穏やかな夜だったかと問われればそうだったかもしれない、と答える程度の夜だった、考え事はあるにはあったが、何かに変換しようと思えるほどの動機になるようなものは特に無かった、それならそれで投げ出して眠ってしまえばいいのだが、そういう時ほどだらだらとこだわって起き続けてしまうのが俺という人間の性分だった、自分の中で何かひとつ、いまやるべきことをやらなければすっきりと眠ることが出来ない、長いことそういう人間で生きて来た、他人からすれば面倒臭いやつだというふうになるかもしれないが、自分としてはずっとそうなのだから別に面倒臭いとも感じない、そういう人生を生き続けて来たのだから…そもそもどうして、面倒臭くない人間が正しいみたいなニュアンスを込めてそういう物言いをしてくるのか、誰も彼も最早、安直なものばかりを選択して暮らしている、そんなに安心したいのだろうか?安心はそんなに大事なものなのだろうか?はみ出さないように生きて安心するくらいなら、俺は今すぐ首をくくって閻魔様の長ったらしいお説教を聞きに行くね、安心したいのはきっと、自分の中に何もないからさ、一個人としちゃ空っぽの方がこの世間じゃ生きやすいからね、だから、ますます空っぽのやつらのためのコミュニティとして仕上がっていく、上っ面の以心伝心が出来上がってりゃそれでオーケー、俺は首を横に振る、馬鹿げてる、人生の無駄遣いさ、そう、それで、眠ることの方をいったん諦めてこれを書いているんだ、近頃は寝床に横になったままでも文章が書けるからね、いい時代になったもんだよ、まったく、常に何かを試し続けている、新鮮さって必要だからね、違う刺激を入れてみないと、それまでしてきたことも見え辛くなってくる、これはとても大事な話だよ、スタイルなんて本当の意味では確立しないんだってこと、覚えておくべきだよな、とにかく仕上げたがるだけのやつが多過ぎるのさ、技術点が高いだけのものを作ったって仕方がないよ、「ああ、よく出来ていますね」でお終いってもんさ…俺の言ってることわかるよね?そんなに難しいことは話していないつもりだよ、なぜ文字が生まれたのか、なぜそれが詩や小説に変わっていったのか…考えるまでもないことのはずさ、それがすべての基本なんだ、それを忘れてしまったらただいいものを作るだけの芸になってしまう、そんなのちょっと我慢ならないと思わないか?少なくとも俺がやりたいことはそんなことじゃないね…俺が自分の作るものに求めているのはただひとつ、血が通い、熱を放っている生身の感触なのさ、すべてのしきたりを取っ払って、自分だけの感触について語りたいんだ、スタンダードに寄っかかってわかったような顔をしてたってしょうがないだろ、よく考えてごらんよ、それは誰かの真似事をしてるに過ぎないんだ、よく似たよく出来たものを作り続けて、それがいったいなんになるんだね、そんなものが自分の血肉に何かをもたらすかといえば答えはノーだ、そうたろ?何よりも自分自身に返ってくるものがあるかどうかさ、決まり事があるといえばそれぐらいさ、真剣さを取り違えちゃいけない、まあ、もちろん、誰もがそこに向かう動機は違うものかもしれないけどさ、型にはまって満足するだけならその辺のやつらと同じ暮らしをしていればいいじゃないかって話にもなるじゃないか…ああ、休み休み書き進めてる間に日付変更線をいつのまにか超えてしまっていた、まあ、しょうがないよな、いっこうに眠気が来ないんだからさ、まったく、日曜の夜にゃあいつはいつもサボりやがるんだ…今夜中にひとつ出来上がっちまうかもしれないね?タイトルを考えるのは明日になるかもしれないけどね…それにしても、最近じゃ滅多に考えることはなくなったけどたまにどうしてこんなもの書いてるんだろうなんて考えると、無性に可笑しくなってくるんだよな、さっきは偉そうに言ったけどさ、実際これが俺に何をもたらしているかなんて、俺自身まったく理解しちゃいないってもんだぜ、まあ、理解しておく必要がどれだけあるんだって話にもなるけどもさ…頭で理解出来てようがいまいが、身体には刻まれているからね、身体の中で濾過されて循環して、ある日突然あれはこういうことだったのかと理解出来る瞬間がやって来る、気づいた時には理解している、なんて時もある、その時に答えを出す必要なんてどこにもないのさ、身体の中で降り積もって少しずつ浸透していくんだ、理解には本来、とても長い時間がかかるものなんだ、俺はそうして手に入れたものしか信用出来ないのさ、だから、いつだって思いつくままに言葉を並べていくだけさ、種を蒔いてすぐに芽が出るわけじゃないだろ、成長っていつだってそういうものじゃないのかね…わかるだろ、インテリ坊ちゃんのお遊戯をやってるわけじゃないんだ、これは俺なりの、混沌に対する真摯な態度ってものなんだ、だからずっとやり続ける必要がある、どうも、俺の頭蓋骨は、やつらにとって凄く居心地がいいみたいなんだよな、だからやめられないんだよ、定期清掃みたいな感じで、ずっと掻き回し続けなくちゃいけないんだ。
歩道橋の下で雨を凌いでいた、空は灰色の絵具を混ぜた水のような色合で、それは逆に気分を少し冷静にさせた、灰色、それは特別なことではなかった、灰色は俺の日常の色彩だったのだ、買ったばかりの靴の底が少し気になった、小石が溝に挟まっているようだ、何度か路面に擦り付けたらそれは解消された、急に降り始めたから急に止むだろう、我ながら楽観的な見解ではあった、構やしない、どのみち見解なんてものが現実とリンクする確率は極めて低いのだ、見解があるだけで自分を利口だと思えるような連中以外はみんなそのことに気づいてる、俺の言ってること間違ってるかい?ともかく今は待つしかなかった、濡れて帰ることに抵抗があるわけじゃないけれど、本屋に寄ってから帰りたかったのだ、雨は調整中なのか様子が安定しなかった、今にも止みそうな小雨になったり、これから本格的に降り出すだろうことを予感させる力強さを見せつけたりした、どうやら雨の方でも、自分が今望んでいる形をきちんと表現出来ないでいるらしかった、歩道橋の横に立っている古いビルの前に自動販売機があるのが見えた、こんなところにこんなものあったかなと少し考えたけれど、自動販売機の定位置なんてあってないようなものだ、ある場所にあったものが消えたと思ったら、ほんの数メートル先にまた現れたりする、温かい飲み物を買ってまた歩道橋の下へと逃げ込んだ、本物のコーヒーからかけ離れた、人工的な甘みのある、いわゆるコーヒー飲料というものを飲みながら空を見上げていると、これまでに何度こんな時間を過ごしただろうとふと思った、強制的に発生する時間の無駄とでも呼べそうなこんな時間、それは俺にいったいどんなものをもたらして来たのだろう?また俺はそれを、どんなふうに生かして来たのだろう?そんなものを受け取った記憶も、抱いて来た記憶もなかった、全ては記憶の最奥で埃を被っているだけの風景だった、またこの先何度、こんな瞬間が訪れるのか?無意味な悩みといえば無意味な悩みだった、出来るだけコンパクトな折りたたみ傘でも鞄に入れておけばいいのだ、実際、そうしていたこともあった、でも数ヶ月で止めてしまった、台風でぶっ壊されたのだ、雨風に強い、という謳い文句の一品だったのに、別にタイミングが悪かっただけと言えばだけなのだけど、それからもう六年くらいは経っている、別に二度とするつもりはないというわけでもないし、いつか突然また始めるかもしれない、ただそんなことがあったというのを今まで忘れていただけなのだ、人間は本当の意味で、瞬間を生きることしか出来ない、ただそうして生きていく中で積み重ねられた様々な体験、記憶が、その時々の意味を変えていくだけなのだ、時を基準に考えるなら、毎日なんてものにまるで意味はない、俺が今何について話しているかわかるかい、要は、意味だのなんだのは、そこに放り込まれて生きているひとりひとりの人間次第だということさ、それは今この瞬間に意味を持たせるだけじゃない、過去に通り過ぎて来た様々な出来事も意味を変え続けるということだ、つまり、それが俺であるとすれば、俺の過去、俺の今に、確固たるものなど何も無いということなのさ、抽象画のようなものだ、知識や経験、感性なんかで見る者によってまるで違う印象になるだろう、またそれを思い返し、改めて熟考してみるかどうかによって、さらにその差は広がっていくはずだ、絵はただ、そこにあるだけなんだ、それがどういうものなのかを決めるのは、その前を通り過ぎたひとりひとりの人間なのさ、俺は思考することを好む、ひとつの出来事にいくつもの答えを持たなければ、一歩も先へ進めない人間なんだ、だから、自分だけの歩き方をするしかなかった、そうして歩かなければきっと発狂していただろうな、世間様の在り方は俺にとっちゃ安易に過ぎるんだよ、世間、常識、世論、政治…大きな括りばかりを気にして、自分の足元を見失ってるやつらばかりさ、集団を重んじるのはお国柄なんだろうな、逆に言えば、そこから外れたことは何ひとつ出来ないってことなんだ、周りを気にするよりまず、自分を気にするべきなんだ、個が出来上がっていない人間が集ったところで、社会はろくなものにならないさ、それが今じゃないか?そんなことを考えながら缶コーヒーを飲み干して、再び自動販売機のところまで歩き、横のボックスへ空缶を捨てた、その時に初めて雨が止んでいることに気づいた、考え事に夢中になって当初の目的をすっかり忘れてしまっていたのだ、俺は顔をしかめ、歩道橋を上って道の反対へと渡った、歩道橋の上から道の先を見下ろすと心がざわざわした、それがどんな感情に起因するものなのか、まるで思いつけなかった、ゲリラ豪雨の後処理をするかのように、身体が揺らぐくらいの強い風が吹き荒れていた、ちぎれ続ける雨雲の隙間に、何かを決意したかのような強い光を放つ太陽がこちらを睨んでいた。
朗読するマリオネット、解毒的なソナチネ、雨の路面に刻まれた幾つかの足跡は、澱み、歪んで薄汚いエフェクトになる、ジャムのパンクは衛兵を連想させる、銃を肩にかけてしゃきっと立ってるあいつらさ、雨はもうすぐ止むってアイフォンが言ってた、過保護なまでに変化するシステムを進化だと言い張って行列に並ぶやつら、傘を差すことは随分昔にやめてしまった、ずぶ濡れで帰っても叱られることなんかなくなったから、バス停の側で立って泣いている女の子が居た、母親を探したがどうやら椅子に座ってスマホを見ている金髪の若い女がそうらしかった、覚悟の無い世界がタチの悪い風邪より蔓延している、もう気が遠くなるくらい昔からさ、俺は気まぐれにキャンディーを買いたくなった、ひとつずつ包んで袋にまとめてあるあれさ…コンビニに入って懐かしいパッケージのものをひとつ買った、ジャンヌ・ダルクみたいなレジの女はずぶ濡れの俺を見ても顔色ひとつ変えなかった、そんなことは別に珍しくないという態度だった、そんな態度を俺も欲しいと思った、コンビニを出ると雨は止んでいた、世界は小さな液晶画面の意のままに進む、でも、だからなんだって話だよ、手品か詐欺みたいなもんだ、そんなところに真実なんか別に隠れちゃいない、ある程度解き明かされた現実があるだけさ、わかるだろう、現実を受け入れることは別にリアリズムじゃない、それはロマンチシズムよりもロマンチシズムなんだ、幼稚、って言い換えてもいいけどね、キャンディーをひとつ頬張る、顔をしかめるような甘味、子供の頃はこんなものを喜んで舐めていたのか、でも愉快なのでそのまま入れておいた、大通りの車線の端っこで警察が事故処理をしていた、パトカーの前に止まった二台の車のドライバーはひとりは老婆でひとりは若い女、老婆は難しい顔をしていて、若い女は自分の主張を通すことしか考えていないみたいに見えた、どんなに厄介ごとが多くなっても車はなくならない、それを作ることで飯を食っている連中が大勢居るからね、金の為に命を二の次にする、まさに資本主義の鏡じゃないか、猫も杓子も車に乗らせて、余所見をしてもぶつからない車が売れまくっていたってこのざまさ、免許を取って車に乗る、ワァかっこいいなんてとっくに時代遅れだぜ、道路なんてもうこれ以上増やせることもないだろうに…渋滞が動くのを待つだけの連休なんていったい何が楽しいんだい?考え方を変えることが必要なんだ、別に車に限ったことじゃない、旧態依然な、抜殻みたいなシステムをそれでも動かそうとしてる愚かな真剣さがどうしても抜けないんだね、変化について行けないものはそのうち終わりを迎える、恐竜が氷河期によって滅びたようにね、おい、無意味な自信を胸に街を歩く君たちはそろそろ化石になるんじゃないか、とっくに燃え尽きた炎の前で暖を取ろうと目論んでいるんじゃないか、ずっとそうだったから、なんて、クソみたいな言訳を繰り返しながらこのまま頭打ちになり続けるのかい、マイペースや継続なんて言葉を一番駄目な使用例みたいな使い方して、美しい社会の幻想に浸り続けるのか、俺の目にはそれは、ホルマリン漬けの寄生虫と同じものに見えるよ、まあ…どうだっていいさ、俺はそいつらと一緒に終わりを迎えることなんかないんだから―俺が迎えるのは俺の終わりだけさ、ひとりで生きて死んだ、そんな証のために書いてる、そんなやつがどれだけいるか知らない、もしかしたら少ない方かもしれない、文学部卒だとか、偉い人の本をたくさん読んできたとか、そんな自慢をしたくて書いてるやつだっている、でもそんな連中の書いているもので、胸に刺さるような言葉なんか俺は読んだことないね、これはあくまで俺の意見なんだけど―それはそもそもの目的が間違っているんだ、これは教養で書くもんじゃない、そうだろ?理解してくれる人間もきっといるはずさ、言葉にするべき未処理の感情が多過ぎるんだよ、俺はそういう種類の人間なのさ、すべての事柄にいろいろな要素を求めるからね、解釈はひとつじゃない、自分のエゴのために答えをひとつにしてはいけない、それはもの凄く愚かしいことだ、乖離していることを問題にしてはいけない、乖離なんてして当り前のことなんだ、人間はそんなに感情を統制出来る生きものじゃない、感情に振り回されて生きるべきなんだ、感情的になるという意味じゃない、それはやっぱり愚かしいことなんだ、自分がなにをどう思っているのか、そしてそれにどんな決着をつけようとしているのか…これは詩に限ったことじゃない、あらゆる表現にはそうした側面があるはずじゃないのか、単なる嗜みで続けている人間なんてそんなにいないはずだ、新聞とか地方紙に詩や短歌を投稿している年寄を別にすればね、その感情に向き合っている瞬間の自分自身の揺らぎをどれだけ詳細に刻み込むのか、俺は、同じ言葉であることを恐れない、同じフレーズであることを恐れない、この日この時の俺が書くものは、この日この時の俺でしかありえない、同じ文章でも違う意味を語ることが出来る、俺はずっとそれを証明してきたよ、そしてね、それは、俺の核たるものがなんであるのか、そんな証明にもなっていると思うんだ、キャンディーを噛み砕いてしまったからこれで終わりにするよ、どこかの店で苦い珈琲を飲んで、甘ったるい気分を終わりにしたいんだ…。
宿命は銃弾のように生身に食い込んでいく、それをペンチで引き摺り出すみたいに取り除くには相当な数のポエジーが必要になる、俺が馬鹿みたいに言葉を並べるのはその為だ、小奇麗でおしとやかな世界を偽造するためじゃない、知識や教養をひけらかすためでもない、ただただ俺は自分の中に渦巻いている嵐を吐き出して楽になりたいのさ、これは俺の感情の吐瀉物かもしれない、あるいは表現欲求の自慰行為なのかもしれない、でもそんな線引きを誰がどこでするというんだ?俺にはそんなことする気はない、もしもそうしたい誰かが居るっていうんなら好きにやってもらって構わないけど、それは俺が書いているものについて語ることになるのかな、そんな次元での話が俺の書いているものの確信をつくことが出来るとは到底思えないんだけど―ともかくさ、俺にとって書くということはそういうことなんだ、俺の脳内で、ひっきりなしに外へ飛び出そうとしている連中が居て、俺の頭蓋骨を内側からノックするのさ、冤罪で投獄された囚人みたいにね、ガンガンガンガン、喧しいくらいにさ、だから俺は集中度を上げて、指先を化物にしてそいつらを引き摺り出すんだ、不思議なものでそいつらは先を争ってぐちゃぐちゃに出てきたりはしない、入口が開かれればそれで気持ちは落ち着くみたい、順番にずるずると、テンポ良く出てくるんだ、それはきっと俺のリズムに乗っているからだと思うがね、ともかく俺は瞬間的にそんな連中に身体を与えていく、意味を持たせて、ワード画面の中に放り出す、意味はその前後に並べられたものと融合してそれまでにはなかった意味を作り出す、これは錬金術なんだ、物理的には不可能だろう、でも言葉の上でならそいつは可能なんだ、俺の純度はそこそこのものだと思うぜ、なんせ時間をかけて作り上げてきた手順というものがあるからね、頻度や速度、熱の扱い、これはひとつ間違えれば目も当てられない代物になる、結局のところ、本当に良いものを作り出すには初期衝動だけではどうしようもない、センスが良くたってノウハウがなければ息切れが早くなる、マラソンの特訓みたいなものだ、どんな呼吸がいいのか、どんな動き方が効果的なのか、そのコンデションを維持するにはどうすればいいのか―それは頭だけのことじゃない、身体で掴んでいかなくちゃいけないんだ、どんだけ頭でもの凄いことを考えていたって、それを目に見えるものにするのは自分の身体なんだからね…俺は精神を注ぎ込むための肉体を準備することを忘れない、歳のわりには悪くない身体だと思うよ、それは確実に書くものに影響するんだ、通電率が高いとでも言えばいいのかね?カテゴリ8のインターネットケーブルとか?とにかく大容量で速いことが大事なのさ、思考は常に渦を巻いている、一度取り損ねてもどこかで拾うことが出来る、一度に出来るだけたくさんのものを拾うことだ、それを言葉に変換する必要があるからこれだけの文字が必要になる、ある意味で俺がやっているのは、自分の肉体の中で聞こえている思考や音の翻訳なのかもしれないな、俺の言葉は俺だけのものだ、だからそんな工程が必要になるのさ、ある程度誰にでもわかる言葉に変換しなけりゃいけないんだ、でも、完全にわかるものにしてはいけない、そうしたら書きつける意味もなくなってしまう、ここからは俺だけのものだという一線を引かなければならない、もちろんそれは、俺にも誰にもわからないようにひかれなければならない、ここだなというのが見えてしまうとやはり意味はなくなってしまう、なぜ書くのだろうか?俺たちはその意味を説明したいだけではないだろう、少なくとも俺はそうだ、その中に潜む恐ろしい業のようなものに、促され意気込み時には戦きながら、目を血走らせて書いているのはなぜかという問いを、俺にもその他の誰にも手当たり次第に投げつける、俺がやっているのはそういうもののはずだ、といって、他の誰かが必要というわけでもない、やろうと思えば俺はそうしたことのいっさいをひとりで処理することも出来る、ではなぜそれは行われるのか?これは正直なところ、俺にだってわからないんだ、でも、別に意味を知りたくてやっているわけでもない、地図を手に入れたからといって世界を知ったわけではない、だろう?だから俺は俺の中で蠢く世界を、俺の中で流れ続けている譫言を曝し続ける、俺がそれを認識することに俺の書く意味がある、俺の生きる意味がある、他のいっさいのことはそれほど重要ではない、別に乞食になってどこかの廃墟で干乾びて死んだって構わない、そんな覚悟はもうずいぶん前に決めている、あの世に金は持っていけない、地位も名誉も、そうだろ?あの世に持っていけるのは魂に刻まれた詩だけさ、ひとつでも多く魂に植え付けて、あの世で神様に聞かせるのさ、神様が鼻で笑うか、それとも腰を抜かすか、それが俺がいま一番楽しみにしていることなんだ、もしも生まれ変わることが出来るなら、この人生の続きをやりたいな、取るに足らない人生には違いないけど、それでも俺は生きられる限り生きて、ここからどんなものが作れるのか見てみたいってずっと考えているのさ…。
叫びも、怒りも、悲しみも憎しみも、愛も祈りもすべてはスピードの中へ―本当の思考はある種の速度が生み出す興奮の中で初めて意味を成す、それは俺の為のオリジナルのフローチャートであり、全貌は明らかにはされない、というか、それ自体はまるで明かされることはない、確かに俺の中で生まれ、俺が作成し続けてきたものだが、それは意識下で確認出来るようには作られていない、アンドロイドを動かすプログラムのようなものだと言えば理解してもらえるだろうか、とにかくそのもの自体を俺が解きほぐして理解するというようなことは出来ない、そんなことをすれば俺のこれまでの人生そのものも無意味なものになってしまうだろう、俺のこれまでの人生がどれほどのものだったかというのはまた別の問題だ、とはいえ、少なくともこうして書き続けるだけの意地と力はあったわけだ、ということは、あらゆるものが更新され続けているということでもある、現行のプログラムだ、構築されたのは前時代かもしれないが、新しい血を入れながら古い心臓は脈を打ち続けている、止まるな、指を動かし続けろ、考える暇を与えてはならない、それが生まれたら望むべきものは鮮度を落としてしまう、FIのレーサーに自転車レースをさせるようなものだ、レースに限らず、それが一番適しているスピードというものが必ずある、優れたものは等しく一定のリズムによって描かれていると俺は考えている、誰にだってあるはずだ、潜在的に望んでいるスピードというものが…そういうものではないのか?書くということは、自らの手によってなにかを放出するということなのだ、それが撃ち出されることによって、まとわりついた余計なものが振り解かれて精神と肉体が自由になる、それは入口に過ぎない、そこから始まる、エンジンが温まり、どれだけ回しても大丈夫な状態になる、アクセルは手元にも足元にもない、加速はすべて脳内で行われる、その思考に対応出来るだけの反射神経、それから指先の鋭敏さが必要になる、リズムを乱すべきではない、リズムがキープされたままに思考しなければならない、ここに書かれようとしているものは論文ではない、生体の信号がもっとも正直なかたちで記録されなければならない、つまりそれは、俺という人間の最も綿密な自己紹介のようなものになる、つまり、詩人は死ぬまで自己紹介をし続けるのだ、俺はこういうかたちだと―魂のレベルを曝し続けるのだ、それは連綿と続く流れへの貢ぎ物になるのかもしれない、俺たちは所詮、大きな流れに巻き込まれてやがて沈んでいく木の葉かもしれない、でも、この流れにおいては俺たちは完全に個であることが出来る、混じりっ気のないひとつの存在として言葉を放つことが出来る、その純度が詩の価値を決める、宝石みたいなものさ、原石としてはそこらにゴロゴロしてる、でもその土を掃い、価値を見極め、カットを施すのは人間の手腕だろう、転がっているだけなら石以上の意味はないのだ、大切なのは、自分自身でそれを明らかにすることだ、それには決まった価値などない、紙幣のように明示される基準などない、妙な工作を施す必要はない、ただ全力で書き上げて曝せばいい、あとは誰かが勝手にやってくれる、大事なのは確実に自分にとって最良のスピード、最良のリズムの中でそれを書き続けることなのだ、内容なんてどうだっていい、指先は勝手に動く、思考の奥深くにある領域の言葉たちを、それと知覚する前にディスプレイに投げつける、俺はディスプレイを睨みながら表示される文字列を追い、その時初めて自分が何を書いているのかを知る、思考は指先の後だ、雷のようなものだ、光の後に音が来るようなものだ、それと凄く似ている、現象だけじゃない、それを受け取った時の感触だって…それは俺の身体の中を駆け巡る稲妻の記録なのだ、そう、肉体が先にそれを感じる、肉体は感触として言葉を知る、人の感情は身体の中を駆け巡っているだろう、だから、肉体の方がそれを先に整理することが出来るのだ、これは嘘じゃないぜ―歩いている時にあれこれと思いつくことがあるだろう、考えているだけじゃ駄目なのさ、それを呼び起こすような行動が必要になる、感情を消化するのは肉体なんだよ、身体のあちこちで整理された感情が思考の中でまとめられているんだ、そうさ、鼓動―リズムとスピード、それから、それらを確実にキャッチするアンテナ、それを瞬時にタイプする指先、すべてが同じものをとらえていないとビートニックの末端の連中のような下らないお遊びみたいになってしまう、心技体というものがあるだろう、つまり詩というのはそいつ自身の流派でなければいけないということなんだ、好きな詩や憧れる詩など関係なく、自分自身の一番正直なところから出てくるものをいかに正確に並べられるのかということなのさ、言葉は引き摺り出されるだけだ、そいつが何を書いているのかなんて俺だってすぐには理解出来ない、スピードの持続と加速、感情のように文体が動かなければならない、俺はきちがいのようにキーボードをタイプする、長い間そうやって生きて来た、飽きたって不思議はないくらい長くね、でもいつだって、いまだって、初めて書くときのような奇妙が興奮がこの身体を支配するのさ、さあご覧あれ、俺にしか出来ない変り種のショーだよ。