、夜は更けていたけれどまだ頭は働く時間だった、朗読会に呼ばれたのが最後だったかもしれない、でもはっきりそうだと言い切れるほどのものはまるで出て来なかった、水を飲めば思い出すかと思ったけれど、より曖昧になって煙のように消えただけだった、ああ、アンジー、と俺は小さく口ずさんだ、誰かが背後のピンボール・マシンで新記録を出したようだった、近頃は煙草を吹かす人間が減った、まあ、俺はもともと吸わない人間だけれど、この店で誰かが吸っている煙草は不思議なことにまるで気にならなかった、窓の外を見た、いっときは雨が降りそうな感じになっていたけれど、どうやらそんな気配はどこかへ去って行ったようだった、俺は何度か頷いた、そうさ、すべてのものは去っていくんだ、それは決まっていることなんだ、こうしてダイナーのカウンターでやり過ごすくらいしか、人間に出来ることは無い、夜は勝手に更けていく、そして夜であることが分らなくなった頃に、朝は人間の瞼を剥ぎ取りに来る、もの凄く静かな音と主に俺の注文した料理が来た、簡単なグリルだ、鉄板の上でソーセージや野菜が血気盛んな若者みたいにジュージューと油を跳ねている、何度目かの時からマスターは「熱いから気を付けて」と言わなくなった、俺は別に気にしてはいなかったけれど、もしかしたらそういうルールが彼の中であるのかもしれない、マスターとはこういう店で交わす定番の言葉以外を交わしたことが無い、デッサンの練習に使う木製の人形が、白いシャツにベストを着て、黒いズボンを履いて小さな低い声でお決まりの台詞を口にしながら同じペースで動き続けている、この店に来るようになってもう十年以上経つけれど、彼が慌てたり腹を立てたり悲しんだりしているところを見たことがない、もっとも、俺はこの時間にしか来たことが無いからそんな彼を知らないだけなのかもしれない、とはいえ、習慣を壊してまでいつもと違う彼をみたいと思うような意欲も無い、そもそも、俺は彼の名前すら知らないのだ、ある日突然誰かと入れ替わったとしても、この席で同じものを頼んで、コーヒーでも飲んで帰るだけだ、この店に通うようになってから家の台所はただ水が出たり止まったりするだけの設備に成り果てた、別に良いことでも悪いことでも無い、ただ俺の生活がそういう風に変化したというだけのことだ、俺は日中食事をすることが無い、夜遅く、仕事が終わってからここで摂る食事だけでエネルギーを生成している、薄汚い端仕事で、特別モリモリ食う必要が生じるわけでもない、すべてがただそういうこととして、誰も見向きもしない絵画のように現在の後ろに流れて行く、だからなんだ、それがなんだって言うんだ?俺はソーセージを食う、ニンジンを食う、パセリも食う、ジャガイモも食う、要するにステーキの付け合わせだけを食うようなメニューだ、ステーキの代わりに大きめのソーセージが入っている、鉄板で中途半端に温もったポテトサラダが密かな愉しみだ、気のせいなのかどうかよく分からないが、最近少しポテトサラダが多くなった気がする、自分で思っているより俺はそれが好きなのかもしれない、食後のコーヒーはもう頼まずとも終わる頃を見計らって出て来る、俺は時間をかけてそれを飲む、自分の人生がすべて、その苦みと共に飲み込まれて消えて行く気がする、きっと少し眠いだけなのだ、まともな人間ならベッドに潜り込もうとする時間だ、そんな時間に食事をするような人間はきっとどこかおかしいのだ、ピンボールに熱中していた老人が帰ってしまうと店は一気に静まり返った、ソニー・ロリンズは相変わらず余裕綽々で吹いていた、俺は珈琲を飲んで金を払った、いつもならありがとう、と小さな声で言うマスターが、その夜には違うことを呟いた、実は今日で閉めるんです、と、いつもと何も変わらない調子で彼はそう言った、そうなんだ、と俺はぼんやり答えた、突然過ぎてまるで本当の話に聞こえなかった、明日から俺はどこで食えばいいんだい、と俺は冗談めかして言った、あんたは信じないかもしれないけれど、と、マスターは前置きしてこう言った、「十年もウチに毎日通って食べてくれた客なんてあんただけなんだよ」それ本当?と俺は訊いた、マスターは真剣に頷いた、それからいつもより小さな声で、いままでありがとな、と付け足した、寂しくなるな、と俺は答えた、最後に俺たちは握手をして別れた、雨の気配はまったく無くなっていて、冷たく、強い風がうらぶれた通りを狼のように駆け抜けるばかりだった、ひとつげっぷをして、家までのんびり歩いて帰った、もう二度とその道を辿ることは無いのだと気付いたのは、ベッドに横になってからだった。
その日は三十五度死んで四十二度生還した、誤差の中に何があるかなんて俺にもわからない、きっといろいろなことが行われて上手くいかなかったのだろう、そう片付ける他に手は無い、一生なんて大きな枠で語ったり出来る筈がない、人間にはその日一日を生きることを語るのが精一杯なのだ、だから俺は書ける限り書こうと思った、思いつくままに、辻褄など気にせず、ただその、書こうとした瞬間のありのままの蠢きを、あまり考えずに、ひらめきをそのまま指先で表現し続けようと思ったんだ、技巧的なものには興味はない、別に書くことに限らず、すべてにおいてそうだ、技巧的なものにはまるで興味がない、それは目的が違うからだ、俺がこれを書く目的はさっきも言った通りだ、作品を作ろうなんていう気持ちは微塵も持っていない、俺が書きたいと思う気持ちは、放水のようなものだ、巨大なダムの壁面から吐き出される大量の水のようなものさ、それを行わないととんでもないことになるんだ、根本からぶち壊れて跡形もなくなってしまうのさ、中に溜まったものが多くなりすぎるとあまり良くない衝動にとらわれる、観念的な破壊、観念的な殺人、そういったものが脳味噌をうろつき出す、だから吐き出さないといけないんだ、出来る限り大量にね、そして頭の中をスッキリさせるのさ、いろんな呼び方をしてきたんだ、調律とか、デフラグとかね、でも、放水っていうのは一番気に入ってるよ、多分、いままでで一番上手く言えてるような気がする、そうしないと生きるどころかその日満足に眠ることも出来なくなってしまうんだ、書くことをもしも選ばずに生きていたら今頃壊れていたかもしれないな、なんてたまに思うよ、まあ、そんなことを言ったところで、確かめる手段なんてまるで無いわけだけど、俺はそうして一日の喪失、死や再生を数え続ける、罪や嘘や善行を数え続ける、自分の本質的なもの、身体の最奥にあって姿を見せることの無い何かの爪先に触れる、そしてこれは間違っていないと確信するのさ、そういうのって身体で感知するものなんだ、間違ってないって身体が感じるんだよ、興奮とか、或いは内奥の静寂さとかね、そうやって自分自身の真実に近付いていることを認識するんだよ、俺がいつも口にしているリズムっていうのはそういうことなんだ、確実にそれに近付くためのリズムというものがあるのさ、それは俺の肉体の中で息づいているリズムなんだ、そうさ、三十五度死んで四十二度生還した、それは自分の中に深く潜ろうとする闘いの記録なんだ、時には思い出すことすらなかった記憶の断片で酷い怪我をすることもある、そんな時に溢れ出る血の量ときたら、あっという間に気管をすべて塞いでしまうくらいの勢いだぜ、身体が動き続けていればそんなものも一瞬で吹き飛ばすことが出来る、だから俺は身体をなまらせることは絶対にしないんだ、そう、それは闘争心と言ってもいい、野性と言ったっていい、俺は自分の中だけで闘争心や破壊衝動を消化することが出来るのさ、そういうシステムとテンションを長い時間掛けて築き上げてきた、それは年々制度を増している、俺が望むものにどんどん近付いている、それは俺に新しい方法を探させる、慣れ親しんだやり方で同じものを書いているばかりでは駄目だよ、と脳内に語りかけて来る、枝葉を広げる木々はより大きくなる、わかるだろう、俺が欲しいものは大まかに言えばたったひとつのものだが、細かく分けていくと気が遠くなるほどの項目で並んでいる、そして、そのひとつひとつがどんなものであるのか、俺はまだきっと把握出来ていないんだ、俺の体内にはまだ俺の知らないゾーンがある、そこそこ歳を取った、あと幾つの項目を明らかに出来るのか?それは俺の努力次第だ、まあ、こればっかりやっていればいいような身分では無いから、すべてを知るには足りないかもしれない、でもさ、知ることなく終わったことというのは知る必要の無かったことなんだ、俺はそういうことでいいと思う、選んだものと見つけたものに嘘は無いし、まだ開かれていないパネルを裏返すことが人生の目的じゃない、ゲームを楽しむように人生を歩むのさ、なにも無駄に終わることなど無い、選んだものには間違いはなかった、俺はもうそのことを知っている、後はただの興味さ、今日どんなものを書くのか、明日はどんなものを書くことが出来るのか、俺はそれを最初の読者として楽しみながら綴っていくのさ、俺はもう若さを失っているのかもしれないけれど、でも現在が一番尖っていて、そして楽しんでいる、そしてまだしばらく終わることは無い、またなにか違うものを知ることが出来るだろう、それはどんどん大きくなるだろう、それはどんどん多くなるだろう、俺は大量の種の中からその時使いたいものだけを瞬時に判断して掴み上げ、ワードの中にばら撒いていくだろう、そして書き終えたら身体の強張りを解き、珈琲でも飲んで回転数を落として眠るだろう、近頃は夢もクリアーなんだ、俺は多分長生きするよ、目的があるうちは人間はくたばったりしないんだ。
色が褪せてしまった花びらが強く冷たい風に煽られてあっけなく散ってゆく、それはそんなに大きな花じゃなかった、それはそんなに美しい花ではなかった、それはそんなに心を掴むような花でもなかった、ただ俺の座っている公園のベンチの、木々が植えられたスペースを丸く囲うブロックの隙間から逃げるように生えた花に過ぎなかった、俺はたまたま気付かずその正面に腰を下ろしただけだったのだ、それは数秒で終わり、俺は水を飲んだ、そうして、さっきまで花だったもの、埃のように散って短く刈り込まれた芝の上に散った花びらを眺めた、それはこの世でもっともわかりやすい運命の形だった、俺は静かに花の死を受け止めた、ちょっとした縁ってやつさ、陽射しは強かったが風は冷たく、暑いとも寒いとも言い難い奇妙な気温だった、ほんの少しシャツに滲んだ汗が風で冷える度に、体調を崩すかもしれないなという嫌な予感が過った、だけど、冷えた身体がまた日差しで温もるたびにそのことを忘れてしまうのだ、こんなことについて考え続けていてもキリがない、小さな花が散ったところで俺の人生になにかが生まれたり失われたりするわけでもない、それはほんの少し、公衆トイレを借りた公園で一休みをした時に偶然目にした光景に過ぎないのだ、それは例えば、公道で交通事故を目にしたとか、電車に飛び込んで死んだやつを見たとか、街で妙な宗教の勧誘に引っかかりそうになったとか、そうした出来事となんら違いはない、ただまあ…そうだな、それがあまりにも小さく、あまりにもパッとしない花だったからこそという説得力みたいなものは確かにあった、それは認めざるを得ない、別にこれは感傷的な話じゃない、どちらかと言えば生命力とかそういうものについて語っているのかもしれないね、自分でもよくわかってはいないけれど、そうだな、人の死とか、激しい崩壊とか―そういう衝撃的な要素がまるで無いぶん、逆に印象深く残ったと言えばいいかな、とても静かな衝撃のようなものがあった、と言ってもいい、そしてそれはあまりにも当り前に、あっけなく始まって終わった、どんなドラマティックな要素も無かった、録画してスローをかけて、ピアノ曲でも合わせてみれば少しはそうなるかもしれないけどね、そう、それは多分、ひとつの命が持つ絶対的な説得力なんだろうな―蝸牛を踏み潰したことあるかい?あの時に過る妙にしっかりとした罪悪感に近いものがあるかもな、それは蝸牛の殻が、やはりあまりにもあっけなく潰れてしまうからなんだろうな、ああ、蝸牛と言えばさ、俺の実家は山の側なんだけど、土止めのコンクリに何本も水抜き用のパイプが埋め込まれてるんだけど、そのパイプの中が軒並み蝸牛のアパートになっててさ、もう信じられないくらいの蝸牛がそこで生活してるんだよね、大きいのから小さいのまで盛り沢山さ、人生であんなに大量の蝸牛を日常的に目にしていたのは、あそこに住んでいた頃くらいだよね…ああ、そういえば、初めからあそこに住んでいたわけじゃなかったな、もう少し街の方に住んでいたんだ、近くに個人営業の電化店があってさ、ほら、昔よくあっただろ、ダルメシアンが置いてある…そういう店があったんだけど、店舗の隣の駐車場で店主が刺殺されたんだ、まだ俺が小さな子供の頃のことだよ、いや、そう考えると、街中に住んでいたころにはいろいろなことがあったな、小学生の頃には剣道をしていたんだ、地元のおじさんが学校の体育館を借りて教えていたんだよね、で、道着を着て家から通っていたんだけど、その道中に昔ながらの地元の商店街ってやつがあったんだ、いまはもうすっかり廃れてしまったけれど、その頃は凄く賑わっていたんだぜ、その商店街には食器の店があって―その店の横に小道があったんだ、そこに警察官が数人居てさ、なにかを調べていた、ああ、なんかあったのかな、と思いながら家に帰ると、家族が、あんた大丈夫だったか、なんてことを聞くんだよ、俺はなんのことだかさっぱりわからなくてなにって訊いたらさ、俺の帰り道で通り魔が、ひとりを包丁で刺して逃げたって話だった、あれはなかなかのインパクトがあったね、でもいつの間にか忘れちゃってたな…同じころか、少し前くらいか、家から自転車で十分くらい走ったところに大きな公園があってさ、遊具とか、グランドとか、噴水とか…いろいろな設備があったんだけど、その敷地の端っこにさ、小さな石で出来た舞台があったんだ、ライブハウスくらいの…そこの舞台である夜、四十代の女性がガソリンを被って焼身自殺をしたんだ、新聞に載ったよ、人間がそんな風に死ななくちゃいけないなんてどういうことなんだろうってその時思ったんだ、いまはもうリフォームされて跡形もなくなっているけれど、当時はその舞台の端っこがちょうど小柄な人が座っていたかたちに焦げていて、それは少なくとも十年くらいは残っていたんじゃないかな、なにも知らない子供たちは気にしないで遊んでいたけれどね、俺はその焦げ跡をみるたびに、名も知らないおばさんはちゃんと死ねたのだろうか、と複雑な気分になったものだったよ、それが自分の身近で起きた事件じゃ凄く印象深い出来事だったよね―あの公園の近くを通るたびに今でも思い出すよ…ああ、あの花のやつは、思っていたより大きなダメージを俺に与えたんだろうな、今になってそんな気がしたよ。
目の落ち窪んだ梟が窓際でエコー&ザ・バニーメンを口ずさんでいた、フレージングはイアン・マッカロクよりも古臭くて俺好みだった、冬の始まりの骨が凍るような晴れた午後、心境はブルースに制圧されていて、ものに溢れた部屋の中は今日日のトレンドからはかけ離れていた、一応整理してはあるが、どこに何があるかをひと目で把握するのは不可能に近かった、断捨離という考え方が好きではない、あれは自分の趣味趣向に何の責任も持たない人間のやることだ、雑誌は古くなればなるほど読み返す楽しみがあるし、しばらく聴くことがなかった音楽も歳を取ってから聴いてみると以前の印象とは違って聴こえたりする、最近聴いていないからとどこかに売っぱらったりするのは間違いだ、それはすでに自分を形作っているひとつの要素なのだ、そしてそれを思い出すごとに再考してみるというのは、自分が日々どれだけのものを手に入れているかという確認にもなる、以前聴こえていなかった音だって聴こえるようになる、成長過程の中で触れて来たものというのはその後もずっと意味を持ち続ける、俺はほとんどのものを棚に突っ込んである、もちろん、金に困って売ってしまったものもある、でも時々、思い出して買い直したりもしてみる、真剣に向き合ってきたものなら、思い出しもしないなんてことは絶対に無い、いや―ちょっと待て、昼間なのに梟が居るのか?慌てて窓際に視線を戻すと梟はもう居なくなっていた、イアン・マッカロクの声は梟と言えば梟かもしれないが、パソコンのプレーヤーで流しているのはローリング・ストーンズだった、時々はそんなことがある、まあ、梟が歌っている時点で異変に気付けないのは欠陥だと笑うほかない、目を覚ますためにインスタントコーヒーを入れた、それ用の小さなケトルがある、インスタントコーヒーのための湯を小さな手鍋で沸かすのはなにかこう…詩的ではないと思った、ああ、真面目に聞かないでくれ、もちろん冗談だ、とにかくしっくりこないなと思ったのでホームセンターで一番小さなものを買って来た、家にあるものの中で一番手に取る道具かもしれない、ピーナッツを摘まみながら飲み干すと多少目が冴えた気がした、昔なにかで読んだことがあったのだけど、コーヒーに含まれるカフェインの効果は三十分程度だとか―だから、「昼コーヒーを飲んだから眠れない」なんていうのは迷信だとかいう話だった、まあ、俺自身はコーヒーのせいで眠れないなんて経験をしたことが無いから、どうでもいい話ではあるけれど…特別印象深い話でもないのに、ずっと脳味噌に張り付いてしまう話題がある、そんな経験ないかい?まったく、ボンネットを開けて配線だのパイプだのをいじるみたいに、脳味噌に手を入れることが出来たらいいのにね?自分で脳味噌の世話が出来るようになれば、催眠術や霊感商法や医者や洗脳の世話になることもないぜ、まあ、脳味噌の世話ったってなにをすればいいのかはわからないけど―でも、精神を保つために出来ることはたくさんある、煙草は吸わない、酒は飲まない、もともとどちらもそんなに好きじゃないから俺には出来るってだけの話だけど…それから、最低限のトレーニング、書いているもののリズムが肉体に反響しなくなると、文章の鮮度だって落ちる、これは絶対に確かな話だ、環境を出来るだけ整えたり、余計な用事は先に済ましておくことなんていうのもある、簡単に言えば、気が散らないようにするためになるべく出来るだけのことはしておけということだ、さて、ちょっと報告したいことがある、梟が窓際に戻って来てフリートウッドマックを歌っている、意地悪気にニヤつきながら―酷い選曲だ、と俺は思った、だから、ブーイングを飛ばしてやった、すると梟はさらにデカい声で歌い始めた、なんていう音量だ、ボイストレーニングが完璧に出来ている、どうでもいいことに感心しながら窓を開けてそいつを追っ払おうとしたが、窓はなぜか開かなかった、梟は歌いながらますますニヤリとした、外から何か仕掛けをしているらしい、そうか、俺が外に出て行けばいいんだ、俺は玄関へ向かって走った、珍しい鉄の靴ベラを持っていたので、それを取って部屋の窓へと走った、梟はすでに居なくなっていた、窓は、レールにびっしりと小石を敷き詰められていた、クソッ、危うくガラスに靴ベラを叩きつけるところだった、まあ、でも、小石を少しずつ掻き出すには最高のチョイスではあった、俺は丁寧に小石をすべて排除すると、窓を数度開けたり閉めたりして問題ないことを確かめた、家に戻ろうと向きを変えると、そこに丸々と太った初老の男が居た、何か用か?と俺は尋ねた、いやぁ…と男は言いにくそうに話し始めた、「ここはあんたの家?」「そうだけど…?」「ここの前を通りがかったら、家の中から凄く大声で歌っている声が聞こえたもんでね、いったい何だろうと思ってね…」
肉体を極小のコンカッセにして、焼けたトタン屋根のプライパンで焦げるまで焼いたら一気に口の中に捻じ込む、硬い食感とハッカを混ぜ込んだような奇妙な味の中で、脳髄は普段開いたことのない扉の奥へと…これは猟奇的な話なんかじゃない、あくまで感覚的なことだ、俺がなにかを書こうとするとき、身体の中ではそういった風景に近い感覚が繰り広げられている、その時でなければ開けられないドアがある、もしも事前に開いていたとしても、俺自身がその時でなければ潜ることは出来ないだろう―もっとも俺がそこを潜れなかったことなんておそらくは一度もないけれど―簡略化して語るならすべてのパーソナルなしきたりを滅茶苦茶にするということだ、個人としてのこだわりをぶち殺すのだ、それも、出来るだけ残酷な殺し方が良い、イマドキのコンプライアンスになんて乗っかる気にもならないさ、すべてを見つめたことのない目で何を語ることが出来るというんだ、語れというのなら手前の肉の味まで語ってみせるさ、それはストイックな行為じゃない、時に俺はそういう見方をされることもあるけれど…その実は普通の人間が呆れかえるくらいの快楽主義者なんだ、そう、俺の脳内麻薬の純度は限界越えの上物だぜ、覚悟がなければ味わうこともままならない、俺はぐちゃぐちゃの渦の中にわが身を投げ出して呼吸の限界まで耐える、どうしようもなくなったときなぜかきちんと陸地へと吐き出される、もしも戻ってこれなかったらなんて考えることもあるけれど、そのときは報告することなんて出来そうもないな、どのみち人生は有限だ、出来ることを目一杯やらなくちゃ誰に何を誇ることも出来ない、といっても生き急いでいるわけじゃないんだ、太く短くなんて趣味じゃない、細く長くなんてもっと興味がない、しいて言うなら「太く、出来るだけ長く」って感じかな、欲張りだって?それの何が悪い、だってこれは自分で叶えることが出来るんだぜ、俺がそう言ってるんだから間違いない、常にその時頭の中で燻っている考えに身を任せてみるんだ、再び火をつけて、その炎の中に浮かび上がる啓示に飛び込むのさ、それは時には進化と呼ばれ、たまには退化とも呼ばれる、でもそんなのどっちだっていいね、俺は読み手じゃない、読み手のことなんか考える必要はない、好きに書けばいいだけさ、それに、それは進化でも退化でもない、それは調整みたいなものさ、自分の望む形にもっと近づくために、角をきつくしたり、逆に丸みを帯びたものに変えてみたりするんだ、そうして時間を置いて見え方を確かめる、ここ最近はそんなことばかりしていたな、割と大事なことだったんだ、これからも同じことをやり続けるのか、それとももっと色々なものを取り込んで変化し続けるのか、そんな瀬戸際にずっと立っていた気がする、新しい書き方をした最初の日は楽しかった、自分にそんな書き方が出来るとは思っていなかった、そんな書き方をした、俺はそれによって、すべての文章のサイズを綺麗にまとめるやりかたを覚えたんだ―こんな話をしてもほとんどの人間には何を言っているのかわからないと思う、まあ、それはそれでいいんだ、ただ、俺はいろいろなことを試していたんだということを話してみただけさ、自分にその必要があることは少し前から感じていたからね、理想の書き方じゃない、理想の結果を求めるようになったと言えばわかるかな、スタイルやステイタス、スタンスなんかにこだわっても仕方が無いんだってことがわかったのさ、ぎちぎちに文字が詰まった二千文字程度の作品、俺の書くものなんてみんなそんな感じだろう、でもその結果に行きつくための工程はここ二年くらいでとても大きく変化したんだ、何日かかけて書いてみたり、一日で書くときはちょっと速度を変えて三分割ぐらいずつ仕上げたりね、とにかくいろんな書き方を試してみたんだ、そしてこういうものを手に入れた、もう俺にもどんな書き方が正解なのかというのはまるでわからない、でもそれはまだ、答えを出す段階じゃないと思っているよ、こなれてくるにはもう数年は必要なんじゃないか、もちろん、急に死んだりしなければの話だけどね、まあ、予定はないよ、少なくとも視野に入れてもいないよ、でもさ、思いもよらぬところで死の淵に立ったりすることだってあるからね…そういうすべてを飲み込んで、何度も試して出来上がっていくんだ、まとめる、っていうのは作品的な話じゃない、書き方を含んだ人生のすべてを集約するという意味なんだ、俺はまとめたりなんかしない、いまさらそんなこと言う必要も無いのかもしれないけどね、ありのままに投げ出すのがこういうのは一番なんだ、だけどそう、ばらばらに投げたりとか…いっぺんに投げたりとかね、ペンキを壁にぶつけて描くアートみたいなもんさ、速度とリズム、それからある種の恍惚、引き摺り出される無意識下の怪物、それが俺の思う詩作ってやつさ、怪物は蛇のような形をしているが、外皮には滑り止めのようなものがついていて蛇みたいにつるつるじゃない、そいつを力ずくで引き摺り出す瞬間の快感って言ったら!そのまま死んでもいいって思えるくらいさ、でもそんな思いのおかげで俺はこうして生きていて、いつまでもそいつを感じたいと考えている、そうさ、こんな種類の快楽は、この作業でしか味わえないんだから。