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真夜中には哀歌を、不吉な目覚めには朝の光を

2024-12-07 21:32:21 | 

金属パイプで冷たい床を叩いているような音がどこかから…それがどこからなのか知りたいという思いがあったけれど、その一方で、これは現実で聞こえている音ではないのかもしれないという予感もどこかにあった、あらゆるものが俺の知らない場所で展開されている、耳を澄ましながらじっと考えているとそんな気分になって、それで少しなにかを殴りたい気持ちになったけれど、殴れるようなものなどそのへんにあるわけもなく…壁を殴っても手を痛めるだけだという程度の理性はまだあった、でも、そんなものあってもなんの役にも立たなかった、まあ、いまこの時にはということだけど―それでとりあえず寝返りをうってみたのだ、景色が変わることでなにかを変えられるのか見てみたいという気持ちがあった、まあ、当然のように状況はまるで変わらなかったけれど…いま何時だろう、不意にそんなことが気になったけれど、いまスマホを手に取って時間を確認する気分には到底なれなかった―俺の部屋には時計がないのだ、なぜだか自分でもわからないのだけれど、自分の部屋に時計を置いたことがない、これまで一度もない、特別そこにこだわりがあるわけでもない、ただ時計を部屋に置くという発想が自分の中から出て来たことがないのだ、不思議なことだよな、とたまに思う、特にこんな風に、頭が奇妙な状況に入り込んでいる時には…音は続いていた、とても規則的であったり、とても不規則であったりした、ということは、人為的なものだということだ、不規則であること、それは人間のリズムなんだ、待てよ、ということは、規則性というのは人間を軸にして考えられてはいないということになるな、本当に人間という生きものは、自分以外のものに基準を設けることが好きだねぇ、自分自身の中に自分だけの神を持ってなにが悪い?世界をかえるものは政治や宗教じゃない、それはパーソナルな神でしか成し遂げることが出来ない奇跡なのだ、そうさ、人間はアイデンティティをサボる生きものだ、困難や苦痛の予兆に怯え、無難な流れに乗っかるだけの…そしてそのうち、脳味噌の使い方も忘れる、誰にでも言えるような言葉しか発さなくなる、自我と成長期の終わり、この国じゃ遺伝子的に、医術の範疇ではないロボトミー手術が繰り返し行われている、ハーメルンの笛やレミングの大量自殺を例に挙げるまでもないよね?ほんの一瞬、金属パイプの歌が途切れた、この瞬間をどんなことに使おうかと悩んでいるうちにそれはまた再び始まった(昔こんな夢を見たことがあるような気がする)、眠りたいだけの俺はただ、釈然としない現実を押し付けられて、ベッドの上で脱力している…抗うことを止め、リラックスして待っていれば、いつの間にかそれはおさまっているかもしれない、なんて風に考えた、歯痛や、腹痛と同じような感じで―同じ時が続き過ぎて逆に、時が止まっているのではないかと思えた、遮光カーテンを閉め切った部屋の中では窓の外の様子もつかめない、ただただずっと、苛立たしい音が内耳で響き続けている、不意に、昔本で読んだ話を思い出した、ある人が耳鳴りが止まらないからと耳鼻科を訪れたら、ビッグサイズの蜘蛛だかムカデだかが耳の中に入っていた、という話だ―俺はその可能性について考えてみた、とはいえ、耳の中で金属パイプでひたすら殴打するような音を立て続ける虫を俺は知らなかった、だから俺はひとまずその可能性を排除した、気分を紛らわすために原因を探ってみることにした、なにかしらの小型の発信機のようなものはどうだ?もちろん、仕込まれたわけじゃなくて―些細な事故みたいなもので俺の耳の中に滑り落ちて、救助信号を発信し続けている…駄目だ、小型の発信機が偶然俺の耳に落ちて来る可能性などほぼ確実にゼロだ、俺は発信機の可能性を排除した、氷なんかはどうだ?すぐ溶けてしまうし、そもそも、滑り落ちた瞬間に気付いて対処出来るだろう、馬鹿、真面目に考えろよと俺は自分を罵倒した、罵倒したところで何にもならなかった、別の可能性なんてもう思いつかなかった、なにか似てる音楽を探して流してみたらどうだろう、少しは気もまぎれるんじゃないかという気がした、そういう音楽には心当たりがあった、ジョン・ゾーンのエレジーを引っ張り出してプレイヤーに入れ、再生を押した、そうそう、この音―エレジーは見事に苛立たしい雑音を取り込んだ、俺はいい気分だった、あれこれ頭を悩ましてどうにか解決策を導き出した自分が誇らしかった、スマホを取って時間を確認した、深夜二時を少し回ったところだった、ついでに少しネットサーフィンをした、そろそろ寝ようかとスマホを元の位置に戻したとき、金属パイプの音がすっかり止んでいることに気付いた、どうしてこんなことが起こるのだろう…真面目に考えてみたかったがもう睡魔に駆逐されかけていた、目を閉じるとあっという間に眠っていた、自分自身を切り刻んで煮込み料理を作る夢を見た。


真夜中のゲーム

2024-12-03 21:51:12 | 

深夜、コインランドリーで、小説を読みながら機械が止まるのを待っている女、彼女がどんな気分かなんてある程度想像はつくけれど、それが正解とは限らない、ただ、夜中にまとめて洗濯をするのが好きなだけの女かもしれない、夜中しか自由時間が無くて、近所迷惑を気にしてランドリーに来ているのかもしれない、あるいは単純に、家に洗濯機がないのかもしれない、まあ実際、徒歩で来ているみたいだし、近所に住んでいるのなら週に一回ここで洗濯した方が楽かもしれない、でも俺がただそんな理由だけで納得出来なかったのは、その女の読んでいる小説がジェイ・マキナニーだったせいかもしれない、でもそれにしたってただの思い過ごしかもしれない、なんにせよ、女に近付いて、こんな夜中に洗濯してるのかい、なんて、気障ったらしい口調で話しかけようなんて思わなかった、暗がりの中でそのランドリーだけがよく見えたから、少し気になったというだけのことだ、女がもしも顔を上げても、俺が道に立っていることさえわからないだろう、この道には外灯というものがほとんどないのだ、そんなわけでコインランドリーの物語はそこで終わり、もう少し歩くことにした、やっと迎えた休日の前夜、ただ眠るには惜しかった、だから、真夜中の通りでもぶらぶら歩いてみようというわけだ、ジャズ喫茶の前を通り、街のど真ん中にある山に沿って歩いた、水子地蔵がずらりと並ぶ前を歩くときには少し寒気がした、そういうものが立っているところは必ず少し温度が下がる、気分的なものかもしれない、オカルティックな理由があるのかもしれない、ただ単純に、石の塊が沢山置いてあるせいかもしれない、どれでもいいし、どれでなくても構わない、ただ俺はそういう場所はとても寒く感じる、と、それだけの話だ、そうだ、この山は墓地だらけだ、深夜の墓地散歩とでも洒落込もうじゃないか、俺は山登りをすることにした、車が通る坂道と、急な階段のどちらにしようかと悩んだが、階段を通ることにした、夜に外を歩くことはあるが、山に登ったことは一度もない、愉快な夜になりそうな気がした、灯りになるようなものは持っていなかったが、月が明るい夜だったので大丈夫だろうと考えた、もしもの時はスマホのライトでも照らせばいい、どれほどの効果があるのかはわからないけれど、土を固め、木で周りを整えた長い階段を登っているうち、なんというか、ここがどこだかわからなくなった、何度も登ったことのある怪談なのに、その日初めて登っているような気がした、奇妙だな、と俺は思った、昼が夜になるだけでこんなに変わるものなのか、それとも、ただこんな時間帯だから肌で感じるものが違うというだけのことなのだろうか、考えてみたところで答えなど出るわけもなかった、解答を手にした司会進行役などここには居ないのだから、奇妙な声の鳥が鳴いていた、レコードの針飛びのような声で、短く、甲高い鳴声の鳥だった。その鳥の名を何と言うのか俺は知らなかった、そんな声で鳴く鳥が本当に居るのかどうかも、ただ、俺がそのことをはっきりと知る必要があるのかどうかという点で考えるなら、答えはノーだった、どうせこの世は、俺にはわからないものだらけなのだ、それが世界というものなのだ、どんな狭い世界だって、すべてを知ることは出来ない、人間はフィジカルにおいてもメンタルにおいても、自分で考えてるほどたいしたもんじゃないのだ、不意に、歌声が聞こえた、女の声だった、さっき、コインランドリーで見た女が頭に浮かんだが、まだ洗濯が終わる時間ではないはずだ、それに、深夜のコインランドリーでジェイ・マキナニーを読んでいるような女が、それから山に登って歌をうたうなど考え難い、綺麗な声だった、優しい声で歌う時のサム・ブラウンみたいな声だった、俺は人魚の歌に引き寄せられる船乗りの如く、その歌声に向かって階段を登った、不思議なことにその歌声は、どんなに近付いてみても歌の主がどこに居るのか突き止められなかった、すぐ近くで聞こえているような気がするし、ずっと遠くで聞こえているようにも思えた、木々に阻まれて、明るい月の光は階段まで届かなかった、なのに不思議とライトを照らす気にならず、黙って階段を登った、頂上にある展望台まで来てみたけれど、女の姿はどこにも見当たらなかった、けれど歌声は確かに聞こえ続けているのだ、いったいどこに居るんだろう?公衆トイレの中や大きな木の裏側にも回ってみたけれど、見つけることは出来なかった、どうも見つかりそうにない、と、諦めると酷い睡魔が襲って来た、たくさん歩いたせいかもしれない、家に帰って眠ることにした、途中の自販機で温かいコーヒーを飲んで、家に帰って寝支度をしてベッドに寝転んだ、その瞬間、スキンヘッドの可愛い女の生首と目が合った、女は見つかっちゃった、と言うように笑った、見つけた、と口にした瞬間、泥のような眠りに落ちていた。


bottomless swamp

2024-12-01 00:25:55 | 

呪詛のような蔦に巻かれ、痩せ細る夢を見た転寝の午後、少しずつ窓を駆逐せんとする強い西日、動乱めいた夕暮れが背中まで来ていた、コークスクリューの風が吹く十一月の終わり、ベルベッドにくるまれた骨の身元は誰も知らない、肌を炙るような寒さ、唇が凍りつくからひとり言を喉元に並べる、雨蛙がどこかで小さく鳴いている、パバロッティの発声練習のように、指先はいつもどこにも無いものを探している、少なくとも昨日とはまるで違うものを求めている、手数はいつかどこかで同じものに辿り着くのかもしれない、けれど、例えば同じフレーズを使っても同じ意味になるわけじゃない、補足するなら、探し続けている人間は以前とまったく同じものを発信することなど不可能なのだ、座標は特定出来ない、動き続けている、動きの中で求められる思考がリアルタイムなのだ、それは旋律を持たない、それは定型性を持たない、常に変化の中にいて、経過をありのままに映し、結論はあまり重要に思わない、すでにある結論ならそこに並べる必要はない、夕暮れが空を覆い尽くす前に幾つかの行が書き足される、思いだけではいけない、技術だけではなおいけない、すべてがバランスよく整っていなければならない、そして、それよりもまず、自分が何の為にそれをしているのか理解していなければならない、在りものを模倣するだけなら容易いことだ、オリジナリティーというのは、それまでのやり方を理解しつつ、そこにどれだけ自分だけのやり方を練り込むかということなのだ、最初から最後まで完全に自分だけのもの、だなんて、現代では不可能に近い、多種多様なスタイルが常に生まれている、何をどれだけ使うのか、巨大な道具箱の中からどれとどれを使ってどんなものを作るのか、一行ごとにその選択を行いながら指先を動かしている、分岐だらけの、おまけに正解もゴールも無いゲーム、初期のテレビゲームみたいに、死なない限りは永遠に続けることが出来る、ある意味でそれは、どんなこだわりも関係ない世界、リアルタイムである以外に重要なことなんてないのかもしれない、カードを切るように、コインをベットするように、割に合わないギャンブルは繰り返される、まったく、これが何なのか自分自身ですら正しく理解することは出来ない、だから尚更それは、また次の新しいフレーズへの欲望を呼び起こす、ジャンキーの禁断症状、綴らずにはいられなくなる、身体はそこにのめり込むことで、深層の情報を明るみに引き摺り出す、見慣れないフレーズだからって躊躇うことはない、それは生まれるべくして生まれて来た羅列、見慣れた言葉たちが見ることの出来ない階層の為に本来の意味を変える、言葉が常用的な意味から離れることが出来ないのであれば、詩などどこにもないのと同じことだ、言葉は入口に過ぎないことを忘れてはいけない、そこからどんな意味にも飛べるように、あらゆる方向に向けられたカタパルトに直感で乗っかれるように、言葉を使ってどんなことを語ろうとしているのか認識しておいた方がいい、それは、常に書き続けていれば朧気には見えて来る、そして、朧気以上に突き止めてはならない、それ以上特定してしまうと、それは世界の端に設えられる壁になる、獣は壁の内側には居ないものだ、いつの、どんな時代だって、必ず、ベルベッドにくるまれた骨の身元は誰も知らない、でもみんなそいつの曲線にいつか抱いた思いを思い出すはずだ、いつの間にか小さな世界はすっかり夕暮れに染め上げられ、生きとし生けるものどもを迷子のような心持にさせる、ノスタルジーなんて幻みたいなものさ、でも誰もそこからは逃げられないんだ、世界の本質を突き付けられる度にどこか後ろめたい気持ちになるのは、萎んだ本能が胸の奥ですすり泣くせいだ、ここから夜になるまでの間にいったい何が出来る?漫画でも読むかい、それとも小説にする?それとも何かしら脳味噌から引っ張り出して少し書いてみるかい、何をどんな風に語ることが出来ても、それでそいつ自身の価値が上がるわけじゃない、結局のところ、そんなお前は何が書けるんだっていう話になる、知識で理論武装した話なんか何の興味もない、生身の話をしたいから表現に手を染めた、いろいろな書き方を試してみた、こだわりが無くなって来てからは、ずっと、あらゆる道筋は一本の道になりつつある、頼道をしなければ道の本質は見えてこないものさ、どんな言葉を書くことが出来ても、どんな熱情を語ることが出来ても、自分自身が空っぽなら虚しく反響するだけさ、夕暮れは終わり始めている、そして俺はいま書きかけているものについて考える、生きて来た分の蓄積がまとめて頭の中を駆け巡る、数十年分の詩篇の続きをずっと書き続けている、長い長いたったひとつの詩さ、それは俺がくたばるときに初めて完結する、そして二度と始まることは無い、もしそんな時が来たら、あんた、その先を引き受けてくれるかい?


パーフェクト・ワールドはなにもかも未定

2024-11-25 22:04:04 | 

割れた鏡の破片を踏みつけた朝、床中に広がる、真赤な俺の血液、足首をきつく縛って、軟膏を塗り込む、幸い破片は表面に浅く残っていただけだった、鋭い痛み、何をするにも億劫、特別な予定も無いのでその日はじっとしていることにした、片足で跳びながら破片を片付け、床を軽く拭いた、時間がそんなに経っていないのですぐに拭き取ることが出来た、念のため黒いタオルを使った、捨てても騒ぎにならないように―他人の落度には敏感な人間が増えた、そんな連中はたいてい、自分の顔が荒れ放題なことにも気が付かない、贅肉の塊みたいななりで、通り過ぎた誰かの容姿を云々する、まったくお笑い草だ―あまり関係の無い話だった、音楽を流して、デビッド・ボウイかなんか…少しの間サローヤンを読んだ、四十ページくらい読んで一旦閉じ、そう言えば最近読書なんてあまりしていないなと思った、昔裸眼で読めていた文字が、近頃は眼鏡をかけて、そこにはね上げ式のルーペグラスを被せないとほとんど見えなくなったせいもある、なのに視力は二十年前とまるで変わっていないのだ、それが歳を取るということなのだろうか?面倒なことが増えていくのかと思うけれど、俺にはそれほど老いたという認識はない、まだ…二年前から懸垂を始めて、まだあまり回数はこなせないけれど、筋肉量は人生で一番多くなった、肩が痺れるようになって、針医者に行ったときにいろいろとアドバイスを貰った、「前の筋肉は申し分ないですが背中にまったく筋肉が無いので背中を鍛えるといいと思います、それと、引っ張る運動をすると巻き肩が改善されて痺れもなくなるかもしれません」とかなんとか、あれは有意義なアドバイスだった、でも、肝心の針は微妙にポイントを外していた―その前に行った針医者の針が完璧だったから、すぐにわかった、二度目も同じところに行きたかったのだが、休診日だったのだ、まあ、これも巡り合わせってやつだよな…午前中は足の裏がずきずきと傷んだ、でも、昼頃にもう一度薬を塗ると痛みはだいぶマシになった、若い頃は薬を塗ることが嫌いだった、でも、水仕事をしていた頃に手が凄く荒れるようになって、ハンドクリームを使い始めた、それがきちんと効くとわかってからは、抵抗は全く無くなった、殺菌や消毒なんかの効果があって、それだけは治るのは凄く速くなる、こんな小さな話だけでも、若い頃の自分がどれだけ馬鹿だったかわかる、真面目に生きていれば人間は必ず賢くなる、もちろん、人間という生きものの尺度で言う真面目であって、社会的にどうこうという話ではない、特に近頃の社会なんてものは、それなしでは生きることすらままならない連中の為の松葉杖みたいなものだから、少なくとも俺には必要無い―必要最小限に関わるくらいで、いい―身体は傷つくか痛めつけることでそこにあるとわかる、身体を鍛えるというのは詩人にとっては愉快なものだ、そこには必ず注ぎ込んだ分目に見えて現れる結果というものがある、詩には答えが無く、常に迷宮を彷徨う覚悟でないと一日たりとも過ごすことは出来ない、まるで逆だ、それがとんでもなく心地いいのだ、まるで違うものを知ることは、その両極にとって良い結果となる、両方の在り方が理解出來て、両方に夢中になれる、俺は特に無茶苦茶したがるタイプだから、気分が変わってちょうどいい、支流はたくさんある方がいいと誰かが言ってた、それはそのまま視点という意味だ、眺めのいい場所だけに生きていると、下界でどんなことが起きているかはわからない、下界で道を這いずってばかりいると、眺めのいい場所を知ることは無い、ならば時々どちらかに出掛ければいい、そうすれば世界は広がる、自分がそこに居ることの意味だ、その場所で何を知ろうとしているのか、その場所で何を得ようとしているのか―意味を明らかにするのは境遇とか環境なんかじゃない、自分の求めるものがどこにあるかだ、様々な表現方法を複数選択して多重展開していようと、何のためにそれをしているのかきちんと受け止めていれば生まれるものはみんなきちんとしているものさ、スタイルにこだわるとそいつは決して理解出来ないんだ、自由になる為にそれを選んでいるはずなのに、不自由な思いをしてどうなるというんだ?俺にはまったく理解が出来ないね…きっと、そういう連中の考え方は俺とはまるで違うのだろう、だけどさ、型にハマることを拒んで手に入れた場所で、結局違う型にハマるのならもう何の意味も無いんじゃないのかね、まあ―他人が好きでやっていることにあれこれ言う気は無いけどさ、とにかく俺はそうして生きて来たんだ、そして、年々、それは上手くなってきていると感じているよ、あらゆる方向にドアを開けて、アンテナを伸ばすんだ、常に直感を翻訳し続けていれば、自分でも考えていなかった方向に突然動き始める、理想なんか要らない、何処に転がるかわからないから人生は面白いんだ。


異変

2024-11-22 22:13:50 | 

目覚めの景色は死蝋を思わせた、ベルベット・アンダーグラウンドが小さな音で流れていた、それは右手に握られていた俺の携帯から聞こえているのだった、ここがどこなのか思い出せなかった、が、思い出そうという意欲も無かった、目が覚めたのだからそのうち思い出すだろう、そんな程度に考えているだけだった、まだ動き出す気にならなかった、仰向けに寝ていた、だからここが自分の部屋でないことだけはすぐにわかったのだ、左側に寝返りを打った、グロテスクな造形の―おそらくは悪魔のような生きもののゴム製のマスクがまず目に飛び込んできた、頭からすっぽり被る、汎用型のアレだ、その顔はなにかを思い出させたけれど、言語化出来る状態になるにはもう少し時間が必要だった、もう少し眠ろうか、そう思って目を閉じてみたものの、気怠さの割に睡魔はもう消えてしまっているようだった、しかたがない…俺は上半身を起こした、キイィ、と金属が擦れるような音がした、昔流行ったパイプベッドというやつだ、二十代の頃には俺も持っていた、隣に見知らぬ女でも居るのかと思ったが、そんな様子はまるで無かった、ならば俺はどうして、ここでひとりで眠っていたのだ?何も思い出せなかった、昨夜は部屋に居たはずだ、酒を飲んだり、ヤバい薬に手を出したり―そんな、記憶を無くしてしまうようなヤンチャな真似は一切していない、こういう時は狼狽えないように努めるのがいい、別に今すぐに知りたいというわけでもない、思い出せないというのならそれでもいい、なにか不思議なことがあって見知らぬ部屋で寝ていた、そんなネタ話にしてしまうだけのことだ、上体を起こしてしばらく待ってみたけれど、特別何も起こらなかった、ようやくお目覚めかね、なんて、ゴリゴリのバリトンで語りかけられるなんてこともなかった―ドラマじゃあるまいし―まあ、シチュエーションだけなら、多少ドラマ的な感じではあるけどな…億劫だったが、ベッドを降りてみた、洋服は、外出する時によく身に着けているものだった、ということは、俺は自分の意志で外出したのだ、部屋にはパイプベッドと洗面台と、トイレと思わしき簡易的な狭い部屋があるだけだった、工事現場なんかによくあるレンタルトイレを、素人が見様見真似で木で作ってみた、という感じだった、水洗かどうか確かめたかったのだが、その前に顔を洗うことにした、ここにしばらく居るのならそのうち知ることになるだろう、もしもすぐに出て行けるようなら、別にこの先一生知ることが無くても構わない…タオルが見当たらなかったので濡れたままにした、スッキリしても肝心なことはわからないままになっていた、自分の人生でそんなことは初めてだった、酒にも薬にも興味はなかった、昨夜の記憶がまるでないなんて経験は、一生しないままで終わるだろうと思っていた、記憶が無くなる理由―ふと、そんなことが気になった、酒やドラッグ以外に、どんなものがある?例えば、頭を酷く打つとか―?さっき顔を洗った時には、そういった痛みはまるで感じなかった、そっと後頭部に手をやってみると、ちょうど後頭部の曲線と首が繋がっているあたりに、打撲時のような痛みを感じた、一瞬、身体が緊張してしまうくらいの強烈な痛みだった、俺はため息をついた、なるほど…俺は頭部を強打した、だから記憶が無くなった、では、頭部を強打した原因はなんだ?何かが起こったのだ―ふと、カーテンが動いているのに気が付いた、窓が開いているのか?侵入者に頭を殴られた?カーテンを開いてみて愕然とした、窓は枠ごと無くなっていて、窓の外には砂漠と言うか荒野と言うか―とにかく、何も無くだだっ広い光景がただ広がっていた、気温は暑くも寒くもなかった、昨夜は少し肌寒いくらいだったはずだ、太陽は上がっているのかいないのか、明るくはなかったが暗くもなかった、かといって普通に曇っているのかというと、そういう感じでもなかった、なんというか、メディアでたまに見る地球以外の惑星のような風景だった、俺はまだ眠っているのだろうか、と自問しかけたがすぐに打ち消した、なにかが起こっているんだ、誰も答えを教えてくれそうもない、自分で突き止めなければならない、とりあえず部屋の中をもう一度見渡してみた、そしてあることに気付いた、部屋の中はがらんどうだったが、それは間違いなく俺が住んでいる部屋だった、トイレが変な具合に見えているのは、部屋とそこを区切っていた壁が取り払われて、壁紙が剥がれたりとかしたせいのようだ、いや、だけど…本棚やステレオ・システム、テレビやパソコンなどの一切は、盗まれたのか、あるいは他の理由なのかわからないがすべて無くなっていた、もう一度窓の外を眺めたが、そこにもやはりなにも見当たらなかった、携帯の画面をつけてみたが、電波はまるで無いという表示になっていた、ルーターが無くなっているので、WiFiに繋げることも出来なかった、災害用のチャンネルにもかけてみようとしたが、何の音も聞こえて来なかった、昔の固定電話に例えれば、線が切られているという状態と同じだった、古い漫画を思い出した、自分の部屋だけがどこか―未来か過去かどこかへ移動してしまった、そんなこと起こり得るだろうか?ふと、腹が空いているのに気付いた、窓の外でなにか、低い唸り声を聞いた気がして振り返ると、熊と虎のハーフのような奇妙な獣がこちらを睨んでいた、どうやらそいつも腹を減らしているらしかった、まいったな―武器になるようなものは見当たらなかった、獣が一声、高く太い声で吠えた。